■ 夢姫〜ゆめひめ〜 / j1poul



【四日目(火曜日)】













そもそもの発端は、有彦だった。
数日前に遡る。
試験の最終日、学校で有彦が話し掛けてきた。
「なあ遠野。お前遊園地のチケット要らないか。」
言って、有彦は赤色のチケットらしき物を二枚、ヒラヒラさせる。
「いきなり何を…ってどうしたんだ有彦、お前それついこの間オープンしたばっかりのレッドデビル遊園地の入場チケットじゃんか!」
その遊園地は赤を基調とした色使いをしていて、カートレースやCGを駆使したスペース戦闘物など、俺の好みのアトラクションが あったので、いつかは行って見たいと思っていたものだった。
「まあまあそうわめくなって。どうだ、欲しいか遠野。」

がしっ

俺は有彦のチケットを持った手を逃がさ…もとい友情の再確認のために握り締めた。
「行きたい。有彦、俺達は親友だよな。」
「お、おう、まあな。」
ちょっと引く有彦。

「ありがとう有彦。お前のその雄姿は絶対に忘れないぞ。」
と言ってチケットを取ろうとするが、有彦は、ひら、とチケットを持った手を遠ざける。
「でな、これには交換条件があるんだな。」
「交換条件?」
「そう。それさえやってくれればこのチケット二枚とも渡してやってもいい。…実はな…」
と、有彦は俺に何事かを耳打ちしてきた。
「え〜〜!!お前それ、本気か?」
「本気も本気。どうよ遠野。」
「………少し考えさせてくれ。」


その日の夕食。
食卓につく秋葉と俺。
それぞれの後ろに琥珀と翡翠も控えている。

俺は、夕食をつつきながら、秋葉に話を持ちかけた。
「な、なあ秋葉。」
「?何ですか兄さん。ものを口に入れながら話すのはマナーが悪いですよ。」
「あ、ああ、そうか。なあ秋葉、お前、レッドデビル遊園地…って興味ないか?」

ぴくっ

秋葉の眉が寄せられた。
なんか秋葉の機嫌が悪くなったような気がする。
「…その遊園地がどうかしたのですか。」
「い、いや、単に興味あるかなーって。」
「遊園地など俗人の行くものです。兄さんには申し訳ないですが全く興味はありません。」
にべもない。
「そうか。いやー、残念だな。せっかくチケットがあるのに。」

ぴくぴくっ

「兄さん、どういうつもりか知りませんが、今後金輪際、その遊園地の話は止めていただきます。遠野家の会話としてふさわしく ありませんから。琥珀、もう食事は結構です。私は部屋に戻ります。」
と言って、秋葉は席を立って、すたすたすたと食堂を出て行ってしまった。。
止める暇も無い。

…まあいい。これで有彦との義理も果たした。
有彦の交換条件は、秋葉を誘うこと、だった。
どこでどう知り合ったのか知らないが、秋葉が俺の妹と知って、ぜひお近づきになりたいとの事らしい。
俺は秋葉の性格からして断られるかもしれないと言ったが、それでもいいと言う。
だから俺は駄目元で秋葉に話を持ちかけてみたのだが…。
まさかあれほどの拒否反応を示すとは思わなかった。

食後、琥珀が口を寄せてきた。
「志貴さん、あんな話しちゃ駄目じゃないですか。」
「あの話って、遊園地のこと?」
「そうですよー。秋葉さま、あの遊園地を毛嫌いしてますから。」
「毛嫌いって、何で?」
「…名前、です。」
後ろから翡翠が答えてくれた。

「名前?だから何でさ。」
「志貴さん、遊園地の名前、覚えてらっしゃいますか。」
「…レッドデビル遊園地。」
「レッドデビル…赤い悪魔…、志貴さん、それに何か心当たりはありませんか。」
「赤い悪魔…赤い…、!まさか!」

「そうです。あの遊園地って、実は秋葉さまをイメージしたものなんですよ。遠野の傘下の企業群が出資してまして、 名前を決めるときに、遠野の当主をイメージしたものにしよう、と言うことで決まったんです。」
「…良く秋葉が納得したな。」
全くである。

「納得してないですよー。でも秋葉さまが名前を知ったときは既に様々なアトラクションや広告にその名前が使われていて、 今更取り返しのつかないところまで進んでいたらしいんです。だからその後、当時の、名前を決めた責任者が何者かによって腹いせに左遷 されたとかされないとか。」
「はー。」
その何者かというのが誰なのか、あえて尋ねないでおくか。恐いし。
「だから志貴さん、今後その遊園地の話は秋葉さまの前ではしてはいけませんよ。」
「ああ、わかった。気をつけるよ。」

それにしてもたかが名前一つで左遷とは、その男も人生誤ったものである。


以上が、話の始りだった。

俺は、有彦からもらったチケットで、アルクェイドを誘うことにした。
二枚あったし、アルクェイドに日常のさりげない面白さを知ってもらうのに丁度いいと思ったからだ。
アルクェイドも快諾してくれた。


そして今日が、そのアルクェイドとのデートの日。
いつも金欠だけど、こつこつ少しずつ溜めてきた分で、なんとか今日一日二人で遊園地に行く分には足りる位はある。
俺にしては珍しく、今日は早起きだった。
慣れない親父の部屋のせいもあったのかもしれない。

何故ベットが壊れたのか、未だに原因がわからない。
けど、アルクェイドには今日のことを話さないつもりでいる。
余計なことでせっかくの遊園地の気分を害させたくない。


「あら、兄さん今日は早起きなんですね。」
「ああ、まあな。俺もたまには早起きしなきゃな。」
「兄さんもようやく遠野家の一員としての自覚が出てきたのでしょうか。」
秋葉は何処となく嬉しそうに言う。
「早速だけど、俺の朝飯、あるかい。」
「ええ、琥珀がもう用意してるはずです。」

「―それで兄さん、今日は何か予定があるのですか。」
「ああ、ゆう――」

ぴくぴくっ

”遊園地”という単語に敏感に秋葉の眉が反応する。マズイ。
「――びん局に行くんだ。」
う、ちょっと苦しいか。

「…郵便局に行って何をするのですか。」
秋葉が怪訝そうな表情を向ける。そりゃそうだ。
「いや、ほら、俺の定期預金の期限がもうすぐ切れるから、そろそろ更新しないとな。」
慌てて言いつくろう。秋葉の疑いの眼は相変わらずだったが、ひとまず納得してくれたようだ。それ以上何も聞いてこない。

アルクェイドとは遊園地前に10時の待ち合わせ。早起きしたので、結構時間に余裕はある。
俺はゆっくり朝食を食べ、家を出た。


「―――琥珀、翡翠―――」
「「はい、ここに」」
いつのまにか秋葉の後ろに控えている翡翠と琥珀。
「兄さんは定期預金なんて無かったはず。様子がおかしいわ。後をつけます。」
「「かしこまりました。」」
ここに、遠野志貴追跡部隊が結成されることとなった。


待ち合わせ場所の、遊園地前広場。
少し早めについたが、既にアルクェイドがいた。
俺の姿を認めると、嬉しそうに走り寄ってくる。
「随分早いな、お前。何時からいたんだ。」
「えへへー、せっかく志貴が誘ってくれたんだもん。嬉しくて30分も前についちゃった。」
「30分前って…」

「志貴、今日は誘ってくれて、ありがと。」
アルクェイドが俺に腕を絡めてくる。
一瞬、恥ずかしくなったが、アルクェイドがあまりにも嬉しそうなので、そのままにしておいた。

んで、そんな幸せ一杯の二人の20メートル後ろでは。

ぷちん

ここんとこ立て続けにキレたことで、キレ易くなったのかもしれない。
秋葉の中で、また何かがキレてしまった。
既に秋葉の髪は真紅に染まってたりする。

わなわなわなわな
レッドデビルの登場だ。いや再来だ。

「ふ、ふふ…」
「あ、秋葉さま……?」
琥珀が恐る恐る声をかける。
「レッドデビル遊園地…そうですか、兄さん、覚悟してください。今日は一日楽しい思いをさせてあげます。」
秋葉の中では、既に兄からの遊園地の話をけったことなど吹き飛んでいる。

ざわざわざわ

髪の毛が風も無いのに揺れていた。
「ひええ〜、秋葉さまがキレちゃいました。」
琥珀は見慣れているのか、ちっとも大変そうには見えない。
「いつものことです。」
翡翠の返事も冷静だった。


ここはレッドデビル遊園地、中央管理センター。
そこに秋葉達三人はいた。いや正しくは占拠していた。
周囲には、秋葉の略奪の能力によって根こそぎ精力を奪われてしまった職員達の生けるしかばねが累々と積み重なっている。
手加減されたのか、まあ全員、命に別状は無さそうだ。

中央のモニターに映し出されているのは、志貴とアルクェイド。
遊園地内に仕掛けられた監視カメラが、二人の姿を捕らえていた。
二人は、まず遊園地の目玉の一つである、バトルカートレースを選んだようだ。


二人の後ろを、遊園地のマスコットキャラ、デビルアッキーという赤毛の人形が歩いていた。
中は完全自動ロボット。実はそのチャーミングな瞳がレンズになっていて、中に監視カメラが仕込まれている。
だが外見上は、中に人間が入ってるとしか思えないほどの滑らかで多彩な動きを可能にしている。
デビルという名前を冠するにもかかわらずその愛らしい表情で、中々に一般の人気は高いようだ。


バトルカートレースは、二人一組でカートを運転し、総合タイムを競うものだ。
バトルなだけあって、複数のカートが同時に走行し、互いを蹴落としあってゴールを目指す。
途中様々なハイクォリティ技術が使われているらしいが、どの辺がハイクォリティなのかは企業秘密だそうだ。
いい成績を残すと、それなりにいい賞品がもらえるらしい。

賞品はともかく、俺はカートレースに燃えていた。
一般的男性の傾向として、俺もこの手のレース物が大好きだったからだ。


秋葉は、監視センターで二人の様子を見ていた。
口許には、いつぞやの妖艶な笑みを浮かべている。
ふと、手を首元に持ってくると、親指を立て、スッと横に引いた。

そして一言。
「殺って、おしまいなさい。」
「「はい。」」
秋葉の命令に従順な翡翠と琥珀。
キレてしまった秋葉には、何を言っても無駄だと言うことは身に染み付いて知っているようだ。
盤面のボタンを、マニュアルを片手に操作する。


「それじゃ、いきますよー」
旗振りのお兄さんが旗を振った。
スタートの合図だ。
俺は、目一杯アクセルを踏んだ。

きゅきゅきゅきゅきゅーー

タイヤが路面との摩擦に悲鳴をあげる。
そして、俺達のカートは、一直線に爆走した。
後ろに向かって。

「へ?」

きききききーーー ばこーん

次に走る予定だったカートを吹っ飛ばし、俺達はなおもコースを逆送する。
カートには幸せ一杯、ラブラブな恋人が乗っていたような気もするが、とりあえず無視。
というか俺達はそれどころじゃない。

「くぬっ、くぬっ、くぬっ。」
すかっ、すかっ、すかっ
俺は必死になってブレーキを踏んだがカートは全く止まる様子を見せない。

「あははー、これってこういう乗り物だったんだ。面白いね志貴。」
アルクェイドは呑気に笑っている。
「そんなわけあるかーーーー!」

ばこーーん ばこーーん

俺達の乗ったカートは、次々に恋人達のカートを吹っ飛ばす。
「すいまーーせーーーーんーーーーーーー」
俺達はドップラー効果を残しながら走り去っていく。

ハンドルも勝手に動いている。

右、右、やや左、戻って大きく右
きゅきゅきゅきゅきゅーー

鋭角コーナーを、ドリフトで難なく切り抜ける。勿論アクセルは全開のままだ。

ぶぉん
「ぬわーーーーーっっ!」

ドリフトの勢いで脳みそがシェイクされる。

ばぉぉぉぉぉぉん

カートが空中に投げ出される。全速なためちょっとしたアップダウンでもすぐジャンプしてしまうのだ。


「……………」
秋葉はカメラの映像を見て唖然としている。
「すいません秋葉さま。ボタン押し間違えました。」
翡翠は至極冷静。


遊園地内の機器は、カートを含め全てこの中央センタから操作が出来るようになっていた。
当初の予定では、機械による完璧操作で、兄さんにここの賞品を貰ってもらう予定だったのに。
殺れといいつつ行動がかわいい秋葉。


結局、コース上を走っていた全てのカートをひっくり返して、俺達はスタート地点まで戻ってきた。
逆走だったにも関わらず、コースレコードをたたきだしていたのだ。
俺達は賞品を引っ手繰るようにしてそのアトラクションを後にした。
旗振りの職員は、しきりに俺達の乗ったカートを調査していた。
そもそもカートが後退することすら知らなかったらしい。
その顔にはハテナマークがめいっぱい浮かんでいた。
俺達にひっくり返された恋人達の熱い(刺すような)視線を縫うようにして、俺達はそのアトラクションを後にした。


「秋葉さま、でも目的は達成しました。」
翡翠は冷静に言う。


「ねえ志貴、これなあに?」
アルクェイドはカップ中央のハンドルを指差す。
「ああ、これか。これをまわすと、カップの回転速度が上がるんだ。」
「へー。ねえ志貴、やってみていい?」
「ああ。」

アルクェイドはハンドルを回し始めた。
それにあわせて、カップの回転速度も上がる。
「あははー。ねえ志貴、面白いよー。」
アルクェイドは嬉しそうに笑う。
この笑顔が見れただけでも、今日、アルクェイドと遊園地に来てよかったと思う。

…ぐぃんぐぃんぐぃん

アルクェイドの顔を見て笑っている志貴を見て、秋葉のジェラシーがくすぐられる。
「むむむむっ、琥珀、兄さんのカップの回転速度を最高速にしなさい。」
「らじゃー。」
琥珀、盤面上の上向き矢印を連打する。


ぐぃんぐぃんぐぃんぐぃんぐぃんぐぃん

何かやけに回転速度が速いな。
「って、アルクェイド、お前回しすぎだ!」
「えー、大丈夫だよー。わたし全然へいき。」
アルクェイドは屈託無く笑う。
そういえばこいつは吸血鬼だった。
三半規管の発達が並じゃないのかもしれない。
とはいえ俺はただの人間だ。アルクェイドの運動神経についていけるわけもない。
「ぬわっ、たっ、お、おい、アルクェイド、や、やめっ…」
俺はあわててハンドルを逆回転させた。

ぐぃんぐぃんぐぃんぐぃんぐぃんぐぃん

カップは何故か止まらない。
ゆったりと回るカップたちの中で、俺とアルクェイドの入ったカップだけが異常な回転速度で回りつづけていた。
「ぬわ〜〜〜〜〜」
俺の悲鳴が、辺りに木霊した。


「…もう、志貴ったら、だらしないんだから。」
「お前と一緒にするな……」
カップを出た後、俺はベンチでぐったりしていた。
「それじゃあ、何か買ってこようか?」
「ああ、頼む。丁度いい、あのソフトリームを買って来てくれるか。」
俺はアルクェイドに二人分の金を渡す。
「うん、いいよ。」

アルクェイドは、たたた、とこ小気味よく走り出した。
で、買って、両手にソフトクリームを持って、たたた、と戻ってくる。

そこへ
遊園地のマスコットキャラ、デビルアッキーが、アルクェイドの足を引っ掛けた。

「よっしゃ!」
ここは中央管理センター。
秋葉小さくガッツポーズ。
無論、兄さんの位置からは見えないように、死角からの足のひっかけである。


で、再び現場。

「あっ」
べしゃ ぼたぼた

なんと。
アルクェイドが転んだ。
それも顔面から。
もしかしたらアルクェイドもあの回転で少しは足に来たのかもしれない。意外とかわいいとこもあるんだな。
俺は真実を知ることなく、そんな平和なことを考えていた。


アルクェイドはしばらくそのままだったが、やがてむくりと起き上がり鼻の頭を土で汚したまま頭をかく。
「へへー、転んじゃった。」

ふと、その視線が地面の上に注がれる。
ソフトクリームは地面に逆さに突き立っていて、もう食べようがない。
「あ………」
ぼんやり呟いて、アルクェイドは俯いてしまう。ガッカリしたらしい。

まいった。今のはポイント高い。
俺は思わず声を押し殺して笑う。

「むー、何よ志貴、せっかく買ってきてあげたのに。」
アルクェイドは眉をよせ、怒ったポーズを取る。
だけど、その怒った様子も可愛い。
「はは、悪い悪い。アルクェイドも普通の女の子なんだな。安心したよ。ほら、立てるか。」

俺はアルクェイドに手を差し出す。
「あ、うん。ありがと。」
アルクェイドも俺の手をとり、立ち上がる。

ソフトクリームはしょうがないか。
代わりに面白いものが見れたし。


「…ねえ志貴、あの人形、さっきからずっとついてきてるんだけど。」
「ん?」

ふいっ

アルクェイドの言ったとおり、人形が俺達の後をつけていた。
俺が振り返ると、デビルアッキーはささっと横を向く。
で、俺が前を向くと、またこちらをじーっと見つめる。
そういえばあの人形、俺達が遊園地にきた直後からずっと見かけてるような気がする。

ふいっ
ささっ

ふいっ
ささっ

じーっ
ちらっ…ぷいっ

怪しい。
あからさまに怪しい。
俺が人形を見つめていると、たまにちらちらこちらを見る。そして、俺と目線が合うと、また逸らす。
心なしか、汗をかいているようにも見える。

琥珀から、この人形はロボットだと聞いていたが、それにしては動きが妙に人間くさいなぁ。

実は、この人形は秋葉の動きと連動していた。
秋葉の身体中に取り付けられたセンサーが、秋葉の動きを忠実に再現するのだ。
が、そんなことはその場の俺はわかるはずもない。

俺はデビルアッキーに歩み寄る。

つかつかつか
びくっ

人形が一瞬身震いする。
もしや。
そう思い俺はカマを掛けてみる。
「よう秋葉、こんなとこで何やってんだ?」

「にゃ、にゃ〜お」
猫の鳴きまねをするデビルアッキー。手つきは猫招きのポーズだ。
その口から洩れるのは、間違いなく合成の電子音声。

猫の鳴き真似をすることからしてますます怪しいのだが、ここは変わった遊園地だし、もしかしたらそういうプログラムになっている のかもしれない。
…怪しいけど、やはり思い過ごしだったようだ。

「どうやらただの人形だったみたいだ。」
「う〜ん、そうかなぁ。」
アルクェイドはまだ納得しないようだった。
「ま、いいさ、次のを乗ろうぜ。」
「…そうね、そうしましょうか。」
納得しないまでも、それでも俺達は、人形のことは忘れ遊園地のアトラクションを回るのに専念することにした。

後ろで小さくガッツポーズをするデビルアッキー。

「ふう、危なかったわ。」
「さすが秋葉さま。咄嗟の判断力も優れています。」
「当然よ。遠野家の当主たるもの、これくらいのことはできて当たり前です。」

「別に遠野家の当主である必要性はないと思うのですが…」
翡翠は小声で聞こえないように真顔でツッコミを入れる。


大分日も傾いてきた。
後少しで、太陽も完全に水平線に没するだろう。
俺達はその後も順調にアトラクションをクリアしていった。
アルクェイドは、ほんの些細なことでも面白そうに笑ってくれる。
これだけでも、俺は今日連れてきて良かった、と心から思う。


「ねえ志貴、次はあれに乗ろうよ。」
「げっ」
アルクェイドの指差す先には、メリーゴーラウンドがあった。
白い馬や馬車などが曲にあわせてくるくる回る、年端も行かぬ少女達御用達のアトラクションだ。

ただでさえ、アルクェイドは目立つ。
それに加え、いい年した男が一緒になってメリーゴーラウンドを回ってる姿は、ある意味こっけいでもある。

「どうしたの志貴。早く乗ろう。」
アルクェイドはあくまでも無邪気に笑う。
もともと今日はアルクェイドのために遊園地に来たのだ。アルクェイドの望みはできるだけ叶えてやりたい。
俺は、はぁ、とため息笑いをして、アルクェイドに従った。

さすがに白馬に跨るのはアレだったので、俺とアルクェイドは馬車に乗り込むことにした。
その馬車の中。

「……………」
「……………」
アルクェイド、無言。
俺も、無言。

馬車の中で俺達は無言だった。
馬車の中には何故かデビルアッキーもいた。
何故か俺の隣りの位置をキープしてるデビルアッキー。
馬車に乗り込むことが決まった途端、待ち行列の人をふっ飛ばしながら俺達の馬車に乗り込んできたデビルアッキー。

遊園地のサービスの一つとして、マスコット人形が様々なアトラクションに同乗してくれる、というものがあるらしい。
同乗の対象はランダムで、マスコット人形はロボットだけにお金を払う必要も無い。
これがまた、お子様を伴う家族連れとかにはとても人気があるらしい。

いや、まあ、それはそれでいいんだけど…

デビルアッキーは腕を俺に絡め、頭は俺の方に枝垂れかかっている。
アルクェイドは未だに呆然と俺達の様子を眺めている。
そりゃそうだ。俺だってどうしていいかわからん。

それにしてもこの人形、俺としてはとある人物の行動そのものとしか思えないのだが、でもやはり耳を澄ますと中で機会がウィンウィン 動く音が聞こえるし、ロボットには違いない。
俺の頭にはハテナマークが一杯浮かぶのだった。


一方、中央管理センター。
「んふふふふー。兄さんの隣りは私の指定席なんだから♪」
髪を赤くしたまま、一人で腕絡め枝垂れかかりポーズをとり監視カメラからの画像に悦に入る秋葉。傍から見るとこれはこれで異様 な光景である。
「……………」
「……………」
翡翠、無言。
琥珀も無言。


「ねえ志貴。覚えてる?」
馬車が回転しだすと、アルクェイドが話し掛けてきた。
「ん、何を?」
「前に、『俺はずっと無意味に日常を過ごしてきた』って言ったじゃない。」
そういえばそんなことを言ったような気もする。
「ああ、でもそれがどうしたんだ。」
「人間って、すごいな、って思って。」
「凄いって、何でさ。」
「あれからずっと、無意味な日常を過ごそうとしてるんだけど、すごく難しいもん。わたし何をすればいいのか判らないよ。」

「…そうか。」
考えてみれば、アルクェイドには目的なく日常を過ごしたことなど無いのだ。
ロアを追うか、仲間の吸血鬼を狩るか。人生の謳歌、なんて知らないに違いない。
アルクェイドには、無意味に日常を過ごすことすら、許されていなかったのだ。

「いいんじゃないかそれで。無意味な日常っても、ホントに何もしないというわけじゃなくて、ただ生きてるってだけだから。 無意味な日常がどういうものかを模索すること自体も無意味な事と言えなくもないし、何かをしなきゃいけない、なんて思い込む必要も ないよ。」

「そうなのかな。…きっと、そうなんだね。ありがとう志貴。わたし、今日はホントに無意味に楽しいよ。」
「こんなとこでよければ、いつでも連れてってやるよ。また、来ような。」
「うん。」

それきり俺もアルクェイドも言葉が無くなった。


メリーゴーラウンドは回転し続ける。
窓の外を見ると、夕暮れのオレンジと、メリーゴーラウンドのライトアップされた煌びやかな様子が、幻想的な美しさを醸し出し ていた。


「……………」
秋葉はマスコット人形の運転モードをオートに戻し、体に取り付けたセンサーを外し始める。
「琥珀、翡翠、帰ります。用意なさい。」
「あれ、宜しいのですか秋葉さま。」
「ええ、今日のところは撤収します。このまま二人きりにさせて上げましょう。」
「はれー、秋葉さまにしては珍しい。風邪でも引かれましたか?」

ぼかっ

「あいたっ。」
「琥珀、お前はいつも一言多いんです。私にだって情けはあります。今の会話を聞いて厚かましくも邪魔しつづけられるわけが ありません。」

「今までの行動が既に充分厚かましいと思うのですが…」
と、翡翠小声で突っ込み。


もうすっかり日が暮れてしまった。
門限もあるし、あと一つくらいしかアトラクションを試せない。
最後に、アルクェイドに取って置きの思い出を残してやりたい。


「アルクェイド、最後はあれに乗ろうか。」

指差す先には、観覧車。
日も暮れた今、遊園地を高いところから見れば、きっと忘れられない夜景が見れるだろう、そう思ってのことだ。

「それじゃ、一周十五分です。ごゆっくりどうぞ。」
係員のお兄さんは、そういってゴンドラを閉めた。


徐々に遠くまで見渡せる風景。
地平線の彼方には、まだ沈みきれない夕日の名残が、僅かに紅く残っている。
だけど、夜空には、星が燦然と輝いて。

見通せば、遥か遠くまで、人の住む証が光となって瞬いてている。
その光一つ一つの下に、人がいて、生活している。
「…人間の世界って、こんなに、明るかったんだ。」
アルクェイドには、こんなことですら、珍しいのか。

頂上近くまで差し掛かったとき。

ど〜ん ぱちぱちぱち

突然、窓の外の夜空が輝いた。
タイミングよく、花火ショーの時間と重なったらしい。

「きゃっ」
アルクェイドらしくない、可愛い、悲鳴。
思わず、ドキリ、とした。

「花火…って言うんだ。」
「綺麗…」
これ以上、言葉なんていらない。


アルクェイドは、身を乗り出し、一心に花火を見つめている。
花火の光が、赤に青に、アルクェイドの全身を照らす。
赤く照らされたかと思えば、今度は青。次々に色が変わる。

笑う。
本当に、嬉しそうに、笑っている。

おそらく
アルクェイドの生涯の中で、初めて見るものばかりなのかもしれない。

その様子が、あまりにも、幻想的で。
俺は、いつしか、
花火を見ることを忘れ、ただ、この白い女の人に見惚れていた。


俺達は、互いに寄り添っていた。
俺はアルクェイドの肩を抱き、アルクェイドは、俺に頭をもたれかける。
アルクェイドの髪の匂いが俺の鼻をくすぐった。

やがて花火も終る。
ほんの数分の、天空のショー。


どちらからともなく見詰め合う俺達。


明かりのないゴンドラの中で、
俺達は、キスをした―――


ゴンドラを降りるとき、俺達は、何時の間にか手をつないでいた。
少しだけ冷たいアルクェイドの手が、火照った俺の手に気持ち良かった。


「兄さん、今日の郵便局はどうでしたか。」
夕食の席で、秋葉が突然そんな話を振ってきた。

「へ?あ、ああ、うん、郵便局ね。まあまあじゃないかな。でもどうして突然?」
「いえ、兄さん、今日は一日中郵便局に詰めてらしたようですから。」
確かに今日は一日遊園地には行ってたけど。
「はは、郵便貯金もなかなか楽しかったよ。はは、支払いには3回6回9回12回のリボ払いと現金一括払いがあって、 どれにしようか凄く迷っちゃってさ。」
「志貴さま、それ、郵便局じゃないです。」
翡翠の突っ込みはあくまで冷静だった。



――――――――――――――――――――――


夢。


「おはようございます。志貴さま」
「――ああ、おはよう、翡翠。」
やっと夢から覚めた。
俺は夢から覚められたことに安堵し、大きく息を吐いた。
ここの所夢見があまり良くないからだ。

世界を見つめる。
目に入るのは、輪郭とツギハギの世界。
翡翠の身体中に、線が走って見える。
ずきり
こめかみが痛む。
頭がはっきりしない。俺はぶるぶると頭を振り、頭に血を送る。
何故だろう、視界がはっきりしない。いつもはもっと色鮮やかな世界が見えていたと思ったけど…。

そうか、眼鏡をしていないんだ。
それにしても世界が暗い。
まるで線と輪郭しか見えないかのようだ。
「翡翠、すまない、眼鏡を取ってくれないか。」
「眼鏡?…申し訳ありませン志貴さま、志貴さまは眼鏡をかけていらっしゃらないはずですが。」

―――ん、ああ、そうかそうだっけ―――

俺は眼鏡なんて使っていないんだった。

それじゃあこのヒビだらけの世界もしょうがない。
翡翠の身体中に走る線も、しょうがないんだ。
ずきり、とこめかみが痛かったような気がした。
こうして身体中に線が走った人間がしゃべってるところを見ると、まるで人間が話しているとは思えない。
なんか何処かの科学者の失敗ロボットが、今にも壊れる直前の状態のようだ。
壊れたロボットは、停止する。もう二度と動かない。
なんだ、ニンゲンが死ぬってのも、単に動かないだけじゃないか。
ロボットと、おんなじだ。

「志貴さま、どいてください。ベットメイクをします。」
翡翠はシーツを掲げ、俺にベットの明渡しを要求する。
「あ、ああ。」
普段の翡翠とちょっと違うと疑問を感じたが、俺は素直にベットから起き上がる。
そういってこちらを見た輪郭の翡翠には、

右腕が

ついて




いなかった―――

「なっ!!」
「――?どうされました?」
「ひ、翡翠!そっ、そのっ右腕!!」
「右腕が、どうかされましたか。」
「だっ、だって、ついてない―――」
翡翠は、俺の言ってることが判らない、とでもいいたげな、怪訝な表情で答える。
「なにを言ってるんですか。これは、志貴さまが、切リ落とされたのでハ、ありませんか―――」

翡翠は、肘から先が存在しない右腕を持ち上げる。

翡翠は、ニイ、と笑う。




暗転。


「ふたりとも、おはよう」
「おはようございます、志貴さん」
「おはようございます。今朝はずいぶんゆっくりなんですね、兄さん。」

ここは、居間。
ああそうか、翡翠に起こされた後、俺は、朝食を食べに来たんだった。

輪郭と線だらけの、秋葉と琥珀。
俺は、この壊れやすい世界の中で、いつも二人に挨拶をしていたんだった。
もっと色彩が鮮やかで、生きている世界かと思っていたけど、それは俺の思い込みに過ぎなかったようだ。

何故なら、俺の眼は、直死の魔眼なのだから。



琥珀が、杖を突いている。
いや、杖と思ったそれは、琥珀の脚から伸びていた。
義足だった。
琥珀の脚が、かたっぽ、無くなっていた。

「こっ、ここ琥珀さん!あ、脚が、無―――」

「何をいってるんですか、志貴さんが切ったんですよ。」
琥珀が、いつもの表情で、言う。

―――俺ガ、キッタ?―――

「馬鹿な、俺はそんなことしていない!」
「大丈夫ですよ。私こう見えても、痛みには強いんです。片足が切リ落とされたくらい、へいちゃらです。」

琥珀は、ニイ、と笑った。


ばかなばかなばかな!!やめろ!!!


「あら、何を騒いでいるのですか、兄さん。」
赤ん坊を抱いて、秋葉が俺の後ろに立つ。

「秋葉、なんか琥珀さんが変なんだ。脚が無くって笑ってて―――」
「何を言うのですか兄さん。琥珀の脚を切ったのは兄さんなんだから、脚が無くて当然です。」
「秋葉!」

秋葉の顔は闇に隠れている。

秋葉の顔に、罅(ひび)、が見えた。
頭頂から眉間、そして頬を伝い左耳の下まで抜ける、罅が見えた。
ものの壊れやすい線、だった。

ぱし

赤ん坊の手が、秋葉の顎にぶつかった。

ごろん

秋葉の頭が割れて、何かが、落ちた。
「え?」

あれ、ちょっと待てよおい、今何が落ちた?
なんで秋葉の顔が半分なんだ?


それは、何か黒くて長い糸条のものが一杯ついていて、やや不恰好な丸みを帯びた形をしたものだった。

「あらいけない、くっつかないから、落ちてしまったわ。」
秋葉はその落ちたものを拾い上げ、またもとのようにくっつける。

それは、秋葉の、頭だった。

「兄さん、兄さんに切られたから、傷、くっつかないじゃないですか。ほら、顔を傾けるたび、いつも落ちてしまいます。」
そう言って秋葉は顔を傾ける。

そうすると、線に沿って、顔が割れた。

ごろん

また、頭が落ちる。

「ほら、兄さン―――」


秋葉が、片目だけで下を見、また俺を見る。

にい

半分だけの顔で笑う。
その笑い方があまりにも不気味で、俺はずりずりと後ろに下がった。

「はは、あ、秋葉、嘘だろ、冗談止めろよ…」

「いいえ、冗談ではありませんワ。」

秋葉が近付いてくる。


ごん ぺたん ごん ぺたん
琥珀の足音。
義足と素足が、交互に床につく。

「志貴さん、そうですよ。」

琥珀が、近付いてくる。


視界の隅に、翡翠も見えた。

「な、なあ翡翠、助けてくれ、秋葉と琥珀さんが変なんだ―――」
俺は思わず翡翠に助けを求める。

「いやです。」
翡翠は即答する。。

「志貴さまが切ったので、わたしには腕がありませんから。」
そして、肘から先の無い腕を俺に見せた。


「兄さん」
秋葉がにじり寄る。

「志貴さん」
琥珀が不器用に寄る。

「志貴さま」
翡翠が先の無い右腕を伸ばす。


「はは、は、やめろ、やめろよ、やめろおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおお!!!」


暗転。



俺は、目を覚ました。




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