■ 夢姫〜ゆめひめ〜 / j1poul



【三日目(月曜日)】













昨日の夜、いや、今日の朝方に、ベッドが壊れた。
何故ベットが壊れたのか、全く原因がわからない。
夢を見たくらいでベッドが壊れるものなのか。
たかが夢を見たくらいで。

結局、ベッドの寿命だったのでは、という、俺的にはかなり苦しい結論になった。

………
部屋が見慣れない。
そうだ、ここは親父の部屋だった。
慣れないのも当然だ。ここは親父が生前使っていた部屋なのだから。

俺は、親父の部屋を一時的に借りることになったんだっけ。


今日は終業式。明日から夏休みだ。
俺はアルバイト情報誌をぱらぱらとめくり、割のいいバイトを探していた。
赤ん坊を引き取ろうと言った手前、俺が世話をしなくちゃならないだろう。
こればっかりは遠野の家にも、ましてや有馬の家にも頼るわけには行かない。

「いよぉ遠野。なにやってんだお前、アルバイト情報誌何ぞ見て。どっか旅行にでも行くのか。」
「ああ、まぁ、そんなもんだ。」
あまり人に言えるような話でもないだろう。赤ん坊のことは。

「へー、遠野くん、旅行に行くのですか。」
「あれ、先輩、いつからそこに。」
「乾くんと同じくらいですよ。それよりも遠野くん、どこかにいかれるのですか。」
「…いや、まあ、先輩知ってるだろ。例のアレだよ。いろいろと物入りになるだろうからさ。バイトしようと思って。 これバイト情報誌。」
「あ、ああ、例のアレですか。そうですねー、遠野くんも大変ですねー。」

ちなみにシエル先輩には話してある。
…ていうか、どこにいても俺のやることなすこと全部筒抜けになるんだから、隠したってしょうがない。

「何だよおまえら二人して。なに内緒話してんだ。」
「あはは」
「えへへ」


―――――――――――――――


志貴さまと秋葉さまは学校に。今日はお二人とも終業式なので、午後には帰ってこられるでしょう。
姉さんは今日は近所の寄り合いがあるとかで出かけました。
だからわたしが赤ん坊の世話をしなければなりません。

―――と、
アインシュタイン(翡翠仮名)は翡翠の足元にじゃれ付いてきた。
翡翠は赤ん坊を抱き上げると、琥珀の部屋に向かう。
「アインシュタイン、わたしはこれから屋敷の掃除をします。貴方は部屋にいらっしゃっていてください。」


―――――――――――――――


「夢?」
「ああ、ちょっと変な夢を見てさ。先輩だったらいろいろ不思議な現象を知っているから、何かわかるかもと思って。」
あのあと有彦は他のクラスの奴に用事があるとかで教室を出て行ったので、俺は先輩と二人で話していた。

「うーん、そうですねー。取り敢えず、どんな夢を見たのか教えていただけますか。」
「…一回目は、土曜日の夜だったかな。」

俺は、夢のぼんやりしたイメージを思い出しながら、とりとめも無く夢の内容を語り始めた。
「草原に、周囲は山脈。時間は夕方で、夕日が山脈に差し掛かろうとしている。」
「ふんふん」
「見たことも無いような古い城があって、小さな湖がその後ろにあるんだ。そして、湖には腰まで水に漬かった俺と同じくらいの 年齢の女の子が、悲しそうに水面を見つめていて…」
女の子、という言葉にシエルはピクッと眉をひそめたが、志貴はそれに気づかずに話を進める。

「顔は思い出せないんだけど、その子は何か探し物があったようで――、でー、えーと、俺を見て言うんだ。『やっと見つけた』って。 」
まさか俺に抱きついてきたとは言えないだろう。

「そして彼女は最後に言うんだ。―――――ロア――って」
「―――っ!」
先輩の気配が一瞬変わる。当然かもしれない。

「…一回目の夢はそんな感じかな。」

「まだ続きがあるのですか。」
「ああ、二回目は昨日。場所はホテルだ。」

「ホテル?」
「例の103人が行方不明になったとこ。」
「……………」
シエル先輩の表情が、だんだん険しくなってくる。

「…俺は、ネロが出した獣達を次々に切り捨てていくんだ。」

「何匹殺したか判らない。だけど、殺しても殺しても次々に新手が来て、俺はだんだん追い詰められていって…」
「最期は、ネロの混沌へと吸収された、ですか。」
結末を、先輩が言い当てた。

「!どうして判るんだ、先輩。」

「判りますよー。悪夢のオチって大体そんなもんですから。遠野くんも心配しすぎです。たかが夢、ロアもネロももう存在しません。 気に病む必要はありませんよ。」
先輩の表情はもういつもの状態に戻っていた。

「だけど先輩…」

俺の言葉をさえぎって先輩は続ける。
「夢心理学の権威であるフロイトが言ってました。

 『夢は過去について教える。
  あらゆる意味において過去に由来するがゆえに。
  なるほど、夢は人に未来を示すと言う古い信仰もまた、
  一面の真理は含まれていよう。
  願望を満たされたものとして我々に示すことによって夢は、
  ある意味では我々を未来の中へと導いてゆくのだ。
  ―――過去の模造として作り上げられた未来へと。』

ようするに、夢は過去の出来事を反芻するだけのものであって、
『夢が未来を指し示している』なんてその人の中の偶像に過ぎない、と言っているわけです。」

そうなのだろうか。なんか思いっきり曲解しているような節もあるけど…
それ以前に、フロイトなんてどこで知ったんだろう。先輩はやはり謎が多い人だ。

「だから遠野くん、夢なんて物は気にしてはいけません。気にしはじめたらいつまでたっても終わらないじゃないですか。」
そうか、そうだよな。先輩が言うのなら、あんな夢は気にしない方がいいのかもしれない。

でも、俺の表情が冴えなかったようだ。先輩は話をつづけた。
「んー、そうですねー、遠野くん冴えないようですから、夢魔の話でもしましょうか。」
「ムマって、人に悪夢を見せたりする、アレ?」
「そうです。ちょっと悲しい夢魔の話です。」


―――――――――――――――


「これは――――」

一通り屋敷の掃除を終えた翡翠が琥珀の部屋に戻ってみると、部屋はさんさんたるありさまだった。
ベットメイクはめちゃめちゃに乱され、置物の年代者の花瓶が床にたたきつけられ、粉々に砕け散っている。

赤ん坊は床の上で毛布に包まり、うとうとしている。
その肘と膝は、なぜか汚れていた。

赤ん坊は、翡翠が部屋に入ると、人の気配を感じたのか目を覚ました。

「…何者かが、この部屋を荒らしたようです。」
「あぶ。」

・犯人は不明。目的も不明。
・部屋は荒らされており、その場に居合わせているアインシュタインと翡翠。
・現場には二人しか居ない。
・毛布に包まるようにして現場で眠っていたアインシュタイン。
・その膝と肘は埃にまみれている。

ここは洗脳探偵翡翠の登場である。

「アインシュタイン、何か心当たりはありませんか。」
「ばぶ」
それに対し赤ん坊の返事はそっけない。

「本当に無いのですか。」
「だあ」

「ほんとのほんっとーに、心当たりは無いのですね。」
「だあ」
赤ん坊はそ知らぬ顔だ。

「アインシュタイン、あなたの袖と膝が汚れています。それはいつ汚れたのですか。」

びくっ
「びばぶ」

赤ん坊が反応する。たけど返事は否定だった。

「アインシュタイン、貴方の着ている服、花瓶に入っていた水で濡れているのではないのですか。」

びくびくっ
「ひばぶ」

「…あくまでもシラをきり通すつもりのようですね。」

翡翠は 赤ん坊をベットの上にのせ、翡翠はその正面にしゃがみ、目の高さをあわせる。
赤ん坊が態勢を崩してベットから落ちないように、小っちゃな手はつかんでやる。

「どうです。今のうちに自白するなら、罰はまだ軽いですよ。」
「だあ?」

会話になってるんだかなっていないんだか。

話しながらも手持ちぶたさだったので、赤ん坊の手をぺちぺち拍手させる。
「きゃう。きゃっきゃっ。」
赤ん坊はなにやら嬉しそうだ。

「どうです、自白する気になりませんか。」
「だあだあ」

「…しょうがありません。これだけは使いたくなかったのですが。」
翡翠は右手の人差し指をアインシュタインの眼前まで持ってくると、トンボを捕まえる要領でぐるぐる回転させ始めた。

ぐーるぐる、ぐるぐる

そして一言。
「貴方を…もとい、貴方は、犯人です。」

「きゃっきゃっ」
相変わらず赤ん坊はたのしそうだ。

ぐーるぐる、ぐるぐる

「ほーらほら、自白する気になりましたか。あなたは犯人ですよー。まだ罪が軽いうちに自白したほうが身のためですよー。」

ぐるぐるぐる
「きゃっきゃっ、ぷう。」
赤ん坊はやっぱりたのしそうだ。

ぐるぐるを1分近くも続けたころだろうか。

「…驚きました。わたしのこの技にここまで耐えたのは貴方が初めてです。」
「あー、あー、うー、いいー」
相変わらず赤ん坊は翡翠がなに言ってんだか理解してなさげだ。ただ、多少目が回ったようだ。頭が左右にフラフラしている。

ふらふらしながらも埃まみれの手でぱちぱち拍手している。そういえば赤ん坊は埃だらけのままでした。
赤ん坊は綺麗にしないといけませんね。
「しようがありません。アインシュタイン、貴方を風呂に連行します。入浴の刑です。いっしょに入りましょうか。」
「きゃぃきゃぃ」

翡翠と赤ん坊の一方通行な会話は続く。

………

「ぶうばぶ」
「これで貴方も綺麗になりました。…貴方のも中々に男前でしたよ。」
翡翠はきっと風呂場で赤ん坊の体のどこかを見たのだろう。


翡翠は、さっぱりした赤ん坊を見つめる。
「拾ってこられたとはいえ、どこか志貴さまに似ているような気がします。」


―――――――――――――――


学校、シエルの話。


夢魔は、人に夢を見せるもの。
夢魔は、人の目に見えず、人がその存在を感じることもない。
夢魔は、夢の中でしか肉体を持てない。
夢魔は、悪夢によってしか、力を得られない。

夢魔が、恋をした。
存在意義も無く、人に知られることも無く、名前すらない。
そんな、ただ漂っているだけの存在だった夢魔が、恋をした。
その娘は、稀に見る魂の輝きだった。
夢魔は、まるで自分がその輝きに癒されるように感じた。
だから、夢魔はその娘に恋をした。

夢魔は、なんとかして娘にその想いを伝えようとした。
しかし、娘に言葉は伝わらない。
夢魔の存在すらも、伝わらない。

夢魔は、夢の中で娘に語りかけた。
夢は一時の夢。泡沫の夢。
朝の霞にもやと消えるもの。
夢魔が語りかけた言葉は、伝わることなく、覚えられていることも無かった。

やがて娘は恋をした。
意中の相手は、その娘の幼馴染であった。
燃えるような一時の恋ではなく、互いに相手を思いやる、静かな、だけど深い、恋だった。
今まで意識していなかった存在だったけど、ある日あるとき、それが意識され、娘はその幼馴染に恋をした。


夢魔の想いは、ついに伝わらなかった。

夢魔は、悪夢によって力を得る。
負の力によって力を得る。
それが夢魔の魔たる存在の証。
力を得るほどにその存在を増し、人が感じることもできるようになる。

悪夢を見せて、自己の存在をより強く娘に意識させることも出来たが、夢魔には出来なかった。
だから夢魔は、薄いままだった。

夢魔は、再び、漂うだけの存在に戻ってしまった――――。


「…なんか、悲しい話だな。人に恋をして、結局報われなかった夢魔、か。」
俺は、素直な感想を口にした。

「はい。でも、その夢魔には後日談があるんです。」
「後日談?」
「これはわたし達教会の内部機密ですからあまり多くは話せないのですが、その後夢魔はある魔物の傍を漂っていたと言います。 その魔物がロアだという噂があったのですが、真偽の程ははっきりしません。」

夢魔は、負の力によって力を得るという。
なら、その魔物から漏れ出る力に惹かれて、夢魔は周囲を漂っていたのか。

「魔物の周囲を漂って幾年月か、再び夢魔は、輝ける魂を持つものに出会ったとか出会わなかったとか。」
「輝ける魂…」
「教会の記録は断片的であまり多くの記録が残っていなかったのですが、その輝ける魂を持つ者も、魔物であったようです。」

「それじゃ、人と違って、想いが伝わらないなんて事も無いんじゃないのか。」
「そうです。夢魔は、その魔物と共に生きることで、それなりに幸せだったようですよ。あ、共に生きる、とはこの場合結婚したとか、 そういう意味じゃありませんよ。」

「魔物の使い魔、かぁ〜。――っ!、もしかしてそれって、アルクェイドのことか?」
あいつの使い魔とやらには、以前に酷い目に逢わされた事がある。

アルクェイドの名前が出たからか、先輩はちょっと不機嫌になる。
「違いますよ。あの人とは全然関係ありません。大体それじゃ辻褄が合わないじゃないですか。ロアが魔の存在になったのは、 アルクェイドに血を吸われたからです。時期が合いません。それにロアが魔の存在になってから出会ったのがアルクェイドだったら、 会ったその場で殺されています。」

そりゃそうだ。


―――――――――――――――


…志貴さま。
今日は終業式ですから、午後になったくらいにはお帰りになられるでしょう。

ぺしぺし
翡翠は再び赤ん坊の手をたたいて遊びはじめる。

思えば志貴さまも罪作りな方です。
誰彼構わず女性に気を持たせるような事ばかりして。
無意識に行っているのでしょうが、それが一番罪深い行為です。
普通のゲームでそんなことしたら、まず誰とも結ばれずバットエンディング直行なんです。
月姫というゲームだって、最初シエルルートを進もうとして途中からアルクェイドルートに乗り換えたら、結局全ての選択肢が バットエンディング直行というマルチバットエンディングなんですから。
わかっているのですか、志貴さま。


志貴さまが、わたしを選んでいただけたなら。
もしわたしが、志貴さまの恋人だったら―――――

翡翠暴走…いや妄想モード突入。


「―――愛している、翡翠。」
ズン

耳元でその一言が、脊髄を駆け抜け、ビテイ骨にまで達した。
わたしは志貴さまに抱きしめられ、身動きも逃げることもできない。

その一言で、頭の中まで真っ白になってしまう。
ビテイ骨に達した声がわんわん反響して、膝ががくがく震え、立っていられない。

密着した状態で、わたしの心臓の音が聞こえてしまわないかと心配になる。
志貴さまのぬくもりが、抱きしめる体を通して伝わってくる。

これが、志貴さまのぬくもり。

どくん、どくん、どくん

ああ、志貴さま心臓の音が聞こえる―――


そして
志貴さまはわたしを抱きしめたまま、ベットへ――――

かぁぁ
ベットその後のごにょごにょな展開を想像して、真っ赤になってしまう翡翠。

「だ、だ、だめです、志貴さま。わ、わたしはまだ心の準備が―――」

つんつん

言いながら照れ隠しに赤ん坊の頬をつつく。
「きゃいきゃい」
嬉しそうな赤ん坊。

「…志貴さまも罪作りな方です。」
わかって、いらっしゃるのですか、志貴さま。

つんつんつんつんつんつんつんつんつんつん

「きゃいきゃい」
どうにもこうにも幸せなアインシュタインだった。


「ぐー、ぐー。」
「ん、どうしました。」
「ぐー、ぐー。」

「お腹が減りましたか。」
「びばぶ」
「違うのですか。じゃあおしめですか。」
「びばぶ」

翡翠はしばらくの間、何事か悩んでいた。
「わかりました。ぐるぐるですね。」
「だあ」
どうやらぐるぐるが気に入ったようだ。

ぐーるぐる、ぐるぐる
赤ん坊の前でまわす指を、アインシュタインは顔全体を使って追う。

「ほーらほら、ぐるぐるですよー」
「きゃいきゃい」
ほんとに赤ん坊は幸せそうだ。


「みう、みうー」
「アインシュタイン、今度は何ですか。」

「み、うー」
「…ミルクですか?」
「だあ」
「わかりました。ではミルクをお持ちしましょう」

赤ん坊は本当に人見知りしない、いい子だ。
一心不乱にミルクを飲んでいる。

飲み終わった後、背中をさすってやる。
「けぷ」
げっぷだ。

そろそろいい頃合かもしれない。
「アインシュタイン、そろそろ昼寝をしましょうか。」
「やあふ」
赤ん坊も、お腹が満たされたから、満足そうに目をうつらうつらさせていた。

あれ、あれれれ。
なんかわたしも瞼が重いです。

時計を見る。
11時20分。志貴さまが帰られるまで、まだ時間がありますね。

―――と思った時点で、既に翡翠は赤ん坊と眠っていた。


―――――――――――――――


先輩との話も終わり、あとは通知表をもらって掃除して帰るだけだ。

あふ
あくびが出る。

先生の話は長いから、ここで一眠りしよう。
俺は浅い眠りについた。
俺は、夢を見た。


白昼夢。

奇妙な現実感のある夢。
俺はこどもの、しき、に戻っていた。


夏の、暑い日。

青い空と、大きな入道雲。
じりじりとゆらぐ風景と、
気が遠くなるような蝉の声。

みーん みんみん
みーん みんみん
みーん みんみん

広場には蝉のぬけがら。
太陽はすぐそばにあるようで、
広場はじりじりと焦げていく。

血にまみれた、殺された、少年。
胸からは、どくどくと、あかい血が、流れてた。

両手が、血にまみれた、少年。
指先から、ぽたぽたと、あかい血が、垂れていた。

「シキ―――――――!」

大人たちは叫んでる。
お前がコロシタのかとさけんでる。

胸から血を流している少年。
手から血を垂らしている少年。

くすくす くす
くすくす くす

あきはが笑っている。
なにを笑ってるんだあきは。

だってにいさん―――

あきはが、こどものあきはから、おとなのあきはにかわった。

―――兄さんは既に、死んでいるのですよ。



―――兄さんの胸の傷は、もう助かりません。―――

ぼくが、じぶんの、むねをみると。
むねにぽっかり、あながあいていた。

そこを
ぼくのうでが、ずぶりとつらぬいていた。


そうか

ぼくは、
はんてんしたぼくじしんに、ころされたんだ。

だけどぼくは、しななくて。
シキのいのちで、いきのびたんだ。

でも、秋葉が言うんだ。

―――ねえお父様。
  兄さん、反転しちゃったから、殺さなくちゃならないですね。―――

―――ああ、もともと身代わりのために置いておいた子供だ。―――

ああ、反転した者は、一族のとうしゅが、せきにんを持ってころさなくちゃいけないんだ。
ぼくは、しぬ。
ぼくは、ころされる。
ぼくは、ぼくに、ころされる。

いやだ
いやだいやだいやだ
いやだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!


「―――おい、遠野、遠野!」
誰かが俺の肩を揺らす。
「えっ、あっ、あれ、俺―寝てた?」
「ああ、全くだ。ほれ、通知表お前の番だぞ。とっとともらって来い。」

あれ
俺はいつの間に眠ったんだったっけか。
確か何事か夢を見たような―――

「――遠野!」
先生が呼んでる。
あ、やべ、行かなきゃ。

それきり、俺は今しがた見た夢のことを忘れてしまった。



学校から帰ってきた志貴が見たものは。
琥珀の部屋で幸せそうに眠っている、赤ん坊と、翡翠だった。

「…翡翠の寝顔、はじめて見た――。」


―――――――――――――――


遠野邸、午後。

寄合から帰ってきた後の姉さんの様子がどうもおかしいです。
周囲をせわしなく見渡したり、一度掃除した場所をもう一度掃除したりしています。
たまに呼びかけても上の空です。

翡翠が一階廊下側の窓を拭いていると、琥珀が、裏口から奥の繁みの中へ歩いていくのが見えた。
手には何か大事そうに荷物を抱えている。

「……………?」
琥珀は左右をキョロキョロと見渡していて見るからに挙動不審だ。
翡翠は琥珀の後を追ってみることにした。

「このあたりだと…思いましたが。」
音をあまり立てないように注意して歩きながら、翡翠は森の奥まで分け入っていた。
しかし琥珀の姿はようとして見えない。

この先には志貴さまが昔住んでいた家しかない。
翡翠は家の中に入ってみた。


「…うふふふー、近所の寄合いだと嘘をついて朝から並ぶこと4時間、ようやく手に入れられました。」
衾を隔てた向こうでは、琥珀がなにやらガサゴソやっている音がする。
「普通に買いに言ってもまず売り切れ。今まで一度しか食べたことがないにも関わらずその味が忘れられません。」
続いて包みを開ける音。
その途端、衾を隔てた翡翠の元へも、強烈に美味しそうな匂いが漂った。
「こ……これはっ!」

翡翠は衾をぴしゃりと開ける。
「姉さん、その手に持ってるのは―――」

手に持ってる、正確には手に持って口にくわえているものは、きのこの図柄がプリントがされた饅頭だった。
いきなり入ってきた翡翠に、んがっ、てな表情を向ける。

「―――月光堂の『きのこ饅頭』。」


<きのこ饅頭>
遠野家からは駅で3つ行ったところに、月光堂という駄菓子屋がある。
きのこ饅頭はそこの名産品だ。
TYPE国原産のネコムスメマタタビを香料として染み込ませた餡を使っている。
その香気につられるように女性客が殺到し、今では開店後数十分で売り切れることで有名になっている。

ちなみに、ここでは全然関係しないが主だった女性キャラのうちでシエルと晶だけはこの饅頭に全く無関心だったりする。
一説では、物語の作者が両者はイヌ系だという確固たる信念があり、これだけは譲れないとヌかしてるから、と言われているが、 真偽の程は確かではない。。。


「あやー、見つかっちゃいましたか。しょうがありません、翡翠ちゃん、二人で山分けですね。」
饅頭の数は全部で4つ。
翡翠と琥珀で二つずつ食べれば丁度いい計算になる。

ぱくっ もぐもぐ
ぱくっ もぐもぐ

「おいしいです…」
「そうですねー」
二人は恍惚とした表情で饅頭を食べる。


秋葉は翡翠を探していた。
挙動不審な琥珀を追う挙動不審な翡翠を、二階の廊下の窓から見かけたからだ。

―――あの先には兄さんが暮らしていた家があるから、よほどの用がない限りは近づかないように言ってあっるのに…―――

かくして、秋葉もまた、挙動不審者となりて翡翠の後を追うのだった。


ぱくっ もぐもぐ
ぱくっ もぐもぐ

琥珀たちが一つ目の饅頭を半分ほど平らげたとき。
「何してるの、二人とも。」
秋葉が衾を開けて登場した。


<どうでもいい話>
琥珀、翡翠姉妹…茶色系トラ猫シスターズ
秋葉…シャム猫
アルク…白いイメージだけど黒猫。目が金色。
…の、きょーれつなイメージが作者にはあったりする。


で、
「おいしいっ!」
秋葉感動。
此処に秋葉もまた、きのこ饅頭の魅力に取り付かれるのだった。

ぱくっ もぐもぐ
ぱくっ もぐもぐ
ぱくっ もぐもぐ

女の子が三人揃って無言でもぐもぐやっている。
やがて、みんな一つ目の饅頭を食べ終えた。

残ったのは、饅頭がひとつ。

「……………」
「……………」
「……………」

三人とも無言。

「それじゃわたしが苦労して買ってきたものですし。」
「私はこの屋敷の主ですから。」
「姉さんや秋葉さまを太らせるくらいだったら、わたしが。」

三人の手が一つの饅頭に重なる。

「……………」
「……………」
「……………」


俺は、秋葉、翡翠、琥珀を求めて屋敷の中を彷徨っていた。
赤ん坊が居間で泣いていたのだ。
一人ぼっちで。
注意しようと思って三人を探したのだが、全然見当たらない。

こうなったら屋敷の中をくまなく捜してみようか。
まずは庭に行ってみるか。

俺は、赤ん坊を抱きかかえながら、庭に出た。


再び、庭の外れの家の中。

「わ、私は遠野家の当主で二人の雇い主なんだから、当然の権利です。むしろこうして半端な分を食べてさしあげるのですから、 感謝されてもいいくらいです。」
「あ、あらあら、秋葉さま、これ以上お食べになられても、わたし達と違って普段運動されてないですし、その栄養は胸ではなく体重 に反映されてしまいますよ。」
「あ、あら、琥珀が食べても、その栄養は悪巧みを考える脳にしか行かないんじゃない?」
「危険思想でしたら、秋葉ルートの秋葉さまも充分イっちゃってて危険です。だからここは、どのルートでも儚く男心をくすぐるわたし が。」

のっけから手厳しい言葉の応酬。
部屋の気温が3度は下がったに違いない。

「……………」
「……………」
「……………」

再び無言。
しかし、それぞれの頭にはペケ字マークが浮かんでいる点が先程と違う。

饅頭を中心にしてにらみ合う三人。

翡翠は、何処からか取り出した箒を縦に構えている。
琥珀は、これまたどこからか取り出した包丁を両手に一本ずつ持っている。何故か口には白いハンカチをくわえている。
秋葉は、その髪がうっすらと赤味がさし、風もないのにゆらゆら揺れている。

「琥珀、翡翠、あなたたち、私に勝てると思ってるの?」
「あら秋葉さま、秋葉さまの檻髪はわたしからの力の供給があって初めて高い威力が出るものではありませんでしたっけ。 私が力を分け与えなければ秋葉さまも役立たずになってしまうんじゃないですか?翡翠ちゃん、ここは子供の出る幕ではありませんよ。 おとなしくひっこんでなさい。」
「わたしにも譲れないものがあります。キチボケとツルペタさんは、磨きをかけたわたしの技をくらってから言って下さい。」

「……………」
「……………」
「……………」

「何よ上等、やるってのね?」
「返り討ちですよー。」
「目にものみせてさしあげます。」

ずごごごごごごごごご

饅頭を中心に、周囲の空気が渦を巻く。
まさに一触即発。
互いに睨みをきかせる三匹の子猫たち。

と、そこへ。
「おーい、みんなここにいるのか?」
赤ん坊とともに志貴登場。


「お前達、こんなとこで何やってんだよ。赤ん坊ほったらかしにして。赤ん坊がずっと泣いてたぞ。」
俺は三人を怒った。

三人ともしゅーん。


「ど、どうでしょう秋葉さま翡翠ちゃん、ここは一時休戦ということで。」
「賛成です。」
「しょうがないわね。」

饅頭は一旦包装をもどされ、遠野家の冷蔵庫に安置されることになった。
冷蔵庫の中にそっと置かれるきのこ饅頭。

以来それぞれ牽制しあい、互いに後一歩が踏み出せないでいる秋葉と琥珀と翡翠。
それは夕食を食べた後も続いていた。

だが、結末は以外に早く訪れた。


「あ〜、夕メシは食べたけど、まだなんか物足りないんだよな。」
今日の夕食は蕎麦だった。
連日暑かったので、俺にとってはありがたい限りだ。
だけど、蕎麦はあまり腹にたまらないので、寝る直前になってちょっと腹がすいてきた。
俺は何か食べるものを物色しに冷蔵庫の前まで来た。

「……………」
冷蔵庫には南京錠がかけられていた。
「こんなことするのって琥珀さんかなぁ…。」

だが、南京錠ごとき恐るるに足りない。
俺は辺りを見回しバターナイフを見つけると、メガネをずらし南京錠を見る。

丁度いい線は、と、あった。
金属の支柱部分に、縦に線が走っている。
この線を切るだけで南京錠は開くだろう。
俺は、バターナイフでその線を切った。

冷蔵庫を物色する。
たまご、牛乳、そーせーじ、っと。うーんもっと簡単に食べれるものないかなー。

おっ
何か包装してあるものがあるな。何だろこれ。
俺は丁寧に包装してあるそれを取り出した。

あった。
饅頭だ。丁度いい、これを食べよう。

ぱくっ もぐもぐ

ふーん、なかなかうまいじゃん。
俺は何も知らずにその饅頭を食った。



俺が饅頭を食いきった頃、

「兄さん」
「志貴さま」
「志貴さん」

秋葉と翡翠と琥珀に、後ろから声をかけられた。
振り向いた俺が見たものは―――

ずごごごごごごごごご

三人の後ろに、暗黒が犇(ひしめ)いていた。
いやまあ、夜だったし電灯がついてなかったから暗いのは当たり前だけど。
なんか人外のモノの雰囲気があったというか、こりゃ俺もう死んだなっていう予感があったってーか。

俺を見る三人の目は冷たい―――を通り越して恐い。

「兄さん、冷蔵庫の中の饅頭、食べたのですか。」
「む、いや、まあ、食べたと言うか、夜食に…」
「食べたのですね。」
「いやだからちょっと腹が減って…」
「食べちゃいましたねー」
「……………ハイ。」

じりじりと迫る三人。

背後は冷蔵庫。三方を囲まれ、俺は逃げ場がないことを悟った。
理由はわからないが、きっと俺はどこかで選択肢を間違ったのだろう。
気分はもう、流れ的にデッドエンドがわかりきってるけどフラグ立てるために最後まで見なきゃなー、てな感じである。

そうか
そうかきっとこれは夢に違いない目を覚ませばおれは自室のベッドにいて翡翠がおはようございますって声をかけて………

「兄さん、覚悟!」
「問答無用です!」
「死んだら屍は拾ってあげます!」

ぎゃぁぁぁぁぁ〜

最近こんなんばっかし…。

俺は『これから』夢の世界へと旅立つのであった。


―――――――――――――――――――――――――――――――


夢。

奇妙な現実感がある夢。
夢だとわかっていても、見つづけてしまう夢。

闇が蠢く。
まるで、これから悪夢を見るだろう俺を笑っているかのように―――


理由もわからずこの世界に飛ばされて不貞腐れてる俺に悪夢は通用しない。
とにかく俺はこのむしゃくしゃした気持ちをどこかにぶつけたかった。
どうせこの先俺は悪夢で襲われるんだ。
部分的に何故か現実戻ったら忘れてる記憶があるけど、そもそもが俺には襲われる理由そのものがさっぱりわからん。
ここはぜひとも悪夢に出てきてもらって理由を説明してもらおう。

「カァァァーーーット!」
必殺の台詞である。この台詞は、全てにおいて強力な影響力があるのだ。

ぴた。

闇が止まった。
夢の世界が止まった。

なんだ。
止まったぞ。
何事もやってみるもんだな。


やがて、闇から声が聞こえてきた。

―――何ダ―――

「お前が、悪夢か?」

―――違ウ。ボクは悪夢なンテいう名前ジゃなイ―――

「ンなこたどうだっていい。とにかく俺は納得できないんだ。何で俺を襲うんだ。理由を説明しろ、理由を。」

―――理由?理由ヲ説明しタラ悪夢を見せテいいノか―――

「あいやそーゆーつもりじゃなかったんだけど…」

―――ワカった。今夢を繋げルカら―――
悪夢(仮称)は俺の話を聞かずに勝手に話を進める。


ぱっ

暫くたつとあっさり夢の風景が変わった。

城に草原に山に月。
ここは例の場所だ。
俺と、カインとか言う少女が、出会った場所。

城の後ろに湖があって…ほらいた。
全裸の少女が腰まで水に浸かり、悲しそうに水面を見ている。

―――気付かれナイようニ、水面ヲ見て―――

悪夢(仮)の言葉に従い、俺は今度こそ音を立てないように少女に近付いた。

近づくと、水面に、映像が見えた。
鮮やかな毛並みの、狼の映像が。
そう思った瞬間、俺は、その映像の中に吸い込まれた。


ここは―――?


ここは、狼の群れ。
俺は、その群れを率いているリーダーだった。

その集団は、五匹のオスと七匹の雌から成り立っていた。
広大な森と草原を住処としていて、狩りをし、子供を産み育て、放浪する集団だった。

青銀の毛並みを持つ俺には、白銀の毛並みと、銀の瞳をもつ妻がいた。
妻は仔を身篭っていた。
俺の仔だ。

やがて冬が終わり、春になって、妻は三匹の仔を産んだ。
産んでから一月ほどの間は、妻はひたすら巣穴にこもり続け、仔供達に乳を与えていた。

一月が経って、妻は俺に仔供を見せてくれた。
メスが二匹に、オスが一匹。
俺は有頂天だった。

狼の愛情は深い。
それは妻だけでなく、集団に対しても同じくらい思い入れがある。

やがて夏になる。
集団のうちで身動きの取れないメスは巣穴に残し、残ったもので狩りをし、成果を巣穴に持ち帰った。

秋が深まってくる。
この頃になると、仔供たちは大分大きくなり、かなり遠くまで遊びに出かけられるようになる。
妻達も、狩りに参加できるようになった。

冬が近付く。
もうすぐ、この地では餌が獲れなくなる。
だから、また餌のあるところまで放浪しなければならない。
そして、そこでまた巣穴をつくり、身篭ったメスはそこに篭るのだ。


冬が近付いていた、そんな時。

ぱーーーーーん

聞きなれない音が響いた。
俺達は即座に警戒する。耳を澄ます。

ぱーーーーーん
ぱーーーーーん

続いてまた二回。
かなり遠い。
これならまず大丈夫だろう。
俺は集団の警戒を解かせた。

しかし
何を思ったのか、俺の妻は突然音のした方へ駆け出し始めた。
思い返せば、これが予感と言うものだったのかもしれない。

俺達が現場についたときは、もう全てが終っていた。
仔供達が、撃たれていた。
俺の仔供達が。

皮を剥ごうとした最中に俺達に気付いて逃げ出したのか、俺の息子が体半分皮を剥がれされて放置されていた。
周囲にむっとするくらいの血臭。
そして幽かに漂う、コロシタものの臭い。
この臭いのモトが、仔供達を、コロシタ。


「クゥゥンキュゥゥゥゥゥン」
妻が、鼻先で必死に仔供達を押して動かそうとする。傷口を舐めて直そうとする。
だけど、仔供達は、二度と動かなかった。


「ウォォォォォォルウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ」
俺は、吼えた。

「クウォォォォォォォォォォォォォン」
皆が、呼応して吼えた。


さあ
狼の狩りの、始まりだ。




はっはっはっはっは
ははっははっははっ

荒い息遣いが月夜に響き渡る。

俺達の狩り。エモノは、ニンゲン。
風が、かすかに獲物の匂いを運んでくる。
俺にとっては、これで充分過ぎるくらいだ。

「アオォォォォォォォォォォン」

あちらこちらで、仲間が遠吠えをあげる。

ニンゲン、は、俺の仔供達をコロシタ。
だから、コロシ返す。

「オォォォォォン、オォォォォォォン」
エモノはもうすぐだ。


ガキイィィン

音がして、何かが妻の脚をはさんだ。
妻が心配だが、俺にはリーダーとして纏めなければいけないこの集団がある。
俺は、妻が心配だったが、ひとまずはエモノを追いかけることに専念した。


「―――――」
断末魔の、悲鳴。
狩りの、終了だ。

肉片をばらし、それぞれで咥えて持ち帰る。
俺は、妻のもとへと走り出した。


ニンゲンの、匂いがした。
ニンゲンの、罠だった。
ニンゲンの罠は、外せなかった。

どうやっても外せなくて、仲間が一匹、また一匹と諦めていった。

冬はもう、すぐそこまで迫っている。
俺は、群れを率いるリーダーとして決断しなければならなかった。
俺は、群れを護らなくてはならない。

妻は、痛いだろうに、気丈にも俺を見つめつづけていた。

俺達は鼻先をこすり合わせ、一声鳴いて、そして離れた。

俺は、俺の咥えて来た肉を妻の前に落とし、
仲間とともに、
去った―――


ぱっ

そこで、俺の意識は、狼から人間に戻った。
俺は、遠野志貴。

周囲は、闇。
もう城も月も無い。

また、あの声が聞こえる。

―――以上ガ、理由ダ―――

「は?」

―――ダから、リユうダ―――

「理由って、何の?」

―――ダカらお前がガ夢を見なけレバならナイ理由だと言うニ―――

「理由って、俺が狼の集団のボスをやっていて妻を見捨てて旅立ったってことがか?」

―――アレ、その先ハ?―――

「だから、見たのは俺と狼の集団が旅立ったとこで終わり。」

―――アレどうシて、アーっ、見せル映像、間違えてたヨ。本とはコノ後を見せナキゃいけなかったノニ―――

「……………」
どうやら俺は全く関係ないシーンを拝んでいたらしい。

でもよりによって悪夢(仮)が見せるものを間違えると言うことがあるのだろうか。
もしかしたらビデオ屋の店員とか、そんなものなのだろうか、悪夢(仮)って。
すげー間抜けな悪夢(仮)だ。

―――ちくしょー、マヌケ言ウなー!!おぼえテロ今回ノ夢は丸ごとキミの記憶カラ消しテやる〜―――

「記憶消されたら覚えていられないんですけど。」

―――えーいウルサイうるさいウルサーイ―――

ぱしっ

闇が俺を蔽い尽くす。
俺は更に深い眠りに誘われた。
夢すら見ることのない、深い眠りに。


目を覚ましたら、俺は何も覚えてなかった。




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