Prelude
奈須きのこ

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)|現代最高峰の魔術師《ザ  ・  ク  イ  ー  ン》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)やややりすぎ[#「やりすぎ」に傍点]のきらいはあるが、
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   Prelude Ⅰ


0.

 死徒ルヴァレ。
 ノルウェイの霧に潜む、齢五百年を越える吸血鬼。
 空席となった二十七祖、その十位をじき受け継ごうという大貴族。
 生け贄の血を搾取し続けた事、およそ五千命。感染による被害の拡大を入れればその数倍。親族の質も数も、重ねてきた外道魔道も、超越者の中の超越者を名乗るに相応しい不死の怪物。
 その一門の中枢が、この、朱月に照らされた古城だった。
 通常、彼ら死徒の根城は人に発見できるものではない。闇に影に、良識への憧れ、禁忌への畏れによって覆われた彼らの魔城は、招かれた者にしか姿を現さないからだ。
 幾重もの結界、強大な魔力によって隠された聖域。
 自然すら欺く不可視の守りは、妖精たちの住む異界に近い。
 死徒ルヴァレの城とて例外ではない。この湖は祖の魔城には及ばないものの、幾度となく異端討伐の軍勢をかわしてきたまやかしの城。決して脅かされる事のない不滅の証だ。
 五百の年月そうであったように、それは、これからも変わらぬ繁栄と城主は信じて疑わない。

 ――滑稽にも。
 彼女の率いる大隊が、その歴史を無に帰すこの夜まで。


1.

 幾つもの人影が、湖に浮かぶ古城を取り囲む。
 数にして五十。この魔境にそれだけの人間が現れた事はこれが最初であり、最後だった。
「右翼三隊、結界基盤に侵入完了。左翼指揮補佐、城内の索敵終了。各自、魔術回路の秒針を合わせろ。10、6、3、0、状況完了。――よし。副官に定刻通りと伝令を」
 湖を包囲した魔術師達には一糸の乱れもない。その在り方は魔術師というより軍隊のそれだ。自己を排した無個性な集団。その実、その全てが協会において一部門を任されるだけの魔術師である。
 故に、その名をクロンの大隊。
 五十の数で大隊を名乗るのは誇称ではなく、むしろ謙虚に過ぎると言うものだろう。
「――湖一帯の術式を掌握いたしました。結界の逆相には半刻。土地ごとの消去をお望みなら、一時間ほどで開始できますが」
 大隊を束ねる副官が、傍らの少女に指示を求める。
 完璧な勝利か、徹底した殲滅か。
 城に進行し闇に潜む吸血鬼どもを一匹残らず消し去るか、それとも――戦闘など行わず、この土地ごと一切を無に帰すか。
 結果は同じであるが、より確実なのは後者だ。古城を取り囲み、優れた陣形を組み上げたところで敵は百年単位吸血鬼。万が一にも獲り逃がす事もある。
 やややりすぎ[#「やりすぎ」に傍点]のきらいはあるが、ここで土地ごと地図から抹消してしまう方が大隊の方針に添おう。この城を発見するまで数年を費やしたのだ。ここで吸血鬼どもの頭を逃し、次なる隠れ家に逃げ込まれては意味がない。それを、

「どちらも有り得ません。恥を知りなさい、副官」

 少女は、一言に切り捨てた。
 そのような愚考、思慮する事さえあるまじき行いだと。これは異端討伐ではない。威光を示す為の巡礼なり。いかに力をつけようと、祖ですらない吸血鬼に従者を使うなどもっての外。哀れな虫一匹ならばこそ、少女自らが慈悲をもって踏み潰さなくてどうするのか。
「始めます。貴方たちは城壁の警備を。決して、一頭も逃さぬように」
「バルトメロイお一人で……? しかし、それは」
 大隊の魔術師たちは少女に絶対の信用[#「信用」に傍点]を置いている。彼女の技量ならばルヴァレの一族、その全てを溜息まじりで殲滅できると理解している。
 だが、その事実と殲滅の方法は別の話だ。
 大隊は常に効率的な運営を良しとする。少女一人では半刻ほど。しかし大隊でかかればその半分で事足りよう。戦闘とは、その過程においても勝利していなければならない、というのがバルトメロイの不文律ではなかったか。
「間違えぬように。これは試練や、ましてや戦いなどではありません」
 大隊を湖に残し、少女は湖面を歩いていく。
 数百年、ただの一人も人間を通さなかった城門を、腕の一薙ぎで破壊する。
「時には戯れるのも我らが務め。狩りは優雅に、愉しみながら行うものです」
 眉一つ動かさず。その瞳に冷たい憎悪を宿して、少女は侵攻を開始した。


2.

 時計塔には、一人の若き女王がいる。
 名門バルトメロイの今代当主。魔法に至らぬとしても、魔術だけで奇跡に指をかける才能の結晶。魔術回路のみなら学長すら凌駕すると言われる、いと気高きローレライ。
 文字通り時計塔の頂点に君臨する彼女には、しかし、拭いがたい悪癖があった。
 否、これは彼女ではなく、バルトメロイの宿痾と言うべきか。
 彼らは例外なく吸血鬼を敵視している。
 理由なき敵意は人間としての尊厳か、貴族としての誇りからか。バルトメロイの当主たちは率先して死徒の討伐を行い、その習わしに添うように、少女も吸血鬼の殲滅に時間を割いた。
 誰よりも病的に。時に院長補佐の責務を蔑ろにしてまで吸血鬼――死徒と区分される吸血鬼たちを滅ぼしてきた。
 少女自身、理由の分からない憎悪から。
 それは歴代のバルトメロイ当主に勝る執着であり、彼女自身、制御のできない感情だった。

     ◆

 城の本館。たまたま追いつめた十八頭目の獲物が、死徒ルヴァレと呼ばれるモノだった。
 一連の展開は、今までの雑種に比べればようやく〝戯れ〟になったと言えただろう。戦闘と呼べるものではなかったが、とりあえず退屈はしなかったのだから。
「無様な、わざわざ赤月まで待ってこの程度か。所詮|人蛭《ひとヒル》。五百年、無為に過ごしてきたのですね」
 死徒にとって月の赤い夜は絶世を迎える時だ。吸血鬼退治に特化した教会の代行者たちも、赤月での戦いは行わない。
 その禁忌を破り、なお蹂躙するがバルトメロイ。
 |現代最高峰の魔術師《ザ  ・  ク  イ  ー  ン》、単身で二十七の祖各々に匹敵する聖女である。
「――うむ?」
 その聖女の鞭が、わずかに迷う。城の上階から強い魔力を感知したのだ。それは目前の死徒と同じものであり、より強力な吸血鬼の気配だった。
「お、お助けを、お父さま―――!」
 その一瞬の間に、少女は死徒《ルヴァレ》の逃走を許してしまった。
 瀕死とは言え百年単位の死徒。それ程度の底力は見せたらしい。
「……無礼な。私から、逃げるなんて」
 不愉快げにこぼしながら、少女はあくまで優雅に、狂走する死徒より早く廊下を歩いていく。
 その唇は、先ほどより少しだけ、楽しげに歪んでいた。


1/2.

 同刻。

「我々より先に、城に入った者がいると?」

 大隊を少女より任された副官は、信じがたい報告を受けていた。
「事実か。事実だろうな。侵入経路はなんだ。ルヴァレの馬の臓《なか》? 奴らの馬車に潜んでいたと?」
 侵入者とやらは、城に招かれたルヴァレの血族たちに紛れて侵入したらしい。馬車を牽く馬のはらわたに身を隠して。
 よくある手だが、死徒の馬ならば獣と言え魔物。それを制する時点で、まっとうな人間ではあるまい。
「……しかし、その方法では中に入った時点で人間だと気付かれる。バルトメロイ入城まで動きがなかった以上、ルヴァレは侵入者に気付いていなかった筈。と、なると――」
 その侵入者は、死徒《や つ ら》と同種に見るべきだ。魔術師や代行者でない。人間である以上、吸血鬼の鼻は誤魔化せないのだから。
 つまり――この侵入者は、単独であり、死徒でありながら、ルヴァレに敵対する者である。その条件に合う〝死徒〟は、たしかに一騎、存在する。
「バルトメロイに報告を。城の闖入者は死徒……二十七祖の一人[#「二十七祖の一人」に傍点]である可能性が高いと」
 少女の力量ならば、既に他の客がいる事など察していよう。だがその正体は遭遇するまでは掴めまい。出来ないのではなく、あの少女は索敵や調査といった瑣末事を好まないのだ。
「どうした、不思議ではあるまい。ルヴァレは空席となった十位を継ごうという死徒。祖のいずれかが訪れる事もあろう。報告を急げ。戯れが過ぎるとバルトメロィに火が入るぞ[#「バルトメロィに火が入るぞ」に傍点]」
 しかし。どうも、報告はそれだけではないらしい。
 魔術師はいっそう首をかしげながら、
「それが……もう一つ、おかしな事が」
 大隊の一員にあるまじき間の抜けた台詞で、たった今見てきた、見た事もない魔術の痕跡を報告した。


3.

 城の上階。死徒《ルヴァレ》を追いつめた寝室で、少女は二人の悪鬼と遭遇した。
 夥しい憤怒の呪いに身を包んだ黒影。
 長剣と長銃を携えた、いまだ人間の匂いを残す、|血に痴れた吸血鬼《ブ ラ ッ ド ・ ド ラ ン カ ー》に。
「ひ、ち、父上……!」
 黒い吸血鬼の前には、半身を断たれ撃ち抜かれた死徒《ルヴァレ》の姿。
 男女の違いはあれ、それが先ほど自分が追いつめた死徒と同じモノ[#「モノ」に傍点]だと認めた瞬間、
「風よ―――!」
 少女と黒い吸血鬼は、互いが、この城における最強の敵と認識した。

 咆哮をあげるが如く回転する少女の魔術回路。
 怨嗟をまき散らしながら振るわれる黒い長剣。
 古城を切り取る真空の魔術《や い ば》。
 弾かれ裂かれながら、狂風を刀身で飲み込む黒影。
 次いで、響き渡る四連射。
 迫る魔弾を、白銀の輝きで防ぐミスリルの聖外套。

 攻防は一瞬。
 交差した一撃の威力は城壁崩しに匹敵する。
 寝室は少女の魔術の一薙によって切り取られ、テラスと化した。
「――、魔術師か」
 カシン。黒い吸血鬼は手首のスナップだけで長銃の弾倉を開き、排夾し、魔剣を次の形態に移行させる。少女ですら眉をひそめる呪いに身を浸しながら、黒い吸血鬼の眼光は理知としたヒトのソレだ。
 否、むしろ怨嗟こそが我が理性と。
 怨念がなければ正気ではいられぬその姿は、まさに、復讐鬼の名が相応しい。
「――エンハウンス。死徒殺しの吸血鬼」
 その噂が広がりだしたのはつい最近の事だ。
 死徒を殺す死徒がいる[#「死徒を殺す死徒がいる」に傍点]。
 死徒同士の戦いは珍しい事ではない。彼らは支配圏の塗り替え、戯れの勢力争いを娯楽としている。死徒が死徒を倒す事は、彼らにとっては悪ではない。滅ぼし、滅ぼされたところで吸血鬼の数に変化はないのだから。
 だが目前の男は別だ。
 コレは吸血鬼そのものを滅ぼす。頭を潰し、血族を皆殺しにし、領地をすべて焼き滅ぼす。
 その在り方は少女や代行者たちに近い。死徒にとって〝死徒を滅ぼす〟為の闘争を行う者は、彼らにとっても度し難い裏切りなのである。
 それがこの黒影、死徒エンハウンス。
 二十七祖の一人として現れた、主殺しの復讐騎。
「……一番乗りだと思っていたが。私は二番手だったのか」
 だが。その魔物すら、少女を恐れさせるには至らない。エンハウンスの力は分かった。それなりに強力だが少女には及ぶまい。せいぜいルヴァレの二倍強。二十七祖たちが持つ超抜能力もない。その程度の平凡さでは苛立ちすら浮かばせられない。
 少女の癇に障るものがあるとすれば、それは、一番乗りが自分ではなかったという点のみだ。
「いえ、それは許します。今回はほぼ同着――私の前に出なかった事を感謝しなさい、吸血鬼」
「……………」
 黒影は答えず、先ほどまで追いつめていた死徒を捜す。
 巻き込まれて四散したか、運良く逃げ延びたか。
 答えは、忌々しくも後者だった。
「逃げ足だけは一流のようですね。――こうして。|詰め《チェック》の前に、野良犬の助けがあったとしても」
 少女の標的はとうに変更されている。
 闖入を許しはした。だが狩りの邪魔を許す気はない。少女は魔眼に火を灯し、目前の吸血鬼に照準を合わせ、

「―――奴らは、親子[#「親子」に傍点]だ」

 黒い吸血鬼の言葉を、一瞬で理解した。
 両者、弾け合うように走り出す。
 少女は死徒が逃げ出した先――尖塔に続く回廊を。
 黒影は吸血鬼らしく、外壁を這う蜥蜴のように尖塔へ。
 その決断の早さ、的確さ。少女には強者の誇りと慢心と、それらを切って捨てる冷徹さがある。
 奴らは親子だ、という言葉の意味。
 死徒ルヴァレは既に後継者を選んでいた。
 少女が追いつめたルヴァレは娘であり、黒い吸血鬼か追いつめていたルヴァレは息子だったのだ。
 一人一人では取るに足りないのも頷ける。奴らは力を分け与えられたばかりの幼子。真に狩るべきはその父であり、同時に――彼ら親子が揃えば、わずかではあるが、今の少女の戦力に迫る。
 血分けをした死徒の力は足し算ではなく掛け算だ。今は復讐騎より死徒ルヴァレの消滅が優先される。
 だが間に合うまい。
 少女は狩りが戦いになった事を受け入れながら、元凶の潜む尖塔に踏み込んだ。
 そこには、やはり。

「―――、え?」

 寄り添うように、眠るように。
 一切の出血もなくバラバラに死に絶えた、無惨な、三人の死徒《お や こ》の亡骸があった。


zero.

〝――今夜、死神が現れる〟

 親祖ルヴァレの元に予言が届いたのは、バルトメロイが現れる三時間前の事だった。
 殺し合い、消滅を繰り返す二十七祖が今も健在な理由。それは予言者の役割をもった祖がおり、彼女が常に死徒たちに死を予告し、すみやかに後継者を作らせている為だと言う。
 その予言を前にして、ルヴァレは笑った。
 なるほど、先ほどから湖をうろついているバルトメロイの魔術師どもは確かに油断ならない。風向きが悪ければ滅びるのは自分達だろう。だが絶対に回避できない死ではない。噂に聞く薔薇の予言も的はずれと言わざるをえまい。
 ルヴァレは愛すべき息子達にもてなしの準備をさせ、この尖塔で自らの隠匿物を開封する。
 ルヴァレとて、自身が二十七祖に足る器とは思っていない。
 祖と名乗るにはあと二百年は必要だ。その二百年を埋める為に、彼は魔術師どもから魔術礼装、概念武装を奪いに奪ったのだ。
 その成果。彼《か》のコレクター、悪魔使いメレム・ソロモンですら羨むこの遺物を駆使すれば、あの程度の小娘はたやすく返り討ちにできよう。
「――ほう、取り囲んだかと思えば、小癪にも単独入城か。慢心で命拾いしたなバルトメロイ。結界崩しをかけておれば、逆に貴様らが地の底に落ちていたぞ?」
 にやりと顎髭をさする。
 親祖ルヴァレは、楽しげに少女の入城を眺め、ふと、頬に当たる風に気を逸らした。
 この、完璧な密室に、風。
 刹那。些細な疑問を追い抜くかの超速で跳び退《の》いたのは、若輩ながらも大貴族の名に恥じぬ才気と言える。
 そうして。床に着地した後、彼はずるりと、腰元からスライドした。
「な―――――」
 落ちる。落ちる。落ちる。
 驚愕で死にかける。
 何に驚いたかというと、傷がまったく塞がらないという、人間だった頃の感覚に驚いた。
 いや、懐かしんだというべきか。
 おぞましくも素晴らしい、人でなくなった時の記憶に似て、切断された箇所は、完璧に〝死〟んでいた。
 呆然と見上げる。傷つかず崩れないハズの天井に、ぽっかりと穴が空いている。

 目が眩むような赤い月。
 部屋には。何の変哲もないナイフと、顔を覆う包帯と、初見でありながらもコレがそうなのだとはっきりと分かる、静かな、死神の姿があった。


4→5

 静まりかえった尖塔の部屋。
 少女が踏み込んだ時、既に事は済んでいた。
 親祖ルヴァレと子供たちの亡骸。
 無言で佇む黒い吸血鬼。
 そして、自分でも気付かず、屈辱で歯を鳴らすという、バルトメロイにあるまじき己の姿。
「……目的は、ルヴァレの持っていた鉄槌か」
 黒い吸血鬼が呟く。
 少女ははしたなくも、ぎり、と右手の人差し指を噛んだ。それはひとえに、耳障りな歯鳴りを止める為と―――
「去れ。今は見逃してやる、吸血鬼」
 言われるまでもない。
 黒影は天井に開いた穴へ跳び上がり、鳥とも虫の足ともつかない無様な羽を生やして消えさった。
 ……一人残された惨殺空間。
 革手袋に、じわりと血が滲んでいく。
 恥辱で気を失いかねない。そう。一番乗りを気取っていながら、自分は二番手ですらなかった[#「自分は二番手ですらなかった」に傍点]のだ。まさしく、狩りでもなく戦いでもなく、此度の儀は道化の類。

「……必ず見つけ出します。その時こそ、姿さえ見せず勝ち抜けた貴君に、心からの賞賛と―――」

 この血と痛みに値する報復《よろこび》を与えましょう、と。
 少女―――バルトメロイ・ローレライは、未だ出会ってもいない何者かに歌いあげた。
[#改ページ]


   Prelude Ⅱ


 それは素朴な風景に不釣り合いな、無骨な鉄の塊だった。
 総重量35トンを越える移動要塞。こんな片田舎の道には今まで通った事もないだろう内燃機関の荒くれ者。煌々と光るヘッドライトとエンジン音と、ギチギチと音をたてる悪魔の荷台《ハコ》を引きずる|大陸横断大型車両《ア メ リ カ ン モ ン ス タ ー》。
〝|悪魔を哀れむ歌《Sympathy for the Devil》〟
 鉄槌と十字架医療器具、そして〝悪魔祓い〟を搭載した、文字通りの最新鋭の怪物である。
 UKに上陸してからこの四日、この怪物が人目を引かなかった事はない。
 いや、正しく言うのなら、人々がより驚いたのは〝悪魔を哀れむ歌〟という巨大な車両ではなく、そのハンドルを握る男性の姿にである。無理もあるまい。凶悪なマシンの運転席には、温かな風貌をした神父の姿があったのだから。
 神父は田舎道に悲鳴をあげさせながら、慣れた手つきで怪物を走らせる。狭いあぜ道も夜の暗さも気にならない。注意点があるとしたら荷台内の気温ぐらいか。中は常温で安定しているが、万が一にも20℃を下回る事になればすみやかに荷台を放棄し、爆破しなくてはならないのだから。
 もちろん、出来るのなら避けたいトラブルだ。
 愛車の半分が失われるのはいただけない。田舎の平穏を乱す事とか、荷台内にいる相棒が跡形もなく消し飛ぶのは、まあ、運がなかったと綺麗サッパリ忘れられるのだが。
〝……ダウン。通信、鳴っているのではなくて?〟
 荷台内からの内線が響く。
 不埒な考え事が見抜かれたのか。その、燃え尽きても別段気にならない相棒の声を聞いて、神父は外線をオンにし、

『あ、もしもしミスター? すみません、追加発注をお願いしたいんですけど――』

 ノイズ紛れの受信音に、重苦しいため息をついた。
 今回の仕事に就いてから三度目の通信。
 必要な器具は一まとめにして発注しろとあれほど言ったのに、この女は悪びれもせず次から次へと我が儘を言ってくる。
 おかげで仕事先にはまだ辿り着いてもいない。
 やれ粘着榴弾だのM60用弾薬箱を数ダースだの、果ては時代錯誤なポテトマッシャー(埋葬仕様)だの、金も手間も考えずねだられては寄り道が多くなるのも当然だ。
 ……まあ、もっとも。こんな注文をするのはこの女ぐらいで、自分が役に立つといったらこんな事ぐらいなのではあるが。
 吸血鬼には個人携帯用の銃器では効果が薄い。
 なにしろ、銃弾を見てから避ける[#「銃弾を見てから避ける」に傍点]という飛ばし屋なのだ。面の攻撃でなければ掠りもしない為、今もって連中は人喰いである事を謳歌している。
 が。この女はそんな連中相手に、点の攻撃であるハンドガンでもこめかみを撃ち抜くブラボーな怪物なのだ。
 笑い話一歩手前だが、仕入れてきた品物が無駄にならないのは素晴らしい。それに|笑えない冗談《ブ ラ ッ ク ジ ョ ー ク》は神父が愛すべき物の一つでもある。我が儘の一つや二つ、素直に聞いても罰は当たるまい。
「相変わらずこまった女《ひと》ですが。唯一のお得意様ですし、仕方ありませんねえ」
 トレーラーを停車させ、メモを取る。
 意外な事に、今回の注文はそう物騒なものではなかった。
 小さな村では手に入らないだろうが、ちょっとしたマーケットがある町なら手に入るものばかりだ。
「はじめの四つは承りましたが、それ以後の物は却下です。だいたいそれ、現地で調達できるんじゃないですか?」
 交渉はあっさり終了した。
 女はむぅ、と困りながらも引き下がり、神父はやれやれと胸をなで下ろす。
「では到着予定はさらに二日後という事で、また寄り道をする事になりましたから」
 神父は通信を切り、運転席を出る。
 たしか、いま注文された品物の幾つかを、荷台にいる相棒[#「相棒」に傍点]が持っていた覚えがあったからだ。
「失礼。入ってよろしいですか、|お嬢さん《ラ ガ ッ ツ ァ》?」

〝――どうぞ。退屈していたところよ、ダウン″

 荷台の扉が開く。
 中は夜の闇より暗い。細かに点滅するライトが、かろうじて奥行きを報せている。
 闇に眠っているのは銃器と電子、福音と魔の| 腑 《はらわた》。
 扉を閉め、中の聖息がこぼれぬよう密閉する。神父は二日ぶりに、寝台に横たわる相棒の姿を見た。
「また、随分と調子が悪そうですね」
〝ええ。田舎の人たちは信心深いから影響を受けやすいの。でも都会よカタチは綺麗よ。変わりやすいかわりに、痛みはとても心地いいわ〟
 それは良かったと満足げに微笑んで、神父は先ほど受けた注文を口にする。
〝え?……ターメ……なんですって?〟
「いや、薬品の一種みたいなものかと。ああ、基本は食用だと言っていましたが、お持ちですか?」
〝……そういったものは持ち合わせていません。私の持ち物で口にできる粉状の物と言えば、花椒粉《ホワジャオフェン》ぐらいなものです〟
「はあ、そうですか。うーん。それ、どっちも似たようなものだと思うんですけどねえ」
〝……度し難い間違いです。決して同じものだなんて思わないでください〟
 相棒はご機嫌ナナメだ。何事も受け流す彼女にしては珍しい事なのだが、あいにく、神父にはそのあたりの機微を感じ取る細やかさは喪われていた。
「仕方ありません、諦めて寄り道をするとしましょう。到着は二日後になりますが、耐えられますか|お嬢さん《ラ ガ ッ ツ ァ》?」
〝そうなった時の為に貴方がいるのでしょう、ダウン。それより―――〟

 ずる、と音をたてて荷台に横たわった何かが動く。
 その異形。シンメトリーではない姿に神父は密やかに感嘆する。なんと美しい。血にまみれてなお白い肌。魔に侵されながら魔を慰める、奇形の聖母。

〝―――それより、貴方は任務の内容を知っているの? 私たちが出向くという事は、そちらの方も期待できるのかしら?〟
 つまり食事はできるのか[#「食事はできるのか」に傍点]、と聖母は問う。
「いえ、残念ながら。今回は基本的に吸血鬼退治です。私たちはよほどの事がないかぎり出番はありません。
 ですが―――」

 事は聖堂教会だけの話ではない。
 今回の件はもう何年も前から用意されてきた一大決戦だ。
 教会はおろか、魔術協会ですら〝分かっていながら〟傍観してきたアルズベリの発展。
 イギリスの片田舎の村が、わずか十年でプラントを持つ工業地帯に変貌してしまった。
 あくまで人間の手だけで。正しい資金と労働によって、商業的に無価値な土地に、時代遅れではあるものの不釣り合いな工場群が建てられた。
 残念ながら。その目的が死徒による牧場だとしても、それが善良な人々によって運営される行いなら、魔法使いでさえ手は出せない。
 然り。一切の怪異、一切の神秘を用いない〝正しい人の営み〟によって出来た物に、どうして神秘側の存在が手を出せよう。手を出せるとしたら、それはその〝正しさ〟が崩壊した後のみである。
「まったく、誰が考えたものなのだか。地獄が開くと判っているのに、開くまで手出しできないんですからね」
 ……いや、誰が立案したものか、神父は良く知っていた。
 過疎化によって滅びるだけだった村の発展に力を貸し、工場地帯建設に出資したのはV&Vインダストリィ。神父にとっては懐かしの、光溢れる〝|我が家《マイ・ホーム》〟である。
〝地獄……いいのダウン? 私はともかく、貴方はただの運搬役でしょう? そんな町にいたら、あっという間に食べられるわよ〟
 とりあえずは、真っ先にこの聖母に。
 神父はまっとうな人間である。
 仲間たちのように人間を超越した者ではない。アルズベリを訪れれば、生きて帰れる保証はない。
「まあ、局長直々の命令ですし。それに悪い事だけではありません。なんでもあの村に行けば、自分の名前を取り戻せると預言があったようで」
 嬉しそうに神父は語る。自分の名前。ダウンと呼ばれる前の、本当の名前が戻るのだと。
〝? ダウン、貴方自分の名前が分からないの?〟
 不思議そうな声。
 はい、と返答する神父。
〝ウソ。貴方の名前は××××でしょうに〟
 しばしの沈黙。神父は困ったように、頭痛を抑えるように、片手に額を置いて、
〝ほら。貴方の名前なら、誰だって知って―――〟
「いや。今、なんと言ったのですか、|お嬢さん《ラ ガ ッ ツ ァ》」
 笑みの張り付いた顔のまま、ゾッとするはど空虚な声で、

「今の響きは[#「今の響きは」に傍点]、私にはよく聞き取れない[#「私にはよく聞き取れない」に傍点]。
 すまないが、私に解る言葉を使ってくれ」

 酷く。何か、歪《ひず》んだ声をあげた。
 ああ、と聖母は祈る。
 この男は、まだ帰ってきてはいないのだ、と。
 主よ、この魂に憐れみを。
 自身の名前だけを取り戻そうとするこの男は、永遠に、自分の名前だけを認識できない狂気にいる。
 かつて、彼は地獄にいまし。唯一の生還者となった後も、いまだ、その心は囚われたままだ。肉体だけでなく心も連れ帰ってくればよかったのに。一度抜け出してしまったからには、もう二度と、取りに戻る事はできないだろう。
〝……ダウン。アルズベリには、他に誰が?〟
 仕事の話に戻す。神父には、常に狂気を与えておかねば哀れだからだ。
「他に三人ほど。先行している代行者が一人。もう二人の到着は私たちより後のようです」
〝先行者がいるのね。それ、もしかして彼女?〟
「はい。彼女、一番身軽ですからね。今じゃ立派な斬り込み隊長ですよ。加えて、今回の件は何かと因縁があるそうで。彼女、今度こそメッタメタに打ち負かすって張り切っていましたが」
 微笑む神父。

     ◆

 ―――で、遡ること約半日。
 中世の町並みと鉄筋の工場が混ざり合った不協の風景を、一人のシスターが歩いていた。
 黒髪と眼鏡。頑丈そうな編み上げブーツで、石畳の広場にカッポカッポと足音を響かせる。
「ほうほう。西通りには見慣れない人たちが集まる洒場がある、と。二階は綺麗なお姉さんたちがいっぱいいる? ……いやですねぇ。日中から夜明けまで、なんて話でなければいいんですけど」
 どこまで本気なのか、シスターは観光客を装って街の少年と世間話を繰り広げていた。少年もまんざらではないのか、親切に町の様子を説明する。
「なるほどなるほど、たいへん勉強になりました。これ、お礼です。つまらないものですが」
 シスターは換金しやすそうなアクセサリを手渡すのだが、少年はシスターが抱えていた紙袋いっぱいのパンに関心があるようだ。食いしん坊ですねぇ、と笑いあいつつパンを分け合うシスターと町の少年。
「ではさようなら―――と、もう一つ聞き忘れていました。
 ね、この町に大きな食堂はありますか? 異国情緒ゆたかな、節操なく色んなメニューを集めたような。具体的には、こういう料理があるかどうかなんですが」
 返答は濁りがちに。
 期待に満ち満ちたシスターに、少年はどう答えたものかと途方にくれるのであった。
 そうして、絶望的な少年の返答から数分後。
 宿に戻ったシスターは、淀みのない動きで通信機を手に取って、

「あ、もしもしミスター? 武装の追加発注をお願いしたいんですけど。
 ターメリックとコリアンダーとクミンとレッドペッパー。もちろん自分用のガラムマサラは持参してますから、そちらは結構です。あと人参と玉葱と林檎と牛肉、え、それぐらいは現地調達しろ? ……むぅ、仕方ありません。譲歩しますから、香辛料は多めに、できるだけ高価なものを。あ、領収書は|局 長《ナルバレック》名義で、ひとつ」
[#改ページ]


   Prelude Ⅲ


 狭い聖堂だった。
 陽射しの恩恵もなく、油の匂いもなく、人の気配もない。
 集まり、声をあげるのは友人であるネズミたち。
 聖堂のただ中、かつて蓑虫のようだった自身が吊られていたあたりで、司祭はお喋りに耳を傾ける。

「一時的な協定は結ぶけど共同戦線は張らない……? 呆れたね。死徒殲滅が第一だけど、本音は自分たち以外はみんな敵ってコトか。
 ……まったく。吸血鬼退治が本題であり大義だったのに、今じゃそんなのは消化試合扱いで、本当に殺したい相手は別なんだもんなあ。いつまでたっても他人の血が好きなんだね、人間っていうヤツは」

 やれやれ、と司祭は肩をすくめる。
 純白の法衣に金の刺繍をほどこした、決して表に出る事のない特別な信徒の姿。
 その豪奢を纏うのはまだ幼い少年であり、その高説を賜るのは人語を解さぬ獣たちだ。

「ご苦労さま、右手によろしく。しばらくは局長のご機嫌とっておいてって。できるだけ仕事を押しつけて、手を空かせないようにね。なにしろあの人好みの殺し合いだ、隙あれば参戦しかねない。そうなったら泥仕合どころの話じゃない。いまどき殲滅戦なんて疲れるだけで、見せ物としちゃあ三流だ」

 こくこくと頷くネズミたち。
 その何匹かは彼らのアイドルの下へ走っていく。
 司祭と右手は固い絆で結ばれているにしても、意見の交換は彼らなくして行えないのだ。
 そうして、残った友人たちは司祭を気遣うように声を潜め、毛という毛を強ばらせた。
 沈みゆく船から逃げ出す時のように。たったいま感じ取った死の気配を警戒して。

「……ああ、ありがとうみんな。でも心配はいらないよ。古い友人だ、口上もなしで襲いかかってくる事はないさ」

 ネズミたちに語りかける。
 聖堂の上には、バサリと、一際大きな鳥の羽音が舞い降りる。

「やあ、久しぶり。例の話をしに来たんだろう? 聖堂教会と魔術協会、君はどちらが優勢だと思う? ああ、ボクたちっていう答えはなしだ。そんな分かりきったコト、言うまでもないからね」

 天井を見上げる事もなく、司祭は千年来の友人に話かける。
 この絶壁の聖堂に如何なる知識、如なる方法で訪れたかは問うまでもない。
 羽音の主は司祭と同じく祖に連なるモノ。
 此処がどのような魔境秘境であろうと、隣人を訪ねる事と大差はないのだから。

「君は魔術師側と見るのか。ま、あの町は時計塔のお膝元だし、戦力の補充に関しては優位だけど―――へえ。あのバルトメロイがわざわざ。それは驚きだな。フリーランスにも声をかけてるだろうし、始まっちゃえば魔法使いもやってくるだろう。……たしかに、その面子に比べれば教会側は戦力不足かな」

 アルズベリ・バレステイン。
 何十年も前から進められてきた大儀式。
 魔術協会も聖堂教会も知っていながら傍観し、かつ、あわよくば旨みを独占しようと監視しあう、ちょっとした聖地となった土地。
 その平穏《バランス》もあと少しで消え去ろうとしている。

「けど、代行者など問題ではない、は驕りすぎたよ。
 場所が場所だ。あの人たち、あの国なら相手がなんであろうと手は止めないよ? 死徒も魔術師も、善良なプロテスタントも見境なしだ。ほら、君もボクも、生き血がなくなったらわりと困るんじゃない? 昔から長丁場には兵糧攻めって言うし。そのあたり、あっちのトリ頭は分かってるのかな」

 確かに魔術協会の戦力は聖堂教会を凌駕している。
 だが死徒にとって、教会の代行者こそあらゆる面で難敵だ。
 極論ではあるが、魔術師は彼らと同類。神秘への在り方が同じであるのなら、純度の高い彼らの優位は揺るがない。彼らにとって脅威となるのは神意を語る人間である。
 となると当然、教会の勢力など魔術師との殺し合いで早々に退場してもらいたいのだが、そう都合良くはいくまい。
 事は三すくみとまではいかないが、微妙なバランスで成り立つ膠着状態と言える。
 ―――その渦中に。
 全ての勢力にとって敵でしかない姫の到来を、司祭は心待ちにしていた。
 司祭にとって、主役と呼べるは黄金の姫君のみ。
 それ以外のモノなぞいかな強者と言え讃えるに値しない。
 それは羽音の主とて同じこと。
 司祭は祖の中でも裏切り者として扱われている。本来、教会側についた彼を同格と見る祖はいない。
 だが―――

「あれ、なにさ、白翼の肩を持つの? 今回のはあいつ功績だって? ハ、冗談。あいつにあんなシャレのきいたお膳立てができるもんか。あいつの頭じゃ村を死者まみれにして、すぐに教会に取りつぶされていたよ。アルズベリの仕込みは純粋に死徒の力を用いずに人間社会に地位を築いたヴァンの仕事だ。
 ……まったく。あいつもさ、白翼は古いとかいって離反したのに、なんで今さら仲良くなるのかなー。わかんないなー。あいつの本社とか食べちゃいたいなー。え? なに、二人とも仲は最悪のまま?
 ……ふーん。なんだ、ヴァンのやつ出資しただけなんだ。最近はカジノ船にかまけて放蕩してる? それは結構。ここのところ妙に堅物だったけど、昔の自堕落さが戻ってきたな」

 くすくすと司祭は笑う。
 ヴァン=フェム。二十七祖の中でも変わり者なその死徒を、司祭はいたく気に入っている。
 彼は新しく、賢く、引き際を心得ている。
 そんな、いつまでも鮮度のいい死徒がカビの生えた儀式に執着する事を、司祭は心苦しく思っていたのだ。
 なにしろ、彼とはもうしばらく仲良しでありたい。儀式を破壊する側のモノとして、彼が本腰でないのは喜ばしい。

「けど、そうなると主催は白翼だけなんだね。あいつ、頭悪いしなぁ……そんなんじゃ今回は」

 万が一にも[#「万が一にも」に傍点]、うまくいってしまう[#「うまくいってしまう」に傍点]かもしれない。
 白翼は死徒の王を気取る祖だが、事実、それだけの勢力を持ち、さらに質の悪い事に、それだけの力を持っている。
 頭は悪いが無能でないのが困りもの。
 そんな男が第六の内容、その真価をまるっきり曲解している、というのも、司祭にとっては悩みの種だ。

「ね、誰が呼ばれているか聞いてる? 白翼の事だから子飼いの死徒を連れてくるだろう。最近じゃルヴァレあたりか。え、とっくに滅ぼされた? それは良かった。三つ子なんて趣味悪いからね。
 にしても先月か――予想より早いなもう少し手こずると思ったんだけど……これは些か、評価を改めないといけないな」

 ともあれ、刻限は近い。
 召集される祖は少なくとも六鬼。
 第六は死徒たちにとっての悲願だ。それを取り仕切る白翼から召喚状が来ては、いかなる祖も無視できまい。
 ……少し、十位だった祖に同情する。
 どうせ命を終えるなら、あんな戯れから生まれた戯れなどではなく、本当の戯れで消え去れば良かったのに。

「……まあ、魔術師あがりである彼に招集はかからなかっただろうけど。原液持ちは限られている。最も古い死徒なんて言ってるけど、その中でも本物は一握り。
 となると―――もちろん、君にも招待状は来ているだろう、グランスルグ・ブラックモア?」

 羽音は静かに。
 その名で呼ばれる事を不快げに、一度だけ羽ばたいた。

『そういう貴君は。参列に同意をしたのかね』
 聖堂に張りのいい男性の声が響く。
「するよ。ただし教会側としてだ。局長からの勅命だし、その方が戦力的に面白い。……ああ。ようやく敵同士だね黒翼公。一度、君とは本気で戦ってみたかったんだ。だってほら、空の王さまが二つもいるのは、色々とややこしいでしょ?」

 親愛と殺意のまじった微笑。
 割合は親愛の方が強い。少年司祭はわずかな殺意と、同胞としての大きな親しみを羽音の主に持っている。
 それを、

『―――そうか。やはり、貴君とは気が合わない。
 一度だけと言わず。私は常に、君を八つ裂きにしたかった』

 黒鳥は、押し殺した、完全な殺意で叶き返した。
「そうなの? でもヘンな話じゃない? それならすぐに始めればいいのに。どうして千年近く我慢してたんだ、君は」
『私闘はしない。私の闘争理由は、唯一、朱い月の御為のみ』
 ああ、と司祭は懐かしそうに、嬉しそうに頷く。
 それが彼らの共通点。
 共に忠誠を誓ったのは唯一人。その在り方の前には、死徒としての在り方など塵芥《ちりあくた》。彼らにとって、それは神聖不可侵にして、決して汚してはならない信念だ。
 羽音の主は闘争を好まない。
 彼が戦場を生み出すとしたら、〝王〟の教えを忘れた死徒を正す時か、〝主〟の願いに添う時のみ。
 故に、どれだけ憎くても四大の悪魔とは戦わず。
 この年、この月。
〝主〟の定めた儀式に参加する事で、ようやく、理由を問わずに祖との殺し合いができるのだ。

「……まだ覚えていたんだ、トリ頭のクセに。いや、君も古いね、どうも」

 罵る声には親愛だけがあった。
 司祭はその一点だけで、羽音の主を生涯の友と感じている。
 忠誠の在り方は違えど、お互い身を捧げた者は同じ。ならば、なぜ憎む事ができようか、と。

「アルズベリには|紛い物《アルトルージュ》もやってくるだろう。僕らが主とするブリュンスタッドは金の姫だけだ。それは分かっているだろう?」
『心得ている。その件に関しては、貴君と志は同じだ』
「それは良かった。うん、いずれ戦うとしても君がいてくれるのは心強いよグラン。ボク一人じゃあいつの護衛と相討ちがいいところだ。死徒殺しの君がいるなら、今度こそ―――」
 司祭の大切な姫から美しい髪を奪った、あの黒血の月蝕姫を討ち滅ぼせる。

「それじゃあ、また。
 百年ぶりの再会を楽しみにしているよ、鳥の王」

 司祭は満足げに、黒鳥は冷めた羽ばたきを響かせて飛び立っていく。……ここに、一つの結末が生まれた事を司祭は知らない。その無邪気さ故に気付かない。
 羽音の主にとって、同じ主を抱くからこそ、少年の恋慕を交えた忠誠こそ最も度し難い罪なのだという事を。その相容れない忠誠のカタチを、彼はいずれ思い知る事になる。

 ―――その最期に。
 不滅と謳われた悪魔たちがことごとく消え去った後。
 主に出会う前の、夢を見るだけだった、ただの〝物〟に還った間際―――

[#地付き]サークル「TYPE-MOON」発行    
[#地付き]同人誌「Character material」所収

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   Explanation[#底本下段に配置]


/死徒【用語】
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 吸血種の大部分をしめるモノ。一般的な吸血鬼のイメージ。
 元々は真祖が用意した緊急用の食事にすぎない。真祖は自らの吸血衝動を抑えきれなくなった時の為に、あらかじめ生きた血袋を用意しておいたのである。
 この、真祖に血を吸われ、下僕と化したモノを死徒と呼ぶ。
 中には真祖の手ではなく、魔導探求の末に不完全な不老不死(吸血種)になった者もいる。彼らは死徒たちの築いた社会に参加する事で、発端は違えど同じ吸血種として認識しあう。
[#ここで字下げ終わり]

/死徒ルヴァレ【人名・使徒】
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 湖の死徒。使徒の中でも祖に準じる歴史を持つ古い死徒。ルヴァレ自身は愛玩目的で真祖に汲み上げられた〝美しい〟だけの人間であった為、超抜能力はない。
 数百年前、教会の代行者によって湖に追い込まれ死滅したものとされていたが、奇跡的な生還を果たす。
 以後はそれまで関心を持たなかった〝親族〟作りに傾倒し、死徒最大の派閥である白翼公の傘下となった。
[#ここで字下げ終わり]

/死徒二十七祖【用語】
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 死徒たちの大元である二十七つの祖の事。現在では半数の祖が教会によって封じられている。
 最も古い死徒たちの事で、中には既に消滅している祖もいる。二十七祖の席が今もって不滅であるのは、消滅した祖の配下であった死徒がその座を受け継いでいる為。
 封印中の祖は聖堂教会の棺に収納されているが、彼らでは滅ぼしきれない為、半ば永久監獄となっている。祖が封印された派閥は今も健在であり、祖の奪還、あるいは消滅の為に力をつけているとか。
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/魔術協会【組織名】
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 国籍・ジャンルを問わず、魔術を学ぶ者たちによって作られた自衛団体。(無論、名目上ではある)
 魔術を管理し、隠匿し、その発展を使命とする。
 自らを脅かすモノたちから身を守る為に武力を持ち、魔術の更なる発展の為の研究機関を持ち、魔術による犯罪を抑止する為の法律を敷く。
 現在、協会の中心地はロンドンとされている。
[#ここで字下げ終わり]

/エンハウンス【人名・死徒】
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 復讐騎。死徒二十七祖の一人。18位。
 エンハンス・ソード(片刃)と蔑まれる、祖に成ったばかりの吸血鬼。
 死徒と死徒が敵対する事は珍しくないが、それはグループ内でのみの権力争いを意味する。王である祖のの後継者を目指す戦いで、他の派閥(他の二十七祖)と争うことはない。が、エンハウンスはその規律を破り、他の二十七祖そのものを狩ろうとしている。
[#ここで字下げ終わり]

/DEATH【???】
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 暗殺者。切れぬ筈のものを、バターナイフを入れるかのように切り裂く。不滅である死徒をたやすく解体する、文字通り死神の如き影。
 復讐騎同様、死徒社会において噂になりだした神出鬼没の災禍。
 ……しっかし。大した報酬もなく西へ東へ、ホントに働き者だこと。
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/聖堂教会【組織名】
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〝普遍的な〟意味を持つ一大宗教の裏※[#判読不能]。
 神の教えを説く彼らは、その教義に反したモノたちを認めていない。〝異端〟という存在を表向きでは無いものとして扱うが、中には熱狂的に排斥しようとする者たちがいた。その「異端狩り」が特化し、巨大な部門となったもの。
 中でも魔を滅ぼす能力、資格を持つ者は「代行者」と呼ばれ、主の教えに存在しないモノを物理的に排除する。一方、悪魔祓い(エクソシスト)は魔を容認し、これを一時的に退ける聖職者である。
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/花椒粉【調味料】
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 ホワジャオフェン。
 炒った花椒をすり鉢ですりつぶしたもの。中華料理の代表的な調味料。特に四川のものは辛く熱く香り高く、舌を刺す程だとか。
 言うまでもありませんが、麻婆豆腐には欠かせないアイテムです。
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/埋葬機関【組織名】
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 聖堂教会における、より専門的な異端審問の代行集団。
 悪魔払いであるエクソシストではなく、悪魔殺しのエクスキューター。他国の退魔組織と協力することは絶対になく、常に単体で行動する。
 完全な実力主義制で、能力があり教会にとって都合の悪いモノを始末するのなら何者であろうと迎え入れる。局長ナルバレックを含めた七人と予備の為の一人、計八人で構成される。
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/シスター【用語・人物名】
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 ダウン達より一足先にアルズベリに潜入した代行者。人当たりのいい笑顔と、どんな環境だろうとすぐさま順応する社交性をもった、埋葬機関きっての人徳者。
 外交に諜報にと、なんでもかんでも一番手として重宝されている。勿論、〝試験は耐えよ、恥辱は絶えよ〟という埋葬機関のモットーは染みこんでいるので、いざ事が始まれば編み上げブーツで華麗なステップを披露する。
 ……あと、こーゆー芸風もいいかげん如何なものかと思うんだ。
[#ここで字下げ終わり]

/聖堂【用語】
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 それ[#「それ」に傍点]が、かつて幽閉されていた世界。
 牢獄であると同時に心地よい胎盤でもあるのか、自由になった後も、それは外の世界を傍観し続ける。
 かつてそれが想像した数多の〝願い〟は、この聖堂にあるものをモチーフにして生み出された。
 それが憧れ、恋した唯一の外界は朱色の月のみであり、以後、月をモチーフにした想像はタブーとされた。
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/白翼公【人名・死徒】
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 トラフィム・オッテンローゼ。
 最古参の死徒。る二十七祖の一人。十七位。
 魔術師から吸血種になったもの、朱い月の最初の従者、とも。
 典型的な吸血種で、現・死徒の王。二十七祖を代表する死徒で、形式上だけなら最大の発言力を持つ。
 戯れに真祖狩りを提案した死徒であり、ネロ・カオスが極東の地で果てた原因を作った男。
 古き君臨者である真祖たちを嫌い、唯一にして絶対の真祖・ブリュンスタッドに敬意を表しているのだが―――
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/ヴァン=フェム【人名・死徒】
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 ヴァレリー・フェルナンド・ヴァンデルシュターム。
 二十七祖の一人。14位。財界の魔王。人形師。七大ゴーレム「城」を創りあげる。
 人間社会に関心を持ち、第一次世界大戦後から吸血手段を用いず勢力図を増やしていく、という試みを始めた変わり者。
 この頃はセレブの町・モナコにビルを構え、週に一度はカジノ船で人々の挑戦を受けているのだとか。
[#ここで字下げ終わり]

/姫君【名称・俗称】
[#ここから2字下げ]
 金色大好き、黒いの苦手。
 司祭が口にする姫君、とは言うまでもなくあの人のこと。このお子さまは口を開けば彼女のコトばっかりである。まったく成長していない。
 一方、姫様は相変わらず司祭が苦手で、彼の友愛はものの見事に空ぶっている。反面、黒い方の姫さまは司祭が気に入っていて、隙あらば食べようとしているといないとか。
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底本:「Character material」TYPE-MOON 同人誌
   2006(平成18)年08月11日第01刷発行(C70)
入力:TJMO
校正:TJMO
2006年10月07日作成