■ 夢姫〜ゆめひめ〜 / j1poul




【一日目(土曜日)】












夢。


これは夢だった。
なんとなくそれが判った。

先生が、何か言っていたような気がする。
多分、またこの目のことについて言っているのだろう。

この眼が見てしまうモノは、物の壊れやすい個所。
だから、眼鏡をかけなさい。先生が志貴を普通の人間にしてあげる。

「あらゆるモノを”壊してしまう”運命を握ることは、その人に大変な負荷をかけてしまうから。」

先生のくれた眼鏡。

「はい、よくできました。」
先生が誉めてくれた。
きっと、今までのことを誉めてくれたのだろう。
先生の言い付けを守って、必要なときにしか眼鏡は外さなかった。
よく考えて、それから行動した。

「でもね、志貴。」
先生は、ふと悲しそうな顔をした。
「貴方はまた―――――、近い――うちに。」
よく聞こえなかった。
「よく考えて、――から行動する―と。決し――――」
よく聞こえないまま、先生の声は離れ、そして消えた。



俺は目を覚ました。

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「――――おはようございます、志貴さま。」
いいかげん、この呼び方にも慣れてしまった。だけどやっぱりどこか落ち着かない。

―――目が覚めた。
何か夢を見ていた気がする。だけどもう、朝の光で霞のように消えてしまった。
翡翠は相変わらずベットの脇で身じろぎ一つしないで佇んでいる。

「おはようございます、志貴さま。」
部屋中に走る線。
無意識に、眼鏡をかける。それで不快な線は消えた。

「おはよう翡翠。いつも起こしてくれてありがとう。感謝してるよ。」
翡翠は相変わらず無表情を貫いている。だけど俺は、その無表情の下に隠された素顔を知っている。
ちょっとしたことで、すぐ感情が表に出る。

「――――――――」
かぁっ

今だって、ほんのちょっとした言葉でほんのり赤くなっている。
でも、嫌がってる様子はなく、心なしか嬉しそう。


さて、今日は土曜日だっけ。
夏休み直前とはいえ、学校は休んでくれない。
期末試験の結果に、みんな一喜一憂する。

俺はといえば、アルクェイドからの種々の妨害があったが、何とか赤点は免れた。
あれはあれで、じゃれ付いてくる子犬のようなものだ。
軽くあしらっているつもりでも、つい相手をしてしまう。
まあ、責任の一端は、あんなことをした俺に――――

「って、そんなとこで何してんだ、アルクェイド。」
窓の外を見たら、木の枝の上にアルクェイドが居た。

ぴきっ

翡翠のほんわか無表情が、一瞬にして鉄仮面無表情になってしまった。
手には、どこから取り出したのか、逆さに構えた箒を持っている。
完全な戦闘態勢だ。

箒の柄に、『対アルクェイド様専用、おじゃま虫駆除箒翡翠仕様』などと書かれているのは俺の気のせいに違いない。
おそらくは、アルクェイドが部屋に入ってきたら、問答無用で箒で叩き落とすつもりなのかもしれないが。

「おはよう志貴。今日もいい天気だね。」
険悪な翡翠の雰囲気など目に入らないかのごとく、アルクェイドは街中で自然に出会ったかのような挨拶を返してくる。

「アルクェイド様。何度も申し上げますが、そこは屋敷の入り口ではありません。」
「いいじゃない。わたしは志貴に逢いに来たんだから。玄関から来たら妹に会っちゃうじゃない。妹には用は無いわ。」
翡翠には一瞥をくれただけで、再び俺に向きなおる。

「でねでね志貴、今日は報告があってきたんだ。」
木の枝から窓の縁へ、身軽に飛び移る。と、

ぶおん

本当に問答無用で、翡翠の箒が振り下ろされた。

ばふ

顔面に命中。同時に、黒い粉末状の物がもわもわと広がる。
「きゃっ、なっ、なによこれ。べふっ、はっ、はっ、はくしょん!きゃあああああ。」
アルクェイドが窓から落ちてしまった。

べし。

今のは地面にたたきつけられた音だろうか。
俺は、 あまりのことにあっけに取られて声も出ない。

翡翠って、ここまでヤル人間だったっけか。

もしかしたら俺は、物事の上っ面だけしか見えていなかったのかもしれない。
これからは翡翠に対する認識をちょっと改めよう。

黒い粉末の正体は胡椒だった。
どうやら翡翠仕様というのは本気らしい。
箒の先に満遍なくまぶしてあったようだ。

何でわかったかというと、あの後さわやかな夏風が部屋を通り抜け、その牙の向きを変えた胡椒が俺達に襲い掛かり、俺と翡翠はアルクェイド と同じ目にあったからだ。
どうやら微に入り細に入り念入りに細かくした胡椒だったらしく、しばらくの間部屋中を漂いつづけ、そしてしばらくの間、俺と翡翠はくしゃ みに苦しまされることとなった。

「まだまだ改良の余地がありますね、これは。」
涙と鼻水で顔を赤くした翡翠は、そんなことをぽそっとつぶやいた。
頼むから改良なんてしないでくれ、そんなもん。



「で、結局、どういうことなんですか、兄さん。」
居間には、俺、秋葉、翡翠、琥珀、そして、アルクェイド。
完全に遅刻が確定したときの開き直りっつーのをを秋葉も学習したのか、午前8時を過ぎても余裕しゃくしゃくだ。
つまりは、俺に逃げ場が無いことを意味する。
ううう、兄ちゃん妹が学習してくれるのは嬉しいけど、ちょっと今回はまだまだ純情な妹でいてほしかったな。

今朝の騒ぎを聞きつけ、秋葉は事情の説明を俺に求めてきた。
何より部屋中が胡椒まみれなのだ。ちょっとやそっとの説明じゃ納得してもらえそうに無い。
かといって、このまま逃げ出したら翡翠が怒られるのは目に見えている。
俺が何とか頑張るしかない。

翡翠は、一見、申し訳なさそうにうつむいたままだったが、その心の内は定かじゃない。
一方アルクェイドは、一応大人しくしているが、目は翡翠への敵意を露にしていた。

秋葉は、アルクェイドに一瞥をくれた後、俺に向き直った。

怒っているときの秋葉は、ある意味とてもかわいい。
―――と思ってても、それを正直に言うと秋葉の怒りボルテージが上昇するのは経験済みだ。
今日の秋葉はいつにもまして気合が入っている。きっとアルクェイドがいるのが気に食わないのだろう。


ちらっ

秋葉の顔を盗み見る。

じろっ

なによっ、何か文句ある?…てなカンジで睨み返してくる。
「えーと秋葉、俺学校があるから。」
前言撤回。今の秋葉に正面きって向かう勇気は俺には無い。

「兄さん、学校にはもう体調が優れないため遅れると連絡をとってあります。急ぐ必要はありません。」
だけど一瞬にして退路も塞がれてしまった。
妹ながらここまで出来る奴だったとは。兄ちゃん嬉しいけど、今回はちょっと悲しかったな。

「ううっ」
ぢっと俺を見つめる視線×6
翡翠は相変わらずうつむいたままだ。

俺は観念して、事情を説明することにした。




一通り説明し終わったあと、今度はアルクェイドの「報告」とやらを聞く番だった。
そもそも、それが原因なのだから。

秋葉は、気分を落ち着けるためか、いつもの紅茶を口にした。

アルクェイドが、意味ありげな視線を俺に遣してくる。
そして、まるで子犬がじゃれ付いてくるときのような嬉しそうな表情で、話した。


「あのね、妊娠したかもしれない。間違いなく志貴の子だよ。」

ぶっ
バキャン

一瞬にして秋葉の手に持ったティーカップが有り得ないような擬音を出して砕け散った。
秋葉の髪が30%赤に変色して見えるのは、気のせいであって欲しい。
空中に飛び散った分や、まだティーカップに残っているはずの紅茶が一瞬にして蒸発したと感じたのも、俺の気のせいであって欲しい。
琥珀の持つお盆の上に何時の間にか包丁があるのも俺の後ろの翡翠のいる方向から冷気が漂ってきてると感じるのも絶対に気のせいであって 欲しい。

いや、まあ、やることはそれなりにやりはしたが、吸血鬼が妊娠したなんて話、聞いたことも無い。
第一、吸血鬼に月のモノがあって、血を流すなんて話はナンセンスすぎる。
もしかしたら聞き違いか?そうかそうだきっとそうに違いない。
よし、もう一度アルクェイドの言ったことを検証しよう。

俺の耳には、こう聞こえた。
『あのね、妊娠したかもしれない。間違いなく志貴の子だよ。』
俺の耳がおかしくて、聞き違えたのなら、これは間違いだ。正しい日本語に直さなければならない。
そう、例えば
妊娠→人参、間違いなく→マッチ買い置き無く

つなげると、
『あのね、人参したかもしれない。マッチ買い置き無く志貴の子だよ。』
…意味が通じない…。

まあ待て、アルクェイドはもともと海外の人間だ。日本語の表現がおかしいこともありえる。
ここは俺の日本語フィルターで文字列を変換してみよう。

『あのね、人参とマッチの買い置きが無くて志貴のことたよって来たの。』

これなら意味が通じる。そうだそうに違いない。
わははははは、何だアルクェイド、そんなことで悩んでいたんか。
大丈夫、遠野家なら人参だろうがマッチだろうが、ダンボール単位で抱えているに違いない。
なんでそんなもんが吸血鬼に必要なのかよく分からないが、きっと必要なのだろう。


「兄さん」
「志貴さま」
「志貴さん」

さすが女性陣。現実への立ち戻りが早い。
一瞬にして俺の意識は現実に引きずり戻された。

だらだらだらだら

俺の背中は、滝のような冷や汗が流れている。

やばい。
俺の、死を回避する本能が告げていた。
誰よりも死に近いところにいたため、死を回避する能力に長けている。
その俺の本能が告げているのだ。

―――ここにいたら、シぬ―――

「それはつまり、兄さんとこの人が、子供が出来るようなことをしたという事ですか。」
「そおだよー。あれだけ深く愛しあったもんねー、志貴。」

またアルクェイドは火に油を注ぐような真似をしてくれる。

やばい
やばいやばいやばい
やばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばい やばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばい やばいやばい

ここにいたら、間違いなく死ぬ。
そう思った矢先。

ぶおん
殺気!

俺は咄嗟に身を折ってかわす。
髪の毛をかすって、後ろから翡翠の箒が舞った。
その箒の柄に書かれていたフレーズが、マジックで『志貴様用、デバガメ駆除箒翡翠仕様、改』に書き換えられていたのが何故か見えて しまった。
俺って信用無いんだな…。

「外しましたか。でも次は容赦しません。志貴さま、動かないでください。」
鉄仮面無表情女と化した翡翠が、動かないのがさも当然のように話す。

ヤられると判ってて動かない馬鹿はいない。
そのまま転がるようにして居間の出口を目指す。

「逃がしません!」

ぶわっ

急速に展開される秋葉の檻髪。
瞬く間に部屋中を覆い尽くす。いや見えてなくても判る。
普段は目に見えないが、眼鏡を外せば見える。
だけど檻髪の対策は研究済みだ。

俺は左手で眼鏡を少しずらし、右手でポケットからナイフを取り出した。
ズキリとこめかみに痛みが走る。
「くっ―――」

すぐに、空中を赤い髪が波走っているのが見えた。

ザン ザンザンザン

痛みに耐え、空中に漂う赤い髪を、ナイフで切り刻む。
俺はそのまま居間を出ようとする。
しかし、俺をつけ狙うヒットマンはもう一人いたのだ。

「志貴さん、よけたら駄目ですよ。」
だからそんなことを言われて避けない馬鹿はいないって。

ひゅん

銀の煌きが、一直線にこちらへ向かってきた。
俺は咄嗟にナイフで迎え撃つ。

ガキィィィィィィィン ドスッ

俺のナイフに弾き飛ばされた銀光が、くるくると回転して天井に突き刺さった。
銀光の正体は、先ほどお盆の上にあった包丁だった。
俺は唖然として天井に突き刺さった包丁を見つめる。

あの…避けなかったらマジ死ぬんスけど、琥珀さん…。


「それじゃっ、行ってきます。アルクェイド、死にたくなかったら急いでここを脱出するんだぞっ。」
そう捨て台詞を残し、俺は居間を後にした。

天井に突き刺さった包丁が、びいぃぃぃん、びいぃぃぃんと間抜けな音を出していた。




「――――ふう。」
一時の休息。心のオアシス。学校にいる間は、少なくとも襲われることは無い。
学校にいる間に、今後の身の振り方を考えておかなくては。

アルクェイドが妊娠したとしたら、それはいい。
そもそもそうなるようなことをした俺が悪い。
ただ、秋葉以下翡翠と琥珀の機嫌を、どうやったら元に戻せるか、それが問題だ。

そういやアルクェイド、無事かなぁ。
あの凶暴化した3人と一緒にいて、無事でいられるとは思えないんだけど。
でも齢800年の、しかも真昼間から動き回れる吸血鬼なら、それほど心配は要らないかもな。


ちょっとマテ。
あいつは真祖と呼ばれる吸血鬼。これはいい。
俺は17。高校二年生。これもいい。
もしこのままアルクェイドが子どもを産んで、俺とあいつがリンゴーンでチャララララーンでハッピーラッピーな出来ちゃった結婚を したとする。
婚姻届には何と書きゃいいんだ。

俺。遠野志貴。1X歳。
あいつ。遠野アルクェイド。800歳。

夫婦の年齢差、780とちょっと。
「……………」

いやいやまてまて、逆だったらどうなるか。
あいつ。アルクェイド=ブリュンスタッド。800歳。
俺。志貴=ブリュンスタッド。1X歳。

夫婦の年齢差、やっぱり780とちょっと。

ちっとも解決になってないやんけーーーーーー!

はっ
いかんいかん、こんなことでは。
年齢の問題はひとまずおいておこう。もっと前向きなことを考えなければ。

そもそもあいつは市民権を獲得しているのか。不法滞在じゃないのか。
とすると入国管理局にバレた時点で強制国外退去。
父無し子にするわけには行かないから、俺も一緒に海外へ。
晴れて俺とアルクェイドとまだ見ぬ我が子は稼ぐ当てもなく路頭に迷い……。

「……………」

そうか、あいつは城を持ってんだった。
アルクェイドの城とやらに滞在させてもらおうか。
…城って、吸血鬼専用なのだろうか。
とすると一般人が使うようなベットなんて無さそうだから、俺はもしかして棺桶で寝起きをするのだろうか。




………
……………
ぎいいぃぃぃぃぃ、ばたん。
死の底から甦るような擬態語を発しつつ、棺桶が開く。
俺は白昼夢のような眠りから目覚め、涼やかな夜風を肌に感じる。
「こんばんわ、あなた。今夜もいい月よ。」
「こんばんわ、おまえ。今日もお前の瞳は月によく映える。愛してるよ。」


「それじゃ俺は畑を耕しに行くよ。夜のうちにやっとかないと、な。」
「それじゃわたしは山に狩りに行くわ。今夜の獲物も期待していてね。」
じゃきんっ
アルクェイドの爪が、窓から差し込む月光を受け煌く。

「……………」

うわあああああぁぁぁ!!
ダメだダメだダメだダメだダメだ、こんなんでは。

くっ、これが吸血鬼とささやかな幸せを築こうという漢が背負うべき宿業なのか。
神は俺に、一体どれほどの試練を与えれば気が済むというのか。

もんどりもんどりもんどり


「ったく、相変わらずだな、遠野。見ていて楽しいぞ。」
一人悶々とした想像にもんどりうっていると、有彦が話しかけてきた。

「有彦か…。ほっといてくれよ。」
俺は半ばやけになって応えた。人生の墓場を迎えた時に出る「ほっといてくれ」だ。
いつものやつより3割増しの威力がある。

「ああ、まあ、そんなもんだ。」
何がそんなもんなんだかよくわからないが、有彦の言うことにいちいち指摘しても疲れるだけだ。耳をそばだてている必要は無い。

そう。
有彦にも事情を言うわけにはいかない。
事情を話してしまったら、俺をつけ狙うヒットマン4号の誕生だ。
俺としては、そんな事態だけは何としても避けたかった。


「そうだ遠野。さっきシエル先輩が探していたぞ。凄い剣幕だったから、早く会いに行った方がいいんじゃないか。」
気を取り直し、たわいのない雑談で放課後の気分転換(意訳:現実逃避)をしていると、徐に有彦が話題を変えた。

先輩?
何だろう。
放課後なら教室か茶道部に居るかもしれない。
取り合えず部室に行ってみっか。



「遠野くん、覚悟はいいですか。」
いきなりそりゃないよ先輩。
コマンドー張りの迷彩カラー、いや数紋魔術。手には第七聖典。
黒光りする銃身は、いかにも「ぶっ放すぞ」というイメージが全面に押し出されている。


ずごごごごごごごごご

シャレじゃない雰囲気が先輩の周りに漂っていた。
なんかもー、問答無用ってカンジ。
どうやら先輩は既にヒットマン5号として活動をはじめていたらしい。

だけど 少々のことで動揺を見せてはいけない。
それは、非日常的な現実を生き延びる上で、絶対的に必要なことだ。
「あ、先輩、どうやら立て込んでいるようですね。すいません、お邪魔しました〜。」
俺はつとめて軽やかに、爽やかに話し掛ける。
ニッと笑った口からこぼれる白い歯の輝き。
この笑顔一発で氷山のように硬く凍った先輩の心も氷一個分くらい溶けた筈さっ。

すすすすす、ぱたん。

覚悟といわれても俺のほうの覚悟はぜんぜんよろしくないので、茶道部のドアを静かに閉める。
ふう、危ないところだった。
そのまま、何事も無かったかのように立ち去り―――――

殺気!

俺は瞬時に廊下に身を伏せる。その直後にそれはやってきた。

ばこぉぉぉぉぉぉぉぉん

壁が、一瞬にして吹っ飛ぶ。文字通り、跡形もない。
土曜日の放課後だったのが幸いした。周囲には直撃を受けたかわいそうな生徒は居ない。
それとも俺以外のひとが寄り付かないように結界でも張っているのだろうか。

だけどシャレになってない、マジでシャレになってないよ先輩。
結界張ってりゃ許されるって範囲をとうに逸脱してるよ。
それにこんなもん直撃したら痛いじゃ済まされないよ。


とにかくここに居たらやばい。
早急に立ち去ら、いや逃げなければ。

と、立ち上がろうとした矢先。

ちゃきん

後頭部に何か金属質の尖ったものが当たる感触とともに、先輩の声がした。
「何か言い残すことはありますか、遠野くん。」

隙のない声色。身動きひとつでもしたら、身体中を蜂の巣にされそうな雰囲気があった。
もはや身動き一つ立てることも出来なかった。
それほどに、先輩の殺気は凄まじい。

俺が「無い」と言ったら3秒後に俺は死んだ親父との面会コースに突入だろう。
いやもしかしたら「教えて!知得留先生!」のコーナーかな。このゲームだったら。
俺の命は不確実だけど、そのどっちかだろうことは自信があるぞ。

だからこの場面は、なんとしてでも先輩を買収…いや説得するしかない。
とりあえず無難なところでカレーパンだろうか。いやいや。


「遠野くん、何か言い残すことはありますか。」

「えーと先輩、念のために聞くけどさ、俺が襲撃される理由って、何?」
「そんな判りきったこと訊かないで下さい。私は教会の人間です。汚染されてしまった人…にあらざるモノを浄化するのは私の使命です。 遠野くん、あなたは…あなたは汚染されています。っ、うっく…遠野くん…、短い間でしたが、遠野くんとのひぐ…えっく…」

はらはらはら

ひとり自分の世界を築き上げているシエル先輩。瞳は窓の外を一心不乱に見つめ、口調は何故か悲劇のヒロイン調だ。
先輩の頭の中では、きっと第七聖典で貫かれている俺の姿が反芻されているに違いない。

…イっちゃってる。イっちゃってるよ先輩。

俺は心で悲しみとは違う涙を流す。
この先輩の精神世界の壁を崩すのはかなり難しいかもしれない。
…もはや何を言ってもムダって気がする。
でも一応俺の命がかかってるから言うだけ言わなきゃ。

「汚染されてるって、何で。先輩、俺…」
「言い訳してもムダです!全部あなたを通して判っていることですから。」
先輩はぴしゃりと言い放つ。

「俺を通してって、一体何が判ったって言うんだよ!」

「…かつてロアの転生体だった私は、ロアの魂を感じることが出来ます。日本に来たのも、ロアの魂を追ってのことですから。」

話しながらあっさりと泣き止んでるし。
うそ泣きだったのかもしれない。
いや、女の涙は出し入れが自由自在なのか。

「遠野くん、あなたはかつてシキに命を共融され、いわば人間として不完全な状態で、常に死と隣り合わせで生きていました。 遠野くん、本来ならあなたは子供時代に死んでてもおかしくない状態だったはずです。」
「ああ、だけど秋葉が俺に命を分け与えててくれたおかげで、俺は生き返った。魂が半分だから、俺も秋葉もまさしく不完全な状態 で生きてきたんだ。」

「シキは、私の次のロアの転生体でした。けれども、覚醒した時点でその魂はあなたの物が使われている。…私は、ロアの転生体として 、遠野くんの魂を感じていたのです。」

先輩は続ける
「ロアは遠野くんの『直死の魔眼』の能力で完全にこの世から消滅しました。すると、共融されていた魂は開放され、元の肉体に帰ります。 そして、私は遠野くんの存在を…ロアの転生体を感じる能力のおかげで、感じることができるのです。」

「えええっ!そっ、そうだったの?」
初耳だ。

「そうです。私と遠野くんは、いわば魂によって結ばれています。普通に考えたら、それは赤い糸で結ばれた運命の相手と言うべきもの じゃないですか!その私を差し置いて、何ですか!あんな女と、ごにょごにょ…な事をして!」

……………
論理の飛躍だ。
先輩はやはり今朝の出来事を怒っているらしい。
先輩には俺を感じる能力があって、それでどうにかして今朝の出来事を知ったのだろう。
先輩は俺を運命の相手と思い込んでいるから、それが許せない、と。

むかっ

ああ、なんかもう、腹立ってきたぞ。
何で俺がこんな目に合わなくちゃならないんだ。
こうなったら、先輩にがつんとキツイのを一発―――

じゃきん
先輩は再び第七聖典を構えなおす。

―――はやめて、穏やかに話し合いの道を模索しよう。



とにかく、先ずは現状を打開しうる案を検討しよう。前向きに。
候補として、以下の3つくらいはあるかな。

@先輩を口説き落としてなんとかする。
A逃げる。
B秋葉たちを呼んで代わりに闘ってもらう。


@先輩を口説き落とす、を選んだ場合。

気は優しくて俺より力持ち。
チャームポイントはちょっとズレて掛けられているメガネ。
照れた笑い方がとっても素適です。
が、
第七聖典なんのその。
得意技は黒鍵を用いた人体発火現象と、斬っても突いても死なない体。
夫婦喧嘩は先ず勝てません。即効殺されます。
…な、嫁さん二号誕生。

「……………」

ま、まあ、まだ選択肢は二つ残っているんだ。
もしかしたらそのどっちかで生き残れるかもしれない。


A逃げる、を選んだ場合。

問答無用で背後からズドン。
多分その時の描写も3行足らずで終わってしまうに違いない。
その後の「教えて!知得留先生!」ではきっとこう言われるんだ。
『あ〜、その選択肢はダメですね〜。女の子を見捨てて逃げてはいけません。ゲームを最初からやり直しましょう。』

「……………」


B秋葉たちを呼んで代わりに闘ってもらう。

一見互角に見えるが、実はそんなことは無い。
よく考えたら秋葉たちも俺の命を狙ってるんだから、

『本来であれば貴方のような人と組むのは不本意なのですけれど。』
『ええ、やむを得ませんね。ここは、わたし達共通の敵を排除する方が先ですね。』

じりっ、じりっ、じりっ

「ま、待ってくれ俺にも弁解の余地をぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
……………

…などという結果になりかねない。


マルチなバッドエンディングだ…。てゆーかバッドエンディングしかないやん。
本編で虐げられてた弓塚の気持ちがちょっとだけ分かったような気がする。
ごめんね弓塚。もっと優しくしてやりゃよかったよ。


「…遠野くん、大丈夫ですか。」
先輩が心配そうな顔を向けてきた。どうやらまた俺は遠いところに行っていたらしい。
命を狙ってるくせにヘンなところで先輩も頭にヒヨコ飼っていたりする。


もーヤケだ。こうなりゃ当たって砕けてやる。

「先輩…、俺、生まれる子を父無し子にしたくない。」
「……………………」
「確かに、俺は取り返しのつかないことをしたのかも知れない。だけど今更、過去の出来事を悔やんでもしょうがないと思う。」

「……………………」
先輩は表情を出さない。
「正直に言えば、俺は生まれてくる子を見てみたい。」

「…遠野くん、私は貴方を撃ちます。」
「先輩は大切だけど、でも、引くわけには行かない。」

「避けなければ、死にます。子供にも、逢えません。」
「先輩はそんなことはしない。」

「撃つと言ったら撃ちます。」
「大丈夫。」

「……………………」
「……………………」

どれほど見詰め…いや睨み合っていただろうか。
「ふう、やっぱり遠野くんには敵いません。」
先輩は第七聖典を下ろし、いつもの笑顔に戻った。

「遠野くんの本気がわかっちゃいました。私にはもう撃てません。」
「先輩、それじゃあ!」
「はい、応援しちゃいます。頑張って、いいパパになってください。」
「ありがとう先輩。」
「礼を言うほどのことではありません。それ以前に、私は貴方に酷いことをしたんですから。」
確かに酷かった。
「いいよそんなの。それよりも、先輩の理解が得られたのが嬉しい。」
「ふふふ」


――――――――――――――


見ツケタ。
居ル。コの街ニ居ル。
あノ女ガ。
臭イを感ジル。
居ル――――――。
許さナイ、ボクと、アノ人の繋がりヲ奪っタ、アの女。

アノ人を追っテ偶然に見ツケタだケだけド、ちョウドイイ。
アノ女ハ、殺ス―――――――――

何者かの気配。
教会から、『追跡者』とよばれたそれは、今静かに、街に辿り着いた。


日も差さない、路地裏。

イる。
だケど、ココニハ気配ガあルダケデ、アノ女は居ナイ。


ある豪邸の前。
居ル。
ダケど、ココには気配がアるだけで、アの女ハ居ない。


交差点。
居る。
チョット前マデ、ココニ居タ気配がアル。


焦ルコトはない。いツカハ追イつク。
何故なラボクは、追跡者だから――――――――。


――――――――――――――


先輩を説得し、自信もついて意気揚揚と帰路につく志貴。

この勢いで秋葉達も説得できれば…いいなぁ。
でもちょっと弱気だ。


おぎゃぁおぎゃぁ


どうやって説得しようか。
取り敢えず失敗した場合をちょっと想像してみる。
物事は常に最悪のケースも考慮に入れて検討するべきだ。

@翡翠説得に失敗した場合

考えられる事態:
・朝起こしてもらえない
・俺用の箒ではたかれる
・口をきいてもらえない

う〜ん、あまり死にそうな目にはあわないかな。
口をきいてもらえないのは痛いかもしれない。
でも確実に、翡翠エンディングだけは迎えられそうもないな。


…ぎゃぁ


A琥珀説得に失敗した場合

・食事を作ってもらえない
・料理の食材として利用される
・薬漬けで動けなくされてからサれる

…翡翠よりタチが悪いかもしれない。
特に食事が出来ないのが痛すぎる。
琥珀エンディングどころか、明日の命も持たないかも…。


…ぎゃぁおぎゃぁ


B秋葉説得に失敗した場合

・略奪の能力で、俺がヘンなことが出来ないように精力を根こそぎ奪われる
・ティーカップが砕け散るほどのパワーでぶっ飛ばされる
・血ぃ吸われる

「……………」
…なんか今日は無言が多いな。

ああもうどうしよもう家の前じゃんか。


おぎゃぁおぎゃぁおぎゃぁおぎゃぁおぎゃぁおぎゃぁおぎゃぁおぎゃぁおぎゃぁおぎゃぁおぎゃぁ


えーい、何だよこの泣き声は。
考えが纏まらないやんか。

そして振り向いた俺が見たものは。

あからさまに怪しいダンボール箱が一つ。
目をしばたたいてみても一つ。


その中には―――

赤ん坊が―――

居た―――



『妻は赤ん坊を産んで半年で他界し、以来なんとか一人でやってまいりましたが、とうとう私も一身上の都合により左遷され、 子どもを養っていくことができなくなりました。名前は"愛印 蹴太院(あいんしゅたいん)"といいます。どうか可愛がって やってください。』

ぷるぷるぷるぷる
手紙を持つ手が震える。手紙は、赤ん坊と共に添えられてあったものだ。


つまりこの子は、

捨て子

だった。



――――――――――


「…………………」
秋葉、沈黙すること数秒。

ズゴゴゴゴゴゴ
続いて、どこからか振動が。

「に・い・さ・ん、説明して、いただける、か・し・ら〜。」
「ま、待て、秋葉。お前、絶対に誤解している。」

妹が本気で切れた姿を見るのはこれで二度目だ。
赤ん坊を拾って帰ったら、何も言わずぶち切れた。

「問答無用です!!」
聞いておいてそりゃないよ。

ずがーん

秋葉の傍にあった大理石のテーブルが砕け散った。

「まて!秋葉!、この赤ん坊はひろって―――――」

ずがががーん
ぎゃぁぁぁぁぁぁ〜

その夜、俺の悲鳴が、遠野家に木霊した。



その後復活した俺が赤ん坊と共に託されていた手紙を見せ、俺の子供じゃないことを納得させたうえで、赤ん坊の今後を話し合った。
まず、親を探す。
遠野の財力を持ってすれば、それほど時間もかからずに見つけられるだろう。

その間、赤ん坊は遠野家で育てることになった。
養護施設では赤ん坊が可哀想との、秋葉の意外な一言が決め手だった。


食堂。

「いや、それにしても秋葉があんなに怒るとは思わなかったな。」
「も、申し訳ありません。兄さん。わたし、つ、つい、あの人の子かと…」
「あの人って、アルクェイドのことか?」
「吸血鬼だから、生まれるのも早いのかと…」
「……………………」
何故だろう、俺の箸を持つ手が震えるのは。


ぴんぽーん

俺が食堂で家族の信頼と絆に疑問を持ちはじめたとき、玄関のチャイムが鳴った。

「やっほー、志貴。」

にぎにぎ
指先を曲げるだけのヘンな挨拶。

アルクェイドだった。正面から入ってきたのは、翡翠に言われたからか。

「どうしたんだ。もう夕食時だぞ。」
アルクェイドは、にこっ、と意味ありげな視線を俺に送ると、

「うん、あのね、赤ちゃん連れてきたよ。」
…またそんな爆弾発言を言ってくれる。

びききっ
俺の後ろで秋葉が触れていた壁に、大きなヒビが入った。


居間。

アルクェイドは、後ろ手に、何かをやわらかい絹の布で包んでいる。

「もったいぶらないで早く見せろよ。」
正直言って俺は気が気じゃない。
今はちょっとだけ心がどっかに旅立った秋葉が、いつ何時戻ってくるやもしれないのだ。
翡翠、琥珀の無言の視線がマジに痛い。


アルクェイドは、後ろ手にもったものの布を向いていく。
そこには
「じゃーーーーん。ねえねえ志貴、これをみてよ。志貴の子供だよ。」
近所の野良猫がいた。

「――――――――へ?」
見事にお腹が脹れている。生む寸前なのだろうか、動作がどことなく気だるげだ。


なにか、とてつもないことを、
当然のように、アルクェイドは言った。

「ちょっ―――おまえ、なに言ってるんだ、いったい。」
俺は猫族だったのだろうか。
いやそれ以前に猫と関係を持った記憶なんて無いぞ。

「なにって、妊娠した猫。公園のトラ猫”志貴”とのこどもができたんだよ。」
その”志貴”とやらはどこのどいつなんだよ。

「…アルクェイド、一つ聞くけど、妊娠したってのはその猫のことか。」
「うん、そおだよー。公園に住み着いているトラ猫の志貴と、激しく愛し合ってたもんねー。」


そうか。
つまりはそういうことか。
おれはこんなたわいも無い冗談から、今日何度も死ぬような目に会ったってのか。

ぼかっ

「いったーい!何すんのよ、志貴!」
とりあえず問答無用で一発殴った。だかそんなもんじゃ俺の気が納まらない。
おれはアルクェイドにそっと耳打ちした。

「えっ、なになに、面白い話?」
アルクェイドは直前に殴られたことを忘れ、子犬のように擦り寄ってくる。

俺は目いっぱい息を吸い込むと、叫んだ。
「紛らわしいことすんなっっっっ、このばか女ーーーー!!!」

ばかおんなー、んなー、なー

俺の絶叫が屋敷にこだまする。


―――――――――――――――――――――――――――


夢。


さむい、夜。
ひゅうひゅうと、風が、通り過ぎる。

見渡す限りの、草原。
遠くには、山並。

空には、雲ひとつ無く、
まあるい月に、俺が照らし出されていた。

城が、あった。
中世の城のよう。
跳ね橋は、上がっている。
月が、塔のてっぺんにさしかかっている。

城の後ろに、湖があって―――

夢の中で、俺は夢を見ていることを自覚していた。
なんとなく漂う非現実感。
夢を見ていながら、夢からの目覚め方を忘れたような感じ。

「草原」と「山脈」と漠然とした「城」。
まさに俺の潜在意識の奥底から出てきたかのような、シュールな風景。

夢の中までも俺って殺風景なんだなと半ば自嘲してしまう。

「さむ、い――」
夢の中なのに、”寒い”と言う感覚があった。
いや、寒暖の間隔を感じるのは結局は脳なのだから、脳の中の世界―夢の世界は
日常感じ得る感覚を擬似的に再現することもありうる。
俺は、頭の中で”寒い”という感覚を擬似的に反芻しているに過ぎないのだ。

現実の、感覚で、あるはずがない。

だが、ここは、どこだろう。
俺の潜在意識から構成されていることはなんとなくわかる。
ただ、その風景が今まで見た事もないものだってだけなのだが。
ここは、この風景は、何故存在するのか。
何故に、こんな夢を見るのか。

俺は、何時の間にか、その見たこともない風景の中に居た。
「ここ、は――」
記憶にない。

これは、俺の、夢だ。
だから、夢の世界の登場人物は、俺が意識、想像した通りにしか動かないはずだ。

だけど、モしも―

もしも、コノ世界は、ダれかと共有している世界で、誰かの意識ガ俺の意思ト関係なく
動く世界だっタラ―


城の後ろに湖があり、全裸の少女が腰まで水に浸かっていた。

―少女が、いた。
少女とわかったのは、その娘が全裸だったから。

ずっと水面を見つめていた少女が、俺が近づくと、不意に顔を上げた。
緑髪、碧目。
まだ少女といっていい面影。
顔をこちらに向けてはいるが、目の焦点は合っていない。
その視線は、俺を突き抜けて遥か後方を見つめているようだ。

誰だろう。
俺には全く記憶の無い娘だ。
何故湖に浸かっているのか。
そもそも何で俺の夢に登場するのか。

ぱきっ

俺の足元で、枝が折れた
すると、それまで俺を認識していなかった瞳が、俺に焦点を結ぶ。
少女の瞳が、俺を捉えた。

「だれ。」
少女は今度こそ俺を認識し、声をかけてくる。
「あ、いや、ごめん。邪魔するつもりは無かったんだけど。」

俺の、夢の、筈なのに。
少女は俺の意思とは無関係に動いていた。

「キミ、だれ。」
少女は思い出したように両手で胸を隠す。

「キミ、なんでここにいるの。ここはボクの世界だよ。他人が入ってこれるはず無いんだよ。」
何を言っているのだろうか。この少女は。
これは俺の夢だ。だからここは俺の世界だ。
俺は少女が全裸であることも忘れ、少女に反論した。

「君こそ誰だ。ここは俺の夢だ。」

―――感覚ノ共有―――

ふと、この世界に第三者の傍観者がいて、俺らに語りかけているような感じがした。

―――カん覚のきョウ有―――

もう一度。

―――夢ヲ、夢と、繋グ、だケ―――

夢を夢と繋ぐ?感覚の共有?
頭の中に語句が浮かび上がってくる。誰に言われるでもなく。
例えるなら、小説を読みながら、語句を頭の中で反芻しているようなものだ。

見て、読んで、反芻して、初めて文章としての概念を理解する。
文章の意味だけを概念として受け止める小説の読み方は、まず出来ない。

そのときの感覚に似ていた。
頭の中に、ポッと、単語が思い浮かぶ。
何かが、言った事を俺の頭で反芻させてるみたいだ。


「…ボクはカイ…カイン。キミは?」
「えっ?」
「だから、なまえ。」
「あ、ああ。俺は、遠野志貴。」

「…どうやら同じ夢を見ているみたいだね。」
「…ああ。」

感覚の共有。
俺達は、誰に言われるでもなく、それが真実だと判った。

と、俺は少女が全裸だったことを思い出した。
夢の中で俺が作り出した偶像などではなく、この世のどこかに存在している、確かな人格なのだ。相手は。
「うわっ、たっ、ご、ごめん。気が付いたらここに来ていたんだ。ほんとにごめん。今すぐ消えるから。」
俺は身を翻す。
「まって。」
と、少女は俺を呼び止めた。

「キミ、なんか懐かしい匂いがする。」
少女は、全裸であることにも躊躇せず、湖からあがって俺のまわりを歩く。

くんくんくんくん

なにごとか俺の臭いをかいでいる。
…ものすごく誰かを髣髴させる行動だ。

やがて少女は俺の正面にまわり、俺の眼を見つめる。

「キミ、だれ」
少女は三度聞いてきた。

「だから俺は、遠野志貴。ただの高校生だよ。」
「ううん、違う、そんなんじゃない。」

少女は、俺の言葉を否定する。
そして、何事か考え、何事か結論付けたようだ。

「そっか、そう。きっとそうなんだね。あは、やっと見つけた…。やっと追いついた!」
満面の笑みを浮かべ、少女が抱きついてきた。
「ちょっ、お、おいっ。」
「やった、やっと見つけた。見つけたんだ!」

「ずっと探していたんだ。ロア―――」
「なっ―――」


夢は、そこで、途切れた。



――――――――――――――――――――――――

夢。


その街は、汚染され尽くした。
住人の全ては吸血鬼の僕と化し、街には生物が居なくなった。

昼は静寂の坩堝。
夜は闇の住人が徘徊する。

私は、死者どもの主として、この街に君臨していた。

ここはヨーロッパの一国。
私の名前は、ロア。
永遠の命題を求めてやまない者。


―――オまえは、許さナい―――


暗転。

17代目ロアとして、アルクェイドに殺された後、わたしは死ねなくなった。
殺されて、殺されて、それでも生き返る。
やがてわたしを殺すことに飽きた人たちは、わたしを殺すかわりに洗脳することを思いついた。

暗転。


―――ユるさなイ―――


教会の人間としてロアを追いつづける途中で、わたしは一匹の狼に出会った。
いや、それは正しくない。
狼は、既に狼でなくなっていた。

不浄なるものは全て滅す。
ゆえに、わたしは狼を封印した。


―――…イ―――


場面が変わる。
時代が変わる。
国も変わる。


ここは日本。
わたしは高校生を演じていた。
ごく平凡な日本の高校。
そして、
遠野くんが居る町。

「おはよう先輩。」
「おはよう遠野くん。きょうもいい天気ですね。」
ごくごく平凡な日常。
なにものにも替え難い日常。

「先輩、今日の昼…ガ…かレーたべ……ギッ、ギギ………ヨね。」
「と、遠野くん!?」
「ギッ……ガッ……」
「遠野くん!どうしたんですか!しっかりしてください!」

遠野くんは死んでいた。
いや、わたしが殺した。
わたしが、汚染したのだ。


死者は冥界に。
不浄なるものは許すべからず。
それが、教会の掟。

だから、わたしは
遠野くんを、滅ぼした。


―――そんなっ!―――

「―――嫌ですっ!遠野くん!死なないで下さい!!わたしの―――」

わたしは、自分の声で目を覚ました。
ここは、わたしの部屋、自分のベッド。


「―――夢、ですか。」

ふう
わたしはほっと一息ついた。そして感じた。

くんっ

微かに漂う何者かの臭い。
いや、臭いではない、何者かの、気配。
先刻まで、きっとここにいたのだ。

「―――夢魔。」
それ以外、あんな夢をみる理由が無い。


「―――もしかしたら、何か悪いことの前触れなのかもしれません―――」
わたしは、そっと呟いた。



夜は更けていく。




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