MELTY BLOOD
  閑話月姫 other tale
                    TYPE-MOON
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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)真祖《アルクェイド》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)私が|シエル《あのひと》を

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(例)[#挿絵(img/001.bmp)入る]
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              八月初頭。

       交通量一時間あたり平均五台。

       電鉄使用者一日推定百人前後。

       気温、摂氏三十八度。





         ───その夏。


        あまりに息苦しい暑さに、
     窒息するサカナみたいと誰かが言った。





 街を歩いていたら、そんな台詞とすれ違った。

 おかしな話もあるものだ、と独りで笑う。

 水槽の中でサカナは窒息するだろうか?

 地上に打ち上げられたサカナならともかく、水の中でサカナが窒息するとは思えない。




 ……少しだけ考える。

 放置された熱帯魚。

 お腹を見せて浮かぶ死体。

 濁った水。

 緑色の水槽。

 パクパクと口を動かす死んだサカナ。




 ───ああ。
 なるほど、それは巧い喩えだ。

 それらの単語は今夏の状況にとても近い。

 灼けた空気は手に取れそうなほど暑く、視界は陽炎に揺らいで十メートル先さえ見えない。

 日中だというのに人影はなく、街は廃墟のように静か。

 道路には自動車の影さえなく、道の真ん中で眠っていても車に轢かれる心配はないだろう。

 そう言った意味で、街は深海に沈んだ古代都市じみている。





 だからサカナというのは言い得て妙だ。

 自分こと遠野志貴も、浅い白色の闇をあてもなく泳いでいる。





 おかしな夏だった。

 誰もいない訳でもないのに、街には誰もいない。

 プラットホームはいつも無人で、人を乗せた電車だけが通り過ぎていく。

 そんな反面、注意深く目を凝らせばいたる所に人影があった。

 大きなデパートは相変わらず盛況、喫茶店は連日満員。

 廃墟のようなのは外だけで、建物の中では例年通りの夏があった。





 そう、誰もが建物の中で過ごしている。

 それは外があまりにも暑いからではなく、或る、一つの噂に因る物だった。





 「―――聞いた?
  昨日公園でさ、また誰かいなくなったんだって―――」



 「―――それって噂の吸血鬼殺人ってやつ?
  うわ、まだ終わってなかったんだね、アレ―――」




 また、そんな話し声が聞こえてきた。

 いつすれ違ったのか、数人の女の子が楽しそうに話している。


「―――ねえ、君たち」


 振り返って声をかける。





 道には誰もいない。

 街は廃墟のようだ。

 声が空耳だったように、通り過ぎた女の子たちも蜃気楼。

 彼女たちにすれば、すれ違った自分も陽炎だったに違いない。





 気になって公園に足を運ぶ。

 公園には人影はなく、静けさは深夜のものだ。

 とすると、白夜というのはこういう物なのかもしれない。





「―――アレだろ。ほら、ちょっと前にもいたじゃんか。猟奇殺人っての? 無差別に女を殺してまわってた殺人鬼がさ―――」



「―――知ってる知ってる。戻ってきたんだろ、ソイツ。聞いた話だけどさ、昨日も路地裏でバラバラ死体が―――」





 話し声に釣られて振り返る。
 学生服の少年たちは白夜に霞みながら消えていった。





 それが、遠野志貴が一人で街を歩いている理由だった。

 いつ頃からこうなっていたのか、街ではおかしな噂が広まっていた。





    曰く、あの殺人鬼が戻ってきた。

    曰く、被害者は残らず血を抜かれていた。

    曰く、殺人鬼は死神のような吸血鬼だった。





 忘れ去られていた一年前の事件。

 しかし吸血鬼の再来など有り得る筈がない。

 なにしろ犯人はすでに死亡している。

 第二、第三の吸血鬼は出現しない。




 だというのに、噂には歯止めがきかなかった。

 街中で囁かれる犠牲者は日に日に増えていく。

 昨日は公園。今日は路地裏。そうなると明日あたりは学校か。


 犠牲者は増え続ける。


 噂は信憑性を高めていって、今では誰も彼も夜には出歩かなくなってしまった。

 ……そんな事も、一年前とうり二つ。





         窒息するような猛暑。

         人通りが絶えた街並。


     そして、何より不思議な事なのだが。





 ――――街では、猟奇殺人など起きてはいなかった。





 ちょっとした立ち眩み。

 朝から街を歩いて疲れたのだろう。

 喉も渇いた事だし自販機で飲み物でも……と思ったところで、財布がない事に気が付いた。


「あっちゃあ───なんか、最近ついてないな」


 呟いて、ああ、と納得。

 その台詞もこの夏の流行語だ。

 実際、通り過ぎる人たちも似たような台詞を呟いている。





 運が悪い。

 不安が的中。

 裏目ばかり出てしまう。

 暗剣殺とでも言うのか、この所ちょっとした事故が続いている。



 かく言う自分も階段で足を滑らせたり、

 翡翠の着替えを偶然覗いてしまって秋葉と琥珀さんにいびられたり、

 アルクェイドとの約束を微妙に勘違いして怒らせたり、

 先輩が大事にしていたお皿を割ってしまったり、
 小さな不幸に事欠かない。

 これが単に暑さで注意力散漫になっている……という事なら不思議でもなんでもないのだが、運が悪いのは自分だけではないようだ。

 あれで結構やる事に欠点がないアルクェイドや冷静沈着なシエル先輩、完璧主義者の秋葉や掃除マスター翡翠までもがミスを連発する始末。


 ここまで偶然が続くと気味が悪いというか、つまり。





  「――――それは、偶然ではなく必然では?」



「え……?」


 また、すれ違いざまに誰かの言葉。


「――――――――」


 後ろで誰かが振り向く気配。

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        「――――――失礼」





 見知らぬ少女は素っ気なくお辞儀をして去っていった。


「……珍しいな、外人さんだ」


 と、そんな事はないか。

 外人さんと言えばアルクェイドもシエル先輩も外人さんなんだから。



「────────」

 けれど酷く後ろ髪を引かれる。

 しばらく立ち止まって理由を考え、数分して思い至った。


「なんだ、ようするに」


 答えは簡単。

 こうして街を彷徨いだして二日も経って。

 ようやく姿を確認できた最初の“誰か”が、今の少女だったのだ――――





 そうして立ち眩み。

 長いこと立ち尽くしていたから暑さにやられたのだろう。





        ……まったく、本当に。


     今年の夏は、性質《たち》の悪い夢のようで────





 遠野志貴との接触を断った。
 すれ違いざま彼の脳に刺していたエーテライトを引き抜き、十分な距離をとる。

 ……おかしい。
 失敗したのか、遠野志貴は不可思議な顔付きで私を見つめていた。

 ミクロン単位の細さであるフィラメントが見抜かれる事はないと思うのだが。


「――――なんだ、ようするに」


 遠野志貴は意味不明な言葉を発すると、花壇に腰を下ろした。


 立ち眩みだろう。
 読みとった情報通り、彼の健康状態はあまり良好とは言えないようだ。

   ◇◇◇

 ……ここが、件の路地裏。
 人の姿はおろか、一週間ほど遡っても人間の気配が感じられない場所。


「ここで遠野志貴は“真祖《アルクェイド》”と協定を結び、混沌と戦う事になった」

 一年前の話だ。
 物体の寿命、
 存在の終わりを視覚できる“直死の眼”を持つ遠野志貴は、

 ここで真祖であるアルクェイド・ブリュンスタッドと知り合った。

 いや、正しくは二度目の出会い。
 一度目は遠野志貴による一方的な干渉で、その時の彼は殺人嗜好に支配された危険人物だった。

 ……うん。記憶を読んだ限り、遠野志貴は善良な人物だ。

 けれど突発的に殺人行為を求めるのは変わっておらず、彼を安全と断定する事はできない。

「存在の“死”を読みとれる遠野志貴は、ナイフを使っていかなるモノをも解体する。不死身である真祖を殺せたのは遠野志貴だけだった」

 真祖。
 現代においても色あせない怪奇伝承の一つ、吸血鬼。人の血を吸い、不死身で、陽の光の前に灰となるリビングデッド。

 その発端となった吸血種を、この世界では真祖と呼ぶ。

 真祖に噛まれ血を吸われた人間は、彼等と同じように人の血を吸う怪物となる。

 そうして真祖によって吸血種になったモノを、我々は死徒と呼ぶ。

 現在では吸血鬼の大部分は死徒と呼ばれる亜種だ。彼等の中でも最も古く力のある死徒は二十七人おり、彼等は二十七祖と呼ばれている。




「そのうちの一人、混沌はこの地で消滅。
 そればかりか祖として扱われていたアカシャの蛇もここで転輪を終えている」

 二十七祖の十位、ネロ・カオス。
 番外位アカシャの蛇、ミハイル・ロア・バルダムヨォン。

 教会の騎士団でさえ放置するしかないと言われていた両名が、まさかこんな極東の地で消えるなんて誰が予測しえただろうか。


「……いいえ。予測していたモノなら一人」

 予測。いや、あくまで可能性の一つとして上げていたモノなら一人いたのだ。

 尤も、その人物とて詳細を予測していた訳ではない。
 ただ彼の計算式の答えが『この土地で祖が滅びる』という物だっただけ。



「ともあれ祖は滅びて、真祖はいまだこの土地に残っている。監視役として教会の代行者も駐在しているし、他にも色々と歪みがある」

 日本という国は私たちとは違う勢力図を持つ一団だ。この小さな島国の中で独自の規則を作っている。

 その一つとして、魔は魔によって管理させる、というルールがあるのだろう。

 ここ一帯の魔を統括しているのは遠野という一族で、今の当主は吸血種に酷似した混血であるらしい。


「……遠野秋葉、か。そちらにも興味はありますが、今は真祖と彼の確保が先ですね」

 私には時間がない。
 ヤツの発生地域の割り出しに時間をかけすぎてしまった。

 今回を逃せば次はないだろう。
 三年前、教会の手を逃れたあの吸血鬼。
 私はソレを自分自身の手で葬らなければならない。


「満月まであと数日。こんな、何の勝算もなしで事に挑むなんて、認めたくはないのですが」

 アトラスの錬金術師にあるまじき行為だ。
 けれど遅すぎた訳ではない。

 三年前。
 吸血鬼討伐が失敗した時から、私はアトラスと離反した。

 脱走者である私を連れ戻す為、魔術協会は広範囲に渡って手配書を回しているだろう。

 逃走を続けてきた肉体と精神はとうに平均精度を下回っている。
 それでも────


「――――間に合った。
 私には、まだ可能性が残っている」

 急がなければならない。
 私の目的はただ一つ、吸血鬼の殲滅だ。

 人の身を冒す吸血鬼という病魔、この街に根付いた吸血鬼。
 その両方を、私は排除しなければならないのだから───

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1/出会いと再来 Enter



     “シオン・エルトナム・ソカリス。
      これを次期院長候補と任命する”




 勅令を告げる学長はいつも通りの渋い顔。

 その他大勢の院生と教官は目を見開いていた。

 ざわめきは収まらず、何百という視線が私に向けられた。

 まさか、という驚愕。

 許されない、という非難。

 信じられない、という否定。

 言葉にならない声は、全魔術で言う呪詛のようだ。





“シオン・エルトナムは、以後シオン・エルトナム・アトラシアと称するように。
 彼《か》の者には教官の資格が与えられ、扱いは特使と同格である”





 学長の言葉は絶対だ。

 それは権威から来る物だけでなく、言語そのものに絶対的な命令権が含まれている為だろう。

 院生たちは抗議を呑み込んで、ただ私を睨みつけるばかりだった。





「────」

 私に格別変化はない。

 議会堂の中で平静を保っていたのは学長と私だけだった。

 他の者達──院生ばかりか教官たちまで、有り得ない出来事に言葉を失っていた。

 それも当然だろう。

 私はこの時、シオン・エルトナム・アトラシアとなった。

 名にアトラスを冠する錬金術師はこの学院における代表と同意だ。

 それが院生の中から、しかもエルトナムの者に与えられようとは誰が予測し得ただろう。




「────────」

 その時。やはり私は冷静だった。

 事前にアトラシアに選ばれると報されていた訳ではない。

 単に今のアトラス協会の中で、後継者に必要な能力を持っている人間が私以外にいなかっただけ。


 驚くというよりは、当然すぎて退屈だった。




 ……それからの生活は、一体何が変わったのだろう。

 私の環境に変化はなかった。

 私の家であるエルトナムは没落貴族で、周囲からの軽蔑は相変わらずだ。

 私は優れた生徒である事を証明して、先祖が冒した罪を帳消しにしている。

 周囲の人間は私を排除したがっていて、

 私が優等生である以上は無視するしかなく、

 アトラシアとなった私は、彼等を排除できる立場になった。




 彼等は私の報復を怖れたらしい。

 彼等がした事と同じ妨害が返ってくると予想したのだろう。


 侮らないで貰いたかった。

 私は貴族だ。

 罪人とはいえエルトナムは貴い血を伝える一族なのだから、私情で権力を振るう事などない。

 そもそも、私は彼等に対して何の感情も抱いていない。




 私は、私を遠ざけようとしていた彼等を、望み通りに遠ざけた。

 それも以前と変わらない。

 私は誰も必要としていないのだから、彼らと関わる必要がない。


 私は予てから必要だった研究室を貰い、優れた生徒であり続けた。





    それが八年前の出来事だ。
    何が正しくて、何が間違っていたのか。


    ――――正直、今でもよく解らない。





「……いけない、もうこんな時間だ」

 目を覚ます。
 疲れが溜まっているのか、意味のない夢を見た。

 いや、夢を見たのだからまだ余裕があると言うべきか。
 精神的な負担が大きいとユメなんて見ないと言うし。



「……日中動きすぎたせいだろう。昼間の温度はどうかしていたし」

 日本の夏は暑いと聞いたが、まさかこれ程とは思わなかった。
 砂漠生まれの私でも、この街の陽射しは強すぎる。

 日中の暑さは眠ってやり過ごしたのだが、おかげで起床時間を守れなかった。


「……寒い夜。休みすぎたのかしら」

 どちらにせよ混乱しているのは確かなようだ。
 まともに睡眠を取って情報を整理しなくては、いずれ破綻してしまう。

「……その前に、発生場所を確認しておかないと」


 体が動く内に準備を終えておかなければ。

 幸い、この街のデータは遠野志貴から引き出してある。どこが情報の発生源なのか判明しているのだから、無駄な移動はしなくて済む。


「ああ、そう言えば……遠野志貴。彼の確保も優先事項でしたね」

 時刻は午前零時前。
 彼の巡回経路は三通りだ。
 さらりと、彼が何処に現れるかを先読みした。

   ◇◇◇

「……と、あとはここだけか」

 見慣れない広場に出る。
 オフィスから少しだけ外れた広場。

 少し前までは街で二番目に大きい公園だったここは、今では私有地となっている。

「うわ。下から見るとほんとおっきいな、これ」

 建築途中のビルを見上げる。

 来年の春に完成予定の一大建築。
 何に使われるかはいまだ不明で、一大デパートになるだの、某電子産業の本社になるだの、まあ色々と噂されている。

「周りも整地しちまってまあ。ここまでやらなくてもいいのにな」

 ビルの周囲は鏡のようにまったいら。
 神殿《シュライン》、というビル名に相応しいと言えば相応しいが、正直これはやりすぎだろう。

「────さて」

 息を潜めて周囲の気配を探る。
 周辺に人影はない。

 吸血鬼殺人が再発した、という正体不明の噂によって、夜出歩く人間は皆無になった。

 特に公園や路地裏に人影は見られなくなったが、それとは別の意味でここには人がいない。

「……ま、私有地だし。
 俺みたいに不法侵入しないと中に入れないんだから、人影なんてある筈……」

 ───と。
 唐突に吐き気に襲われた。
 指先が痺れ、喉が渇きに満たされる。

 鼓動が早まる。
 脳の後ろから毒が染み込んでくる感覚。
 知らず、右手はポケットへ走り、音もなくナイフを取り出した。

「────この、感覚」

 ……以前何度か感じた悪寒だ。
 体質なのか、遠野志貴《じぶん》は“人間離れ”した連中を前にすると、こんな感覚に襲われる。

「…………」

 ……気配がする。
 すぐ近くに誰かが立っている。

 誰もいない筈の私有地にいる人間《だれか》。
 微かな悪寒。
 そして、再来した吸血鬼――――

「……けど、なんか……」

 妙に気配が違う気がする。
 反応が弱いというか、単に“普通とは違う”といった異分子に対する違和感というか。

「──ええい、ともかく確認……!」





「もしもし? そこ、誰かいる?」

 ナイフを背中に隠して話しかける。
 ───と。


「こんばんは。何か用でしょうか」

 突然話しかけられたっていうのに、少女は平然とそんな事を言ってきた。

「────」

 その姿に、ドキリとした。

 特徴的な服装と帽子。
 可憐、と言う言葉が恐いくらい似合う顔立ちと、明らかに日本人ではない風貌。


「何か?」

「あ──いや、別に用ってわけじゃないんだけど、その」

「その──すまない、人違いだ。ぶしつけに声をかけて、悪かった」

「いえ。悪かった、という事はありませんでした。むしろ人に挨拶をするのは自然ではないでしょうか」

 さらりとした口調。
 ……言われてみればその通りだ。
 なんか、最近の自分はすさんでしまっているのかも。

「……そうだった。遅れてしまったけど、こんばんは」

「はい、はじめまして」


「それで、貴方はここで何をしているのですか。こんな時間に捜し物でも?」

「え? ……ああ、まあそんなところ。そういう君こそどうしたんだ。夜は危ないって話、知らない訳じゃないだろ──」

 ……って、そっか。
 外国の人なら街の噂には無頓着なのかもしれない。観光に来ただけなら、一年前の吸血鬼殺人なんて知らない訳だし……

「なんでもない。……あの、なんでこんな所にいるかは知らないけど、あんまり人気のない所にはいない方がいい。何が起こるか判らないからさ」

「────」

 少女はこっちをじっと見つめてくる。
 ……当然か。いきなり話しかけて、訳わかんないコトを言ってるんだから。


「いえ。何が起こるか判らない、という事はありません。どのようなカタチであれ、結果的に吸血鬼が現れるだけですから。貴方だってソレを捜す為に巡回しているのでしょう、遠野志貴」

「な────に?」


「私たちが捜しているモノは同じだと言っているのです、遠野志貴。……もっとも、目的は大きく異なりますが」

 無表情のまま少女は言った。
 悪寒が蘇る。
 こめかみには針のような頭痛。

「貴方のようなイレギュラーは答えを乱す。起動式が始まる前に刈り取ってしまわないと、今回もよくない結果になりますから」

 少女は僅かに腕を揺らした。
 カチャリ、という聞き慣れない音。
 少女の手には、黒い拳銃が握られていた。

「――――抵抗するのならどうぞ。
 私の名はシオン・エルトナム・アトラシア。
 ここで、貴方の自由を奪う者です」

 少女の体が跳ねる。
 見知らぬ異国の少女は、有無を言わさぬ速度で襲いかかってきた。

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「っ……!」

「戦闘終了。四番、六番思考停止」


「結果は出ました。戦闘における貴方の選択肢はわずか70。いかに貴方が突然死を持とうと、それだけの戦術幅では予測できない筈がない。」

「くっ……この、何が目的だ、おまえ……!」

「私が貴方に危害を加えた事ではなく、私そのものに違和感を覚えたのですか。……的確な直感です。
 確かに貴方が感じたように、私は貴方が戦ってきた者たちとは系統が違います」

「────」

「抵抗は止めるべきです。私は貴方の命に興味はない。ただ貴方という要素が必要なだけですから、抵抗しなければ危害は加えません」




「え───って、人の頭に触るな、こら!」


「少しは落ち着きなさい。貴方にこれ以上危害は加えないと言ったでしょう。今のはエーテライトを脳に接続しただけです」


「はい……? の、脳に接続したって、一体何を……?」

「エーテライトと呼ばれる擬似神経。
 貴方でも判るように言うのでしたら、ミクロン単位の繊維です。
 肉眼では捕えられない細い糸、とイメージするのが最適でしょう」

「……!」

「……うそ。なんか、こめかみあたりに妙な違和感があるけど、これって───」

「ええ。皮膚に密着したエーテライトは身近な神経と接触、融合する。
 エーテライトの最大距離は5000mですから、貴方の体全てに浸透する事は容易です」

「ここまで説明すれば理解出来たでしょう。貴方の思考と肉体は私にハッキングされました。
 今後、貴方の行動は私が管理します。異論はありませんね、遠野志貴」

「……異論はありませんね……って、無いわけないだろこのアンポンタン! おまえ、何者だか知らないけどアタマは正気か!?」

「失礼な人ですね、貴方は。私は極めて冷静であり合理的に会話を進めている。
 遠野志貴、今の発言に訂正を願います」

「訂正なんかするか、ばか! いきなり襲いかかってきたあげく、次は俺を管理するだぁ!? おまえが正気だって言うんなら俺はとっくに気が触れてるよ。
 まったく、アルクェイド以来だこんなデタラメ。いや、それ以上のデタラメ野郎だぞおまえ!」

「デ、デタラメですって────!?」

「デタラメ、とは出鱈目、という事でしょう! なんという浅学さだ、錬金術師である私の行動を乱数に当てはめるなんて! いえ、出鱈目という言葉を無秩序として扱うなんて、その時点で確率を蔑んでいる! ええ、貴方の言う通り、遠野志貴は気が触れているとしか思えない!」

「え────う?」

「訂正なさい! 私はシオン・エルトナム・アトラシア、蓄積と計測の院、アトラスの錬金術師です! その私にデタラメとはなんという侮辱だ。私ほど本能を理性で統括し、研鑽し、高速で分割できる者はそうはいない! よいですか遠野志貴、そもそも私は女性であって男性ではない! 貴方風に言うのならデタラメ野郎ではなくデタラメ女郎というのが正しい!」


「────────」

「こちらこそ忠告させて貰えば、そちらの行動こそ法則性がないではないですかっ。ここ一年ばかりの貴方の情報は読みとらせて貰いましたが、その都度勝率の低い方低い方へと進むのには驚きを通り越して泣けてしまった程です! 遠野志貴という人間が今まで生きてこれたのは、まさしく億分の一の奇跡としか────」

「────────(びっくり)」

「ぁ────────」

「───話を戻します。
 遠野志貴、貴方には私の研究に協力をして貰います。自由意思は尊重しますが、拒否権はないと考えてください。
 貴方の神経の大部分はすでに掌握しましたので、従わなければ、神経を傷つけてでも従わせる」

「え、いや────(二度びっくり)だから、なんなんだよ、君」


「解らない人ですね。私の言うことを聞かないと神経焼きます、と言っているのです。貴方の頭部と繋がっているエーテライトには電流が流せますから、神経を焼く程度でしたら問題はありません」

「……(馬鹿だな、それだったら糸を切ればいいだけじゃないか。肉眼じゃ見えないって言うけど、メガネを外せば……)……」

「止めた方が賢明ですが。エーテライトは切断された瞬間、全体が焼失します。すでに神経と融合したエーテライトは貴方の神経も道連れにするでしょう。
 ……そうですね、真祖のように体が頑丈な方々には効果はありませんが、人間には効果絶大です。
 神経破損による障害より先に、痛みによるショック死の方が先になるかと」

「な────今、君」

「貴方の思考をリードしました。
 エーテライトが脳に繋がっているのですから、どのような事を考えているかは読みとれます。主語と述語だけで、接続詞は読みとれませんが」

「……うわあ、びっくり。なんだって、こう」
(その、こういう物騒なのとばっかり縁があるんだろう、俺)

「誤解なきように。私は貴方に強制労働をさせる気はありません。あくまで私の目的と貴方の目的、そのどちらも果たせるような相互関係を提案したいだけです」

「……? お互いの目的が果たせるような、だって……?」

「はい。私の目的と貴方の目的は、多少なりとも接点があります。そうでなければこのような交渉は致しません」


「……よく言うよ。こういうのは交渉とは言わないだろ」


「私は成功率の高い手段を選んだだけです。貴方に協力して貰うには、この方法が最も適していただけの事」

「さあ、先程の疲れも回復したでしょう。私の戦闘方法は相手の体力を削ぐ事を目的としたもの。貴方たちのように相手の肉体を削ぐものではないのですから」


「……確かにね。ヘンな糸さえなければ、今すぐ走り去ってるところだよ」

「構いませんが。一度繋がった以上、私が外さないかぎりエーテライトは外れません。貴方が何処に行こうと、的確に追っていけます」

「はいはい。そんな事だろうと思った」

「で。互いに協力しあうって、どういうコト」


「言葉通りの意味ですが──どのような心境の変化ですか。あれほど私を罵倒していた貴方が、素直に話を聞いてくれるなんて」

「聞かざるをえない状況だからだろ。
 それに、まあ、君は荒っぽいけど丁寧っていうか、一線を心得ているように見える。
 さっきだって倒れてる俺にトドメはささなかったし、今だって極力話合いをしたがってる。
 ……だから、まあ。別に他意はないけど、悪人には見えないかなって」


「倒れている貴方に追撃をしなかったのは、単に遠野志貴は追いつめると強力な反撃をすると判断したからなのですが……貴方がそうとったのなら良いでしょう。私が異論を挟むのは無意味です」

「では簡潔に話をしましょう。
 私の目的は吸血鬼化の治療方法の確立です。
 その一環として生きている吸血種のデータが欲しい。例えば、死徒と呼ばれる吸血種の元となった最初の一である真祖を」


「え……真祖って、アルクェイドの事?」

「はい。今では彼女が現存している最後の真祖です。
 ……いえ、純度の低い真祖でしたら多少は存在していますが、私が必要としているのは真祖の王族であるアルクェイド・ブリュンスタッドのデータです」

「アルクェイドのデータ……それってアイツをモルモットみたいにするって事か」

「まさか。それが可能な相手ではないと貴方が一番良く理解しているでしょうに。
 真祖にはあくまで協力して貰うだけです。彼女の血液と体液、身体の調査と真祖の吸血衝動の仕組みが知りたい。
 できれば一週間ばかりラボに来てほしいのですが、それこそ吸血鬼化の治療より難しいでしょう。彼女が私に協力してくれるとしたら、それは貴方が同伴して、多少データを取る程度でしかない」

「? なんで俺が一緒だとアルクェイドが協力するって思うんだ、君は」


「そ、それは───貴方は、今地上で最も真祖に関心を向けられている人間だから、でしょう」

「ともかく、私の目的は医療という側面から吸血鬼を淘汰する事です。その為には多くの吸血鬼のデータが欲しい。
 吸血鬼に噛まれ、人間でなくなってしまう人間。彼等の治療法は今まで不可能とされてきた。
 私は、その不可能に挑みたい。
 これは貴方の目的にも添っていると筈です。
 一度、吸血鬼になってしまった知人を持つ遠野志貴なら」

「────」

「────なにか?」

「別に。君、弁が立つなって思って」

「正当な評価は喜ばしいですが、何故そんな事を言うのです?」

「いや。次に軽々しく彼女の事を口にしたら、君とは敵になるしかないと思っただけだ」


「────」

「……確かに配慮が足りませんでした。私が口にして良い事ではなかった」


「……いいさ。君の目的が吸血鬼化の治療だって言うんならいい。
 確かにそれは、俺にとって大切な事だ」

「では協力して貰えるのですね、遠野志貴」

「ああ。けど君もよく分からないな。そこまで俺の事を知っているのなら、初めから話し合いをすれば良かったのに。吸血鬼化の治療って言われたら、俺は断れはしなかったよ」


「……そのようですね。これは私のミスです。遠野志貴という人間を、完全に理解していなかった」

「ですが、結果的にはこれが最良だったでしょう。口約束は確実ではない。貴方が私への協力を優先しなかった場合、幾つかの手段で貴方に問いただす事ができるのですから」

「はいはい。敗者は勝者に従えってコトね。それはもういいけど、俺だってそう暇じゃないんだ。こんな夜更けに歩き回ってたのも用があったからなんだぞ」

「噂の吸血鬼を捜しているのですね。その件に関しては何も言いません。私も、噂の吸血鬼には興味がありますから」

「? 君、噂の吸血鬼を知っているのか?」

「はい。この街にやってきて、その噂を聞きました。街の雰囲気もどこかおかしいですし、何らかの異状が起きているのは判ります」

「……そうか。よそから来た君でさえそう思うんだから、やっぱり噂になってる吸血鬼は本当にいるのかも知れないな」

「その真偽は定かではありませんが、真祖はその吸血鬼を追っているのでしょうね。彼女にとって死徒は処罰するべき相手。自分が居着いた街に現れたとあっては放ってはおかないでしょう」

「────! 君、アルクェイドが行方を眩ましてるってコトも知ってるのか」

「今、貴方がそう考えたのです。真祖が貴方を避けている、という事は、貴方を気遣って一人で解決しようとしているからでしょう。
 ですから、噂になっている吸血鬼を捜せばおのずと真祖に出会える。その時に貴方がいてくれれば、真祖も私の話を聞いてくれる」

「……なるほど。俺に協力してほしい事って、つまり」

「はい。貴方には真祖との交渉の橋渡しをしてほしい。とりあえず、それが貴方に望む優先事項です」

「……はあ。そんな事ならお安いご用だけどさ。その、とりあえずって響きに不吉なモノを感じるんだけど」

「それは当然でしょう。先程貴方も言ったではないですか、敗者は勝者に従うものだと。私は貴方に勝ったのですから、多少の権利は行使します。それに何か不満でもあるのですか?」

「あるけど黙ってる。君だって噂の吸血鬼ってのを捜しているんなら、俺のやるべき事は変わらないんだし。アルクェイドを見つけるまでは協力するよ」

「賢明ですね。私も真祖との交渉が終わり次第、この国を発ちます。あまり長居するのも危険ですから。交渉がどのような形になろうと、それは私の能力の問題です。
 ですから交渉が決裂しようと、貴方に繋いだエーテライトはその時に外します。
 それでよろしいですね、遠野志貴」

「ああ、文句はないよ。けどさ、具体的に俺はどうすればいいんだ? アルクェイドがいそうな場所を案内したりすればいいのか?」

「いいえ、必要があればその都度指示を出します。貴方は私の言う事を聞いてくれればいいだけです」

「そうですか。それじゃあ指示をどうぞ、お嬢様」

「では街の調査を。私は不慣れですから貴方に先導していただきます」

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2/アトラスの錬金術師 Extra Alchemist



 そうして、彼女との巡回が始まった。


「それじゃあ先輩の言うところの魔術師とは違うんだ、君は」

「広く伝わるところの魔術師、とは違います。
 現在、魔術師とは魔術協会で主流となっている秘儀の実践・解明者を指します。
 錬金術は秘儀の実績ではなく、秘儀の開発にあると考えてください」

「開発って、新しい魔術を作っているのか?」

「魔術系統はすでに完成していますから、魔術ではなく技法の開発を。錬金術の名の通り、卑金属を貴金属に換える、というのが代表的ですね」


「あ、ピンときた。あれかな、銅を金にするってヤツかな」

「……ええ。ですがそれは中央協会の錬金術師です。私は彼等とは異なる錬金術師であるアトラス院の者。物質の変換にはあまり魅力は感じません」

「ふぅん。錬金術師にも種類があるんだ」

「種類ではなく派閥ですね。私たちは少々異端として扱われています。魔術協会は三大の部門に別れているのですが、アトラスはその中でも腫れ物として扱われているのです」

「あ、またその単語。アトラスって地名?」

「地名、でしょうね。アトラス山という、山一つを学院にした協会があるのです。……ロンドンの魔術師は穴蔵、と呼んでいます。周りは砂漠ですし、まあ、あながち間違いではないのですが」

「砂漠……? それじゃ君の故郷って」

「魔術発祥の地と言われています。単に歴史が古いというだけなのですが」

 とまあ、複雑怪奇な会話をしながら夜の街を巡回する。

 彼女は口数は少ないが無口という訳ではなかった。訊けば大抵の事は答えてくれるし、彼女の方から質問してくる事もある。

 必要のない事は話さないけれど、必要なら丁寧にじっくりと話し込んでくる。

「……(もしかしてすごくお喋り好きなんじゃないかな、この娘)……」

「何か他に質問ですか」

「え、いや……それじゃあ、君のいう所の錬金術ってなんなのかなあ、とか」

「人間の研究。それ以外は錬金術というより科学と言えます」

「人間の研究? 魔術とか魔法じゃなくて?」

「はい。アトラスの錬金術師は、もともと魔力回路が少ない者たちの集まりだと言います。
 彼等は自分たちが自然と関われない事を認め、あくまで人間として終着に至る道を志した。
 その結果が現在のアトラス院。
 私たちは唯一自由になる“自身の頭脳”を何よりも巧く使い、未来という設計図を作り上げる」

「未来を───作り上げる?」

「ええ。未来は起こるものではなく作るものだという事は、言うまでもないでしょう。
 世界は今現在に揃っている材料で、良かれ悪かれ未来を作っていく。私たちはその材料を把握、調査し、未来を計測する。
 確率の偏りを事前に変更させ、材料によって出来上がる模型を完璧な物とする。
 魔力回路とは、言ってしまえば「根源」と呼ばれる「大元の一」に繋がる道です。魔術師はそれを通して理想の未来を引き寄せる。
 けれど魔力回路が乏しい私たちは、あくまで自身の頭脳だけで理想の未来を作り上げようとしたとか」

「作りあげようとした……? 過去系だけど、それって……」

「失敗、したのでしょうね。
 いつからかアトラスの錬金術師は未来の予測ではなく、各々が至高とする物事を作る事に専念しだした。
 一説によると何代目かの院長が出してしまった「答え」をなんとか否定する為に、対抗する兵器を作り出そうとしているとか。いまだ院生にすぎない私には知り得ない事ですが」


「むむむ……? ようするに、君たちは」

「今では体のいい武器職人、という所でしょうか。それでも私たちの基本は秘儀と科学の融合です。それを成す為の技能が、アトラスの錬金術師の基本と言えますね」


「ふうん。じゃあその技法っていうのが、エーテライトとかいう糸なのか」

「エーテライトはエルトナムにのみ伝わる技術です。アトラスの基本は高速思考と分割思考。その後に変換式や加速式といった錬金術を修得します」

「??? 高速思考ってのは、響きの通り速く考えるって事だろ。じゃあ分割思考っていうのは……」

「それも言葉通りの意味です。アトラスの錬金術師は思考を分割して複数の思考回路を持ちます。
 通常、人間の脳には思考をする部屋が一つしかありません。分割思考とは、この「思考の部屋」に間取りを作り、空間を幾つかに分ける技術です。
 アトラスの錬金術師であるのなら、最低で三つの分割思考が出来なくてはならない。五つで天才のレベルですね。過去、最も優れた院長で八つだったと言います」

「……ふうん。ようするに脳っていう計算機が二つも三つもあるってコトか」

「別々にある、のでは意味がありません。
 思考は複数ありますが、その目的はつねに一つ。
 高速思考により記号化された複数の思考は、それぞれ別の物でありながら一つの命題解決の為に相互に情報を影響を与えつつ、やはり別々に動くのです。
 単純に計算をするだけならば、現代では機械に迫られるかもしれません。けれど一つの定義を解くのならば、いまだ私たちに迫るモノはないでしょう」

「うわ。それじゃあすごく頭がいいんだ、君。
 ……そうか、さっきの戦いの時、どうもこっちの動きが読まれてるって思ったのは───」

「貴方の行動は前もってシミュレートしておきました。ですがその通りに動く敵などいません。
 あらゆる状況は秒単位で変化していきます。そのルートは系統樹の図式に近い。私たちはその分岐の毎に“次はどのルートになるか”という可能性を計算し、もっとも可能性の高いルートを選ぶ。
 その結果として、先読みした通りの状況が起きる。
 ……戦闘時における私たちは未来を見ているのではなく、未来に一歩だけ先に跳んでいる、というべきでしょうか。
 ですから、先程の戦闘も私はつねに敗北の可能性を孕んでいました。
 秒単位の選択肢で計算を間違えてしまえば、私はただの道化です。貴方が何かの気紛れで今まで優先純度が低かった行動をしてしまえば予測は外れ、私は呆気なく敗北していたでしょう。
 尤も、そういった偶然性さえ予測する為の高速思考と分割思考なのですが」

「はあ。なんか凄いな。戦う前から勝負はついてたって感じだ」

「アトラスの錬金術師は“勝利しうる未来”がないかぎり戦いません。
 ……私と貴方では、間違いなく貴方の方が戦闘者として優れている。
 そういった場合、私は事前に貴方に勝つ為あらゆる手段を講じるでしょう。
 私たちが戦う、というコトは勝てる材料が揃っている時だけですから。
 けれど、私たちはそれでようやく互角にすぎません。
 身体能力・魔力回路で劣る私たちは、未来を予測する事で最悪の展開を回避し続ける。そしてあらかじめ用意した逆転の位置に事態を導き、僅か一瞬の好機に全ての確率を注ぎ込む。
 錬金術師は敵と戦うのではなく、己れの頭脳と戦う者。頼りとするのは自身のみ、刹那の思考に命を懸ける───それが、アトラスの錬金術師の在り方です」


「へえ。計算とか予測とか言っているわりには、根は勝負師みたいな印象だね」

「間違いではありません。ゲームマスター、という意味で、私たちはまさしくそれなのですから。勝負に懸ける者はすべからく冷静であり、同時に熱を感じていなければならないのです」

「(なるほど、確かにそんな感じだ)」

 などと話しているうちに、街の主立った部分は回ってしまった。

 彼女と歩き始めてすでに二時間近い。
 その間にすれ違った人影はなく、街はひたすらに静かだった。

 日中の、強い陽射しで焼き尽くされるような暑さはない。
 夜の街はわりと涼しくて、散歩には最適と言えた。

「交番に在中している警察官はいませんね。街を巡回しているのでしょうが、一度も出会わなかった」

「え───ああ、そう言えばそうだな。せっかくパトロールしていても人と遇わないんじゃパトロールの意味がない。……って、今回はそれが幸いしたか」

「? 今回、とはどういう意味ですか」

「いや、だってさ。傍目から見たら俺たちってヘンなコンビだよ。これだけ目立つのもそういないんじゃないかな」

「……目立つ……? それは私たちが、ですか」

「どっちかっていうと、君が。
 珍しい格好だし、お巡りさんに見つかったら職務質問されると思う」

「……質問、されるでしょうか」

 と、彼女はチラチラと自分の格好を見て不思議そうに首を傾げた。

 ……やっぱり。
 そんな事だろうと思ったけど、彼女は自分の格好が普通だと思っている。

「私はおかしいのでしょうか」

「うん、目立つ」

「……………」

 あ。なんか、不服そう。

「では、その時はその時です。質問をされた時は偽証するしかありません」

「おっけー。んじゃ、もし訊かれたら友達ってコトで誤魔化すから、君もそれっぽい口裏を合わせてくれ」

「─────────────────────────────────────────────────────────────────――――――――――――――――――――――」

 ルートはなんとなく帰り道になりつつある。
 俺たちは巡回をはじめた高層ビル前へと戻ろうと足を進ませていた。

 と。


「志貴」

 後ろから、いきなり名前で呼びかけられた。

「え────」

「その、私の事はシオンと呼んで下さい。
 と、友達なのですから、名前で呼び合わないといけません」

 彼女───シオンは道ばたに立ち止まって、そんな事を言ってきた。

「――――――――」

「――――――――」

「――――――――」

「――――――――」


「……よし。それじゃあシオン、そろそろ戻ろうか」


「はい。私も、そう思っていました」





 ───シオンとの巡回は何事もなく終わった。

 シオンは大した理由も言わず、明日も街の巡回をやるのだと言う。

「明日の夜も今日と同じ時間に、ここで」

 それだけ言ってシオンは去っていった。

 エーテライト、とか言う怪しげなモノで繋がれている以上、こっちは彼女に付き合うしかない。

 ……まあもっとも。彼女に強制されなくとも夜の街の巡回はやろうと思っていたから、別段なにが変わったという訳でもないのだが。

   ◇◇◇

     その夜も、気が狂いそうな程暑かった。


 それは山間の村の出来事。

 時間に停滞しているような小さな村で、その事件は起こった。

 発端は一つの伝承。

 たしか他の村から嫁いできた女性が三つ子を孕み、そのうち二人が死産だと良くない事が起きる、という昔話だった筈。

 たしか二人の兄弟の血肉を奪って生まれ出た赤子は吸血鬼になって村に害を成す、だったろうか。

 末代まで続く呪い。

 村社会に浸透した、不文律の見えない法。

 この国に倣って言うのなら祟り、だろうか。


 ともかく、伝承は真実となった。

 赤子は成長し、成人の日に吸血鬼となった。


 無論、伝承を怖れた村人たちによって、成人する一日前に処刑されてはいたのだが。





 その三日後。

 吸血鬼によって村は全滅した。

 前もって派遣されていた教会の騎士団も全滅した。


 私は逃げて、逃げて、逃げて。




     山道を走った。

     夜明けまで走った。

     出口などなかった。


     呪いは自身に返る。

     私を呪う私は、私から逃げられない。


     目の前には


     真っ黒い貌の“何か”が。

[#挿絵(img/BG21.bmp)入る]



 夜明けは遠い。

 僅か一夜だけしか存在できない吸血鬼に、全てが飲み尽くされた。


 伝承は真実だった。

 祟りは、自らを生み出した村人たちを滅ぼし尽くし、祟りである事を証明したのだ───

   ◇◇◇

 ……暑い。
 異常な暑さ、くわえて無風。
 砂漠の熱気に慣れている筈なのに、この国の暑さには耐えられない。

 喉がカラカラに渇いていた。
 野宿している為か、肌は甲羅のように硬くなっている気がする。

「水───水分が、ほしい」

 ぼんやりと口にして、休めていた思考が回り始めた。

「……そう。ひどく苦しいと思えば、もうこんな時間だったんだ」

 時刻は正午になろうとしている。
 昨夜、志貴と別れてからここに戻って、そのまま睡眠。
 睡眠時間は都合8時間というところか。

「眠りすぎた。これでは思考が鈍化してしまう」

 ズキズキと痛むこめかみに指を当てて、ふう、と深呼吸をする。

「……呆れる。思考だけが私たちの武器だと言ったのに、これでは志貴に示しがつかない」

 もっとも、彼がどのくらい昨夜の話を聞いていたかは疑問だが。


「……まあ。彼に示しをつける必要性はまったくないのだけど」

 そう、示しをつけるとしたら自分自身に。
 すでにアトラスとは縁がないとしても、私が錬金術師である事は一生変わらないのだから。

 ───思考速度こそが私たちの魔術だ。
 思考が速い事は当たり前。そこからさらに多展開する図面を競争させる技法を高速思考と言う。

 そして、さらに優れた錬金術師は脳内に複数の区間を持つ。
 高速思考が一人前の錬金術師の証だというのなら、区間の数は才能の証だろう。

 分割思考と呼ばれるそれは、優れた錬金術師でも三つから五つが限度とされる。

 志貴には「思考する」という部屋を分割する、と教えたが、それはあくまで平均的な錬金術師の分割である。

 優れた錬金術師は、実際に「思考する」部屋そのものを複数持ち得る。

 そして「部屋」は相乗効果を及ぼしている。
 四つの分割思考が出来るという事は、二百五十六もの思考を持つ事。それも単純に二百五十六人の錬金術師分の計算が出来る、という訳ではない。

 二百五十六の高速知性が、個々の隔てなく、同じ目的の為に淀みなく回転し互いを補佐するという事だ。

 極限の鍛錬は、時に奇跡を起こす。
 錬金術師の魔術とは、ようするにソレなのだ。

 私たちは弱い。
 身体は遺伝的に脆く、魔力回路さえ一般人以下だ。そんな私たちの祖先が作り上げた錬金術は、元となった錬金術《アルケミー》とは種が異なる。

 終末を回避する為などと謳い、様々な兵器を創る。けれどその実、私たちは私たちを守る為に武器を作っているだけ。

 それが成果をあげた事はない。私たちはただ作るだけだ。

 なぜなら、私たちの学院にあるただ一つのルールこそが、“いかなる禁忌をも許すが、創造の解放を禁じる”なのだから。

 彼等《アトラス》に触れる事なかれ。
 それが中央の魔術師たちの口癖だ。
 いつしか私たちは不可侵の、有り体に言えば腫れ物として扱われてきた。

 私たちは何もしない。
 ただ穴に籠もって、効率のいい兵器を作っているだけの魔術師たち。

 私たちを暴くという事は、世界を滅ぼす兵器を開封するという事に他ならない。

 故に、私たちはこう呼ばれる。
 ───アトラスの錬金術師。
 それはかつて天を支えながら、ただ黙していた巨人の名前。

「……アトラス院の中でさえ理解者のない、独りきりの錬金術師達には相応しい名称」

 ───別に、それがどうという事もない。
 私はまだ若いから夢物語に憧れているだけだ。
 歳をとって成熟すれば、青い夢なんて見なくなる。

「……夜までまだ時間はある。少し情報を集めておこうかな」

 志貴を私の目的の為に協力させているのだから、私も彼の吸血鬼捜しを手伝うべきだろう。
 だって、彼は───

「仲間、なんだから」

 しかも同年輩。
 おかしな話しだけど、私は外に出るまで自分と同い年の人間というものを巧くイメージできなかった。

 つまり、その、それほど同年代の相手を知らなかったという事である。
 それが異性だとしたら、もう私の理解を超えていると言ってもいい。

「……ふん。志貴のデータはもう十分すぎるほど取っている。理解できないコトなんてない」

 だから、彼が私に協力してくれるコトは判っているし、信用できる。

 彼のロジックには“裏切る”という命令がキレイさっぱり抜け落ちているのだから、契約さえしてしまえば裏切られる事がない。

「───だから少しだけ。
 彼の労働に見合った労働を、私もしないと」

 言い訳じみた台詞を呟いて立ち上がる。

 ……そうして思った。
 言い訳なんて物をしたのは、これが初めてではないだろうかと――――




 街の様子は変わらない。
 人の居ない大通り。陽炎に燻る街並。たまに人とすれ違うクセに、振り返れば誰もいないおかしな空虚さ。

「────────」

 暑い。白く溶けてしまいそうな、清らかで淀みのない陽光。
 早く大きな建物に入って、そこに集まっている脳から情報を引き出そう。

 私の二つ名は霊子ハッカー、シオン・エルトナム。神経に強制介入するモノフィラメント、エーテライトはこの為にある。

 人間の脳を破壊する事が目的ではないのでクラッカーとは呼ばれない。

 ……いや、違う。
 別にそんな事をしなくてもいい筈だ。
 私はただ再来したという吸血鬼の情報を集めるだけ。

 たとえそれが、すでに知っている物にすぎないとしても。

「……………………っ」

 疲れが溜まっているみたい。
 喉は渇いて苦しいし、疲れた体はキシキシと軋んで縮んでいくようだし。

「は――――あ」

 肺にたまった空気を吐き出す。
 吐息は熱くて火のようだった。

「くる……し」

 微かな目眩がする。
 休まなければ。本当にまともな睡眠をとらないと負けてしまう。
 私は、もってあと二日か三日。

「でも、私はまだ活動できる」

 動くうちは動く。それは生物として当たり前の事だ。

 昨夜の戦闘によるダメージが抜けきっていないが、活動に支障はない。
 速く済ませて寝床に戻れば、すぐに夜になってくれるだろう。





 情報収集は容易く終わった。
 街の住人は、その大部分が“吸血鬼”の再来を知っている。

 だがその信憑性は薄く、志貴が知っている情報と大差ないものだ。


「……だと言うのに、みな噂を否定しない。
 信憑性が皆無だというのに、当然のように認められている噂」

 街の人々は誰もが悪い予感を抱いている。
 無人の街並は彼等の心の在り方だ。
 街は今日も、そして明日も暑く揺らめくだろう。

 舞台は記録的な猛暑に襲われているだけの街。
 そこに生じた何か発端の判らないおかしな齟齬。

 よくない思い付き、不吉な予感、賽の裏目。
 偶然か、“不安”と呼ばれる虞れが次々と現実化する暗い夜。

 一度も殺人事件など起きてはいないのに“いる”とされる、帰ってきた吸血鬼。

 そして。
 無人と化した深夜、ビル街を徘徊する謎の影。

「……悶えるような熱帯夜のなか、月はじき真円を描く……その時までに、私は」

 この、正体の判らない“噂”を、確かなカタチに導かなければならないようだ。

   ◇◇◇

 シオンは時間通りにやってきた。

「時間通りですね、志貴」


「ああ、なんとか屋敷を抜け出してこれた。秋葉のヤツがなんか挙動不審でさ、しきりにロビーをうろついていて困った困った。……もしかして俺が夜出歩いてるってバレてるのかな」

「それは無いと思いますが。志貴から引き出したデータからでは、遠野秋葉という人物はそのように回りくどい監視はしないでしょう」


「……む。それはまったくもって」

「その件は志貴の問題ですから、私には無関係です。それより真祖の件はどうなりましたか」


「ああ、それなんだけど、どうも捕まらなくて。アルクェイドの部屋に書き置きしておいたから、明日にはなんとか」


「そうですか。彼女が志貴に気を遣って吸血鬼を追っているのなら、事件が解決するまで志貴には近づかないでしょうし」

「けれどこうとも考えられますね。街で噂になっている吸血鬼は一年前の吸血鬼ではなく、一年前から街にいた吸血鬼なだけかしれない、と」


「───シオン、君」

「そもそも真祖こそ、最も強い吸血衝動を抱える生物です。彼女が一年間も人間の街にいて、何一つ事件が起きなかった方がおかしい」


「それは違う。アルクェイドは人間の血は吸わない。シオンは知らないだけだ。
 アルクェイドは───」


「吸血鬼ではない、と言うのでしょう? 志貴がそう言うのなら、真祖はそうなのでしょう」

「ですが、この街に吸血鬼が再来したというのなら、真祖以外に吸血鬼がいなくてはおかしい。人々の噂にはモデルとなったモノがある筈ですから」


「噂のモデル……? それって一年前の事件の事だろ」

「それはモデルではなく原因でしょう。ここまで明確になった噂には、必ず目撃談がなくてはならない。
 真偽はさておき、“夜に徘徊している謎の人物”という実像がないとおかしいではないですか」

「……?」

 シオンの言う事はちょっと解りづらい。

「噂が真にせよ嘘にせよ、元になったモデルは必ず有るという事です。真祖が追っているのもそのモデルでしょう。
 ですから、そのモデルさえ見つければ良いのです。私は真祖に出会えるし、貴方は噂の吸血鬼と対面できる。これはとてもシンプルだと思いますが」


「……そうか。ま、言われて見ればその通りだ」

「でしょう。それでは今夜の巡回を開始します。昼間のうちに情報は集めておきましたから、噂の元となった場所を重点的に回ります」

   ◇◇◇

「今度は路地裏か。あそこもよくよくついてない場所だよな」

「ついていない場所、というよりは立地条件が良すぎるのでしょう。これから行く路地裏は、都市の死角として理想的すぎ────」

「シオン? どうした、何かあったのか」


「血の臭いがします」

「え……?」

 ……シオンは吐き気を堪えるように顔に手を当てる。それだけ血の匂いが濃いのだろうけど、こっちはまったく感じない。

 これでも血の匂いには人一倍敏感だと自負していたんだけど……。

「志貴は真贋を嗅ぎ分けているだけです。
 これは擬似的な血の匂い。今のこの街には相応しいですが────」



「っ、何処行くんだシオン!」

 シオンを追いかける。
 シオンは路地裏へ入っていった。


「なんだ、やっぱり血の匂いなんて───」

 路地裏に変化はない。
 ただ、街の噂の所為だろうか。
 一年前のように、路地裏が血にまみれている光景が脳裏に浮かんでしま────



「────!?」

「そこにいるのは誰です!」

「!?」

 がたん、という音。
 物陰に隠れていたのか、潜んでいた何かは音もなく路地裏を走り去っていく。

 その一瞬。
 走り去っていく人影の髪がなびくのが見えた。
 背中までかかる、長い長い赤い髪。
 それは、間違いなく───

「志貴、追いかけます!」

「あ────ああ、わかった!」




 街は無音。
 俺たちの走る足音だけがカンカンと響く中、俺たちはソレと遭遇した。


「に、兄さん……!?」

「秋葉──おまえなんで、こんな所に」

「そ、それはこちらの台詞です! 消灯時間はとっくに過ぎているのに、屋敷を抜け出して何をやっているんですか!」

 ……秋葉は明らかに動揺している。
 後ろめたい物があるのか、いつも凛とした気丈さがまったくない。

「……何をしてるって、俺は噂になっている吸血鬼を捜しているだけだ。別に悪い事はしていない。説明はこれだけで十分だろ」


「え……いえ、それは確かに、簡潔で解りやすい説明ですけ、ど」


「じゃあ次はおまえの番だ。……おまえ、こんな夜更けに何してるんだ。何かの間違いだってのは判ってるけど、さっきのはどういう事だ」

「あ───いえ、わ、私だって後ろめたい事など微塵もありません。ありませんけど、その……」

「その?」

「兄さんには説明しづらいと言うか、説明したくないと言うか……」

 もじもじと指を絡ませる秋葉。
 ……路地裏にいたのは秋葉なのかはっきりしていないが、何か隠しているという事だけは明確だ。


「あのな。そんな言いぶりだと疑いたくもないのに疑わしくなるだろ。いいからはっきりと言えって」


「────」


「志貴、時間の無駄です。彼女には話す意思がありません。それに、もし憑かれているとしたら、本人には自覚がないのだから答えられない」

「シオン……? 憑かれているってどういう……」


「……待って。その女性はどなたですか、兄さん」


「いや、誰って────」

 と。答えて、背中が冷たくなった。

「────────」

 さっきまでの動揺ぶりは何処に行ったのか、秋葉はいつも以上に秋葉然としてこっちを見据えている。


「あ、秋葉、彼女は────」


「ええ、判ってますわ、兄さん」

 嘘つけ、全然判ってないだろおまえ!

「私は当然兄さんを信じています。けれど、どうしましょう。こんな夜更けに、しかも異性を連れて歩いているなんて、どう誤解されても文句は言えませんよねぇ、兄さん?」

「…………」

 遠回しに「どんな弁解もできませんわ」とおっしゃる秋葉お嬢様。
 まったくきょうはくだ。

「だから違うってば!
 これには訳があってだな────」


「志貴。彼女は貴方の妹ですね?」

「そうだけど、ちょっと黙っててくれ。今取り込み中なんだ」

「それは後回しです。彼女を調べてみたくなりましたので、捕獲してください。抵抗するようなら強制的に」

「ぶっ────!」


「────」

「な、なんて事言い出すんだシオン! 秋葉には冗談通じないんだから、そんなトンデモナイこと言い出さないでくれー!」


「志貴。貴方に拒否権はないと判っている筈ですが」

「ああもう、判っててもダメ! たとえ脳に電気を流されるようが、秋葉にそんな事できる訳ないだろう!」

 つーか、秋葉の反撃はきっとそれ以上に凶悪だよぅ……!

「……仕方ありませんね。まあ、確かに一度くらいは現状を教えなくてはいけませんか」

 くいっ、と指を動かすシオン。
 と。
 なんか、体が勝手に動き始めるんですけど……?


「え────ええ!?」

「エーテライトは志貴の神経に繋いである、と言ったでしょう。これは、本来このように扱うものです」


「うわ、ばか、止めろーーー! この、人権迫害、冷血鉄面皮、人の人生デタラメにして楽しいのか、ええい、難しいコト言えば済まされると思うなよバカぁっっっ!!!!」


「……素晴らしい。今の罵倒で私も良心が消えました。志貴の協力に感謝します」


「わーーーーー! うそうそ、今のワンモアー!」

「却下します。今の罵倒を繰り返されたら、私も冷静であり続ける自信がないので」

 くい、くい、とシオンの指が動く。
 釣られてナイフを握り始める遠野志貴。


「きゃーーーー! シャレになってないっすー!」


 悲鳴が漏れた。
 秋葉は───


「────」

 ……なんか、髪を赤くして不敵な笑みを浮かべていらっしゃる。

 ……あれは、怒っている。
 とんでもなく怒っている。

 俺に命令するシオンと、それに反論しない俺と、なにより秋葉を捕えろ、というシオンに秋葉お嬢様はご立腹な様子だった。

「……ふぅん。事情はよく判りませんけど」

 ……うう、事情が判らないのなら聞いてくれー。

「どうやら兄さんには、強烈な目覚ましが必要なようですねぇ?」

 ペキペキ、と指の骨を鳴らす秋葉。
 それ、目覚ましじゃなくて体罰~~~っ!

[#挿絵(img/WIN_AKIHA.bmp)入る]



「グワ、ヤラレター」

 どってん、どんどん。
 秋葉の(容赦ない)攻撃をくらって、ど派手に転がる秋葉の兄こと遠野志貴、つまり俺。

「チィ、油断した……!」

 ……なんて悔しげに言ってみる。
 俺が本気だったら秋葉はもっとエスカレートしていただろう。

 それがこの程度で済んだのは、一重にこっちが手加減していたからである。

 出来るかぎりシオンのエーテライトに逆らってわざと負けた甲斐があった。
 ああ、まさに兄貴の鑑。略してアニガミ。

「く……手足が、言うことをきかない……」

 渾身の演技でヤラレタ事をアピールするアニガミ。
 だが。


「志貴、わざと負けましたね───!」

「兄さん、手を抜きましたね………!」

 二人は同時に叱咤してきた。
 いやもう、どーしろちゅーねん。

「馬鹿にして、そんな手加減をされて喜ぶと思っているの!? 立ちなさい兄さん、やり直しを要求します!」

「む、無茶言うなー! そりゃ手を抜いたのはホントだけど、やられたのもホントなんだ、やり直しなんかできるワケないだろ!
 だいたいな、手加減に気づいたんなら、おまえも手を抜けば丸く収るんだって気がつかなかったのかー!」

「あ……それは、そうですけど」

「ほら見ろ。まったく、秋葉はそのカッとなる性格を治さないとダメだぞ」


「──────なるほど」

「つまり、志貴はどうあっても彼女と戦わない、というのですね」


「当たり前だ。いくらシオンが無理強いしても出来ない事もある」


「……仕方がありません。それでは私が彼女を捕えますので、志貴は傍観するように」


「……あのね。俺は秋葉と戦うのがイヤなんじゃなくて、秋葉がケンカする事がイヤなんだってば。シオンが秋葉にケンカを売るっていうんなら俺が買うよ」

「その体で私と戦うのですか?
 勝算はそれこそ小数点以下ですが」


「それでもやるのっ! それにな、シオンじゃ秋葉に勝てないぞ。アイツは知らない相手には容赦がないんだ。本気になった秋葉は、ちょっと手に負えない」


「……なるほど、今志貴から彼女の詳細を引き出しました。確かに強敵です。何の前準備もなしで戦える相手ではない」

「なら」

「……解っています。私たちの目的は吸血鬼を捜し出す事。遠野秋葉というサンプルの捕獲は二次目的にすぎない。まずは吸血鬼を発見するのが先決ですね」

「───良かった。君が秋葉ほど怒りやすくなくて」


「彼女もそう短気ではありません。志貴がそのような発言をするから彼女が短気になるのです。一目瞭然というヤツですね」


「え────?」

「で。誰が怒りやすいんですか、兄さん?」

「! い、いや、今のは言葉のアヤというか、気が抜けたが故の吐露って言うか……」

「ふん。そのお話は帰ってからゆっくりするとして……そこの貴方、吸血鬼を捜しているというのは本当なの?」


「事実です。志貴には私の目的を理解した上で協力をして貰っています」

 さらりと言うシオン。
 ……まあ、それも事実なんだけど、一番大事なイベントが語られていないのではないだろーか。

「そういう事でしたらこちらも譲歩しましょう。何が目的かは知りませんが、貴女が争わないというのでしたら私も手はあげません。
 ……目的も同じのようですし、ここは話し合った方がよろしいのではなくて?」


「? 目的が同じ……?」


「────」


「本来なら無視するか徹底的に戦うのですけど、今回は止めましょう。……正直に言うとね、私も貴女の手腕に興味を持ったから」

 秋葉、ふふふ、と何やら妖しい笑い。

「そうですね。協力者は多いほど助かります」

 一方シオン、まさかの合意。

「良かった、貴女が物分かりのいい人で。
 近頃は人の言う事をきかない人ばかり相手にしていたから、よけい好意を持ってしまうわ」

「私も同感です。好意を持たれるのは良い事ですから」

 なにらアイコンタクトで互いを認め合う少女二人。

「……うわ、ヤな予感……」

 いやこう、寒気がぶるっと。

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3/戦うお嬢さんたち Battle princess



 説明はてっとり早く終わった。

 シオンの目的が吸血鬼化の治療であり、そのキーマンであるアルクェイドと交渉したがっている事。

 俺が噂の吸血鬼を捜している事。

 二人の目的が合致して一緒に街を巡回している事、等々。


「納得がいきました。それならば、確かに貴女には兄さんの手助けが必要でしょう」

「非があるとしたら、またお一人で厄介事に手を出していた兄さんだけです。兄さんの行動を見逃している翡翠にもきつく言っておかないと」

「翡翠は関係ないぞ。俺が翡翠の目を盗んで外に出てきてるんだから」


「それはそうでしょうけど、翡翠は定期的に兄さんの部屋の様子を見ているんですよ? 兄さんがいなかったら気がつくに決まっているじゃないですか」


「……う。それは、巧妙に設置したニセ志貴クン人形によってだな、こうダンボールを被った潜入員ばりにカモフラージュされてるんだ」

「あんなテディベアを無理やり改造したモノに騙される使用人はうちにはいませんっ。だいたいですね、あんなモノをどうやって調達したんですか兄さんは」


「いや、都古ちゃんに誕生日プレゼントを持っていったら、なんか、逆にアレ貰っちゃった」

 ちょっと前の事だ。
 啓子さんから都古ちゃんが伊達メガネを欲しがっていると聞いてプレゼントしたら、都古ちゃんは終始無言だった。

 んで、帰り際に突然おっきなクマのぬいぐるみを持ってきて、いいから持っていって、と都古ちゃん。

 以来、俺の部屋には八門開打によって死に至る傷を負ったテディベアがいたりする。


「そうですか。普段は鈍感なくせに、都古には気が回るのですね」


「お世話になってるんだから当然だろ。
 ……まあ、啓子さんの方から都古ちゃんの誕生日だから来てくれって誘いがあったんだけど」

「でしょうね。兄さんが女性の誕生日を覚えているようには見えませんから」


「う───いや、覚えてはいるんだけど、つい」

 誕生日の次の日に思い出す、というか。


「二人とも、そろそろいいでしょうか」


「え!? あ、うん、いつでもいいけど」

「ああ、申し訳ありません。つい話し込んでしまいました」

「では本題に戻しますが。遠野秋葉、貴方はなぜ夜の街を巡回していたのですか」


「兄さんと同じです。街で噂になっている吸血鬼の真偽を確かめなくてはいけませんから」


「まあそんな事だろうと思ったけど、どうして秋葉がするんだよ。おまえだったら、その」


「人を使えばいい、と言うのでしょう? ええ、私だってこの程度の事で自らの足を運ぶ事はしません。けど事が一年前の出来事の延長なら、私たちだけで解決しなくてはいけない事なんです」

「なんでさ?」

「な、なんでさって、それは────」


「事が遠野家の暗部、だからですね。一年前の事件は遠野シキの存在を隠蔽した為に起きた物です。
 この土地の闇を管理しなくてはならない遠野家が、自らその禁を破ったとあっては均衡が崩れてしまう」


「……そういう事です。このような調査や処理は分家が済ます瑣末事にすぎない。けれど、事が遠野シキに関する事である以上、分家筋に任せる訳にはいかない。
 だって、遠野シキは兄なんです。遠野の血によって発現してしまったシキを処罰していなかった、なんて事実を知られたら───」


「宗家としての遠野と、遠野家長男としての志貴の立場がない。
 一年前、この街で明らかに異常事件が起きているというのに遠野家が傍観していたのはその為でしたか。
 そして今回の吸血鬼が一年前の延長だとすれば、やはり自分たちで対応するしかない」


「ええ。けど信頼できる人間は翡翠と琥珀だけ。あの二人に吸血鬼の相手なんてさせられないでしょう? だから私が、仕方がないけどこうしてわざわざ出向いてきたという事です」


「……そういう事か。理由はよく判った」

「けど秋葉、おまえだって軽率だぞ。相手が吸血鬼だって初めから覚悟してるんなら、一人で調べるのは危険だ。吸血鬼の事はこっちでなんとかするから、おまえは屋敷に帰ってろ」


「そうはいきません。この街における人間外の事件は遠野家の責任です。……一年前は原因が原因なだけに後手に回ってしまいましたが、今回は犠牲者が出る前に解決しないと」

「それは当然。だから俺とシオンで解決するよ。秋葉は屋敷で様子を見てくれてるだけでいい」


「兄さん。私の身を気遣っている、というのでしたら怒りますよ。私がこんな事をしているのは遠野家当主としての責務からでも、つまらない正義感からでもない。私は、ただ」


「話はそこまでにしてもらえますか。
 志貴、私は遠野秋葉の行動は正しいと思います」


「……そんなのは分かってる。けど秋葉は一人しかいないんだ。こんな事で何かあったら、俺は」

「志貴も私も一人しかいないでしょう。ですからこうやって協力している」

「どうでしょう。目的が同じなのだから、三人で協力しあうというのは。
 率直に言えば、純粋な戦力としてなら志貴より彼女の方が判りやすい。志貴はジョーカーですが、安定した強さではない。その点彼女はつねに結果を出すクイーンです」


「………………」


「遠野秋葉。貴方の意見は」


「言うまでもないでしょう? 貴女の提案には非の打ち所がないのですから」

 微笑んで片手を差し出す秋葉。

「────」

 シオンは少しだけ固まった後、たどたどしく秋葉の手を握り返した。


「……はあ。秋葉たちだけは、こういう事に関わらせたくなかったのに」

 秋葉や翡翠、琥珀さんは、なんていうか平和の象徴だった。
 だから三人には、こういう血生臭い出来事には関わってほしくなかったんだけど。


「しょうがないか。けど今夜はここまでだぞ。もうじき朝だし、吸血鬼が出てくるって時間じゃない」

「そうですね。……ええ、それは置いておいて」

 と。
 秋葉はこそこそとシオンに耳打ちしだした。


「……ところで貴女。兄さんに何かしたようだけど、何をしたの?」


「……エーテライトの事ですか? これは……」

 ぼそぼそと話し合う二人。
 小声なので聞こえにくいけれど、シオンは丁寧に遠野志貴に言うことを(強制的に)きかせているカラクリを説明しているようだ。

「……ふんふん、なるほど……」

 それをかつてない熱心さで聞いている秋葉お嬢様。


「つまり、それなら────」


「本人の自由意思には干渉できませんが、行動を抑制、監視する事ができます」


「────素晴らしいですわ!」

 轟咆一喝。
 突然『ですわ』言葉でぐっと拳を握る秋葉さん。


「シオン、泊まる所はあるの!?」

「いえ、特定の場所は決まっていません」


「決まりね。今日から屋敷を自由に使って結構よ。詳しい話も聞きたいですし!」



 強引にシオンを引っ張っていく秋葉。


「…………はあ」

 こうなっては仕方がない。
 ため息をつきながら、二人の後を付いていった。

   ◇◇◇

 一日明けて夜。
 俺たちは三人で街を調べている。
 シオンと秋葉はすっかり意気投合したのか、

「それでは街の噂は大きく三つに分かれている、というのね? シオン」


「はい。元々の原因となった“一年前の通り魔の再来”という物が細かなモデルによって三つに分かれたのでしょう。
 そのうちの一つとして吸血鬼は金髪の女性、というのがありますが」


「ふん、それは噂ではなく事実です。あの女も気ままに夜出歩いているからそんな噂を立てられる」


「ですが貴方も人の事は言えません。長い黒髪の通り魔、というのは秋葉の事ではないですか。
 秋葉は志貴や真祖ほど人目を忍ぶ技術がないのですから、行動は慎重に行うべきです」


「う……確かに、それは注意すべき事ですね。今後は気を配りますから、その話は止めましょう」

 などと、仲睦まじく話し合っているという次第だ。

 仲睦まじいついでに言うと、シオンが俺に繋いでいたエーテライトは外してもらった。

 秋葉の「私の兄さんなんですから」という意味不明の発言を、シオンはコクンと頷いて了承したのだ。


「二人とも、次行くぞ。路地裏や大通りには人通りがなさそうだから、後は公園だ」


「はい。そこで異常が見られなければ別の手段に切り替えましょう」



 街の様子は相変わらずだ。
 日中は強い陽射しで白く煙り、夜中になれば熱い空気で街中が揺らいで見える。

 風は一向になく、道を行く人影も自動車の音もしない。
 道を歩いて目に付く物といえば、独りで明かりを放っている自動販売機ぐらいの物だ。

 そう言えば、誰かが絵に描いた街のようだ、とこぼしていたっけ。
 写真のようだ、と言わないあたりが的を得ている。

 連日の陽射しと実体のない噂話。
 そのくせ夜は無音だという虚構だらけの街には、現実感というものがまるでない────



「ここにもおかしな違和感はありませんね。
 ……どうも避けられているみたい。噂の吸血鬼とやらは、私たちのような人間は狙わないんじゃないかしら」


「……秋葉。自分を囮にしよう、という案は効果的ではありますが、貴方には不適切です。そういう事は頑丈で妖気を抑えられる者でないと」


「あら、失礼ねシオン。妖気ではなく滲みでる才気と言ってくれない? だいたい貴女だって人の事は言えないわよ。うまく抑えているようだけど、私から見れば────」



「っ────! 避けろ、シオン!」


「!?」




「誰だ────」


「誰だ、とはこちらの台詞です。何故貴方たちが彼女と一緒にいるんですか」


「────」

「────」

「せ、先輩……!?」


「……秋葉さんも一緒、という事は最悪の事態にはなっていないようですが───いえ、それとも遠野秋葉が偽物だとしたら、予想を上回る最悪さですね。秋葉さん、貴方は本物ですか?」

「? 本物かって、なに判りきったコト言ってるんだよ先輩。いや、それ以前にいきなり黒鍵を投げつけてくるなんてどうしたんですかっ!」


「……シオン。兄さんが割って入ると面倒だわ。少しの間黙らせてくれる?」


「……(コクン)」

「────! ────、────!」


「上出来です。───さて。それじゃあ話し合いといきましょうか、先輩」


「……(遠野くんは巻き込まれただけのようですね……)」

「いいでしょう。その様子では遠野くんだけが何も気づいていない、という訳ですね。
 それで秋葉さん。貴方のコメントはどうしますか?」


「言うまでもないでしょう。私は遠野秋葉以外の何者でもありません。そう言う貴方こそ本物の先輩ですか?
 前から荒っぽい人だと思っていましたけど、いきなり襲いかかってくるほどの狼藉者ではなかった筈ですが」


「……なるほど。単に遠野くんの保護者という訳ですか。それなら貴方には手を出しません。遠野くんともども、そこで大人しくしていなさい」


「────(カチン)」


「では、シオン・エルトナム・アトラシア。
 貴方は発見次第、保護、もしくは拿捕するようにと教会から手配されています。
 アトラス協会からも同様の要請を受けていますが、何か反論はありますか」


「──ありません。ですがここで捕まる訳にもいかない。私を捕えるというのなら、貴方を破壊するだけです」


「従う気はない、という事ですね。……いいでしょう。──教会の代行者として、貴方を捕縛します。魔術協会に恩を売るつもりはありませんが、貴方はそれだけで罰せられるべき存在ですから」


「────」

「なんだ、そういうコト。色々と口上を述べていましたけど、結局はそれですか。先輩も進歩がないというか、馬鹿の一つ覚えというか。
 つまるところ、教会の狗《いぬ》な訳ですのね」

「───それはどういう意味ですか、秋葉さん」


「だってそうでしょう? 貴方たちはただ黒か白かで判断する。黒であれば、その人がどんなに善行をつもうが無視して殺しにかかる。
 まったく、一体いつの時代の人間なのだか。
 それでも私、貴方は別だと思っていたんですよ?
 なにしろ貴方だって、昔は黒だったのですから」


「───わたしを同類と言いましたね、遠野秋葉」


「ええ。今はどうあれ、過去は変えられませんもの」

「……いいでしょう。ここに貴方がいるのは好都合です。貴方がここ数日何をしていたか、詰問する手間がはぶけます」


「────ふぅん。それはどういう意味ですか、先輩」

「決まっているでしょう? 噂は時に真実を孕みます。
 吸血鬼の噂には、長い黒髪の少女、という話もあるとか。教会の代行者として、貴女が本性を現したかどうかを調べる義務がある」

「そう。もともと私の身は潔白ですけど、先輩が調べたいというのでしたらご自由に。
 ───ただし。
 私の体に触れようというのですから、それ相応の代価は頂きますが」


「望むところです。わたしの払う代価と貴方が受ける屈辱、どう見ても貴方の方が大きくなりますけどね───!」


「来るわよシオン、注意して!」

「判っています。志貴、ロックを外しますから対応してください!」


「───あ、動ける……って、もうなんだよこれ!
 黙って聞いてれば喧々囂々、そんなにケンカしたいのかー!」

[#挿絵(img/WIN_CIEL.bmp)入る]



「……………!」

「そこまでです。教会の教えに従い、貴方を拘束します、シオン・エルトナム・アトラシア」

 倒れ込んだシオンへ近寄る先輩。
 助けに入りたいが、こっちもまだ体力が回復していない。

 そこへ、余力を残していたのか秋葉が割って入った。


「まったく、融通の利かない。本気でシオンを捕らえるつもりですか先輩は。もう少し柔軟性を持ってみてはいかがです?」


「失礼ですね。貴女ほどではないですよ、わたしは」


「あら。私、引くところは心得ているつもりですけど?」

 なんて言いつつ、秋葉はまだやる気のようだ。

「……兄さん。私が|シエル《あのひと》を引きつけますから、その間にシオンをお願いします」


「───解った。おまえもすぐに逃げろよ」


「ええ。私だって、あの体力お化けと正面から戦うほど愚かではありません」



 秋葉に頷いてシオンへと走る。
 俺が彼女をそのまま抱きかかえるのと、秋葉が先輩に挑み掛かるのは同時だった。

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4/影絵の街にて Electrical Mad Parade



 ───シオンを連れて大通りまで走る。

 秋葉がうまく押し留めてくれたのだろう、先輩が追いかけてくる気配はなかった。


「はぁー……なんとか逃げ切ったか。走り通しで疲れたけど、少しは体も落ち着いた」

 ただ走るのと争うのとでは疲れの質が違う。

 とくに相手がシエル先輩となると、対峙するだけで体力ばかりか根気まで根こそぎ持っていかれる。

 それに比べれば走るだけなんて、ちょっとした休憩みたいなものだった。


「シオンは持ち直したか?
 先輩、シオンには手加減してなかったから傷は深いと思うけど……」


「いえ、傷でしたら縫合を済ませましたのでダメージはありません。
 ……それより秋葉は無事でしょうか」


「ああ、それなら心配はいらないよ。秋葉はアレで器用だし、先輩だって秋葉相手には本気を出さない。お互い牽制しあって終わりになる」

 先輩が本気になる相手は吸血鬼だけだ。
 確かに秋葉は精神の安定に“給血”をしなくてはいけないけど、それは吸血鬼のように人を襲わなくてはいけない、という類ではない。


「秋葉は教会の吸血鬼には当てはまらない。先輩だってその辺は判ってる筈だし」

 うんうん、と独り納得する。


「────」


「……なに? 俺、ヘンなこと言った?」


「いえ。志貴は、ただ知らないだけですから」


「む?」

「私は、先程の秋葉が本物か偽物かと危惧しているのです。秋葉が代行者に敗れる、という危惧をしている訳ではありません」


「??? 秋葉が本物かどうかの心配って、なんだよ」

「代行者がああ言っていた以上、タタリの一つに秋葉がいた事は間違いない。
 もし先程の秋葉がタタリであったのなら、秋葉の身が心配です。
 実在の人物をタタリが模し得た場合、タタリはまずオリジナルを消去しますから」


「待った───シオン、さっきから何を言ってるんだ。なんか、妙に不吉な予感がするんだけど」

「私は吸血鬼の話をしているだけです。
 志貴と秋葉は『噂の吸血鬼』を捜していたのでしょう。ですから、その吸血鬼の話です」


「吸血鬼の話って……シオン、君、噂の吸血鬼を知ってるのか」

「志貴よりは詳細を知っています。ただ、志貴に答えた“吸血鬼化を治療する”という私の目的とは異なる目的なので、口にしなかっただけですが」


「口にしなかったって、それじゃあシオンは知ってたって事じゃないか! なんで今まで黙ってたんだよ!」

「まだ一日ばかり時間はあると予測していたのです。
 ですから明日にでも説明しようと予定を組んでいたのですが……。志貴や秋葉たちの行動がタタリに影響を与えたので、少しばかり狂ってしまった」

「俺と秋葉の行動……? よく解らないけど、そのタタリってヤツが噂の吸血鬼なのか?」

「はい。志貴たちが捜していた『噂の吸血鬼』は実在します。
 ……いえ、実在しかけている、という表現の方が正しいでしょう。
 この街に現れようとしている死徒は実体のない吸血鬼です。
 本体さえすでになく、人々の“噂”を依代にして存在しようとする死徒。
 実体のない、不吉な噂によって成り立つソレを、私たちはタタリと呼んでいます」

「タタリ……実体のない死徒……?」

「端的に言ってしまえば、密閉空間における伝承を具現化するモノ、でしょうか。
 この伝承とは禁忌である掟であったり、人々の間に広まって真実味を帯びた噂でもある。
 タタリは人々が思い描いた“これ以上ない不吉なモノ、自分たちでは絶対に敵わない不吉なモノ”の姿で発生する吸血鬼。
 ですからこの街に現れるタタリは、噂の元となった真祖や秋葉、そして貴方でもある」


「……よく解らないけど。ようするにタタリって死徒は噂通りの姿と能力を持って現れるってコトだろ。……そうか、だから先輩は本物とか偽物とか言っていたのか」

「はい。今回のように噂のモデルが実在の人物の場合、タタリはその人物を真似るか、その人物に憑依して、噂の元になった人物を噂そのものへと変化させます」


「────! それじゃあ、もしアルクェイドの噂が広まったら、そのタタリってヤツはアルクェイドの偽物になるか、アルクェイド本人を“噂の吸血鬼”に仕立て上げるってコトか」

「はい。噂の選定と成熟には時間を要します。タタリはその中で最も普遍性のある噂を選ぶのです。
 ……今回のタタリが何になるかはまだ判りません。ただ、どのようなカタチであれタタリの発生は一夜限り。
 今まで現れていた“噂の吸血鬼”はタタリの前兆にすぎない。元々幻であるタタリですから、吸血鬼に殺された、という犠牲者もまた幻です。
 タタリが本当の祟りとなって発生する満月の夜まで、現実に犠牲者は出ないでしょう」


「ははあ。だから犠牲者が一人もいないのに噂が広まってたワケか……ん? 満月の夜って、あの、今日じゃないの……?」

 頭上を仰ぐ。
 夜空には真円になったばかりの月の姿。


「真月は明日ですが、条件は今晩でもいい。
 ……昨夜の秋葉との戦闘を街の人間が目撃したのでしょうね。
“吸血鬼は赤い髪の少女だ”という噂が強く広まり、蓋然性を持ってしまったのでしょう。
 ですから、もし先程の秋葉がタタリであったのなら、秋葉はすでに殺されている。その場合、先程の代行者も殺されてしまう。
 秋葉は無意識に能力を抑制していますが、タタリと成った秋葉ならばその抑制はないのですから」


「……本気の秋葉、か。
 それなら確かに───先輩だって、無事じゃすまないかも」

 否。そんな不吉な事を考えてどうする。


「そんな事はない。秋葉は秋葉だっただろう。そんな、タタリなんて偽物じゃなかった」


「すみません、私の言い方が不適合だった。タタリには偽物も本物もない。タタリが秋葉になったのなら、それは秋葉そのものなのです。真偽の判定に意味はありません」


「────?」

 シオンの言葉はよく解らない。
 ともあれ、どちらにせよ公園に戻らなければ。

 秋葉が本物なら、秋葉の無事を確かめる為に。
 秋葉が偽物なら、先輩の無事を確かめる為に。


「シオン、公園に戻ろう。秋葉と先輩が心配だ」


「……そうですね。秋葉にはよくしていただきました。彼女の無事は確かめたい」



 急いで公園へと踵を返す。

 ───その前に。
 道の先に、いつか見たような影があった。


「――――その必要はない。
 彼女に成る為には些か普遍性が足りなかった。
 いや、残念だ」

「な───お、おまえ、は」

「驚くなよ、殺人鬼。この街じゃこの姿こそが最も特出した“噂”なんだからな」


「───なるほど。
 夜に彷徨って人を襲っている、という噂なら、今のところ志貴が最も適している」


「なるほど───ってそれシオンのせいじゃないか! 君が無理やり戦わせるから、そんな事になったんだぞ!」


「反論は後。今は目前にいる志貴───タタリに集中してください」


「そうそう。君は俺という殺人鬼を容認できない筈だ、志貴。俺は君自身の罪であり、君が深層意識で最も怖れる自身の末路なのだから」


「────おまえ。誰が、誰の末路だって」


「俺が、遠野志貴の末路だという事だ。
 君だってほんの少しの間違いで自分がこうなってしまう、という危惧は持っているのだろう?
 なにしろ君は生粋の殺人者だ。他の何よりも死神が似合っている。
 ───ふん。規模としては小さいが、タタリとしてこの体は稀少だよ」

「だが、男の体というのはどうもいけない。
 正直に言えば、ワタシに成るのであらば遠野秋葉は最も好みなんだけどな。
 だから残念なんだ。ワタシは好みの存在に成る確率は低くてね、久しぶりに女の悦びを愉しめると思ったのに」


「……タタリ。貴方は、遠野秋葉が成る事を望んでいるのですか」

「勿論だ。だが彼女より俺の方が噂として濃かった。心残りではあるが、どのみちタタリに選択権はない。人々が望んだカタチになるだけさ」

「まあ、それももう一押し。その前にこちらの用事を済ませてしまおう」


「用事───?」

「だから、今その娘が言っていただろう。
 タタリは噂でなければならない。
 明確な本物なんて、邪魔なだけだ」

 言って。
 俺とうり二つの影は、笑いながらナイフを握った。

「本物は要らない。必要なのは噂通りの殺人鬼のみ。半端な遠野志貴は要らないんだよ……!」


「志貴、アレと戦うのなら余計な事は考えないで……!」

 シオンの声が聞こえる。
 背中で応えて、
 タタリという殺人鬼を迎え撃つ────

[#挿絵(img/WIN_SHIKI&SION.bmp)入る]

5/閑話月姫 Other tale



「亜───嗚呼亜、あ」

 歪む音。
 不快な雑音を巻き散らしながら、ソレは後退った。


「────」

 その体に浮かぶ“線”を凝視する。
 元から稀薄なのか、基から矛盾なのか。
 ソレの体に走る死は無く、ただ、中心に渦のような点があるだけ。


「消え失せろ、殺人鬼───!」



 点を穿つ。

「キ────────キキ、キキキきキキキキキキキキキキキキキきキキキキキキキキきキキキキキキキキキキきキキキキキキキキキきキキキキキキキキキキキキキキキキキキキ!!!!!!!!」

 壊れた蓄音機に似ている。
 ソレは坂道を転がり落ちるような勢いで嗤った。
 無論、落ちいく先は奈落である。


「────────」


「キ、キキ、キキキィキキィィィィィマ。マママ。ママママママママダ、マダ、マダ、マダマダマダマダマダマダマダマダマダマダマダマダマダマダマダマダマダマダマダマダマダマダマダマダマダマダマダダダダダダマダ不理解、。、。死人←不足→処刑 コロシタリナイ ツマラナイ アキタラナイ ミタサレナイ キ、キイキイキイキイ!キカイキカイ、理解不理解未開奇怪五階瓦壊四四四四シシコロシ、ころし、コロシコロシコロシロコロシコロシ?1957w353490───」

 ざあざあという音。
 まるで肉体が音になって崩れていくよう。

 吸血鬼は崩れていく。
 だが、何が飽き足らないのか、ソレは自らの体を、俺と同じナイフでザクザクと斬りつけだした。

「ヒ、ヒヒヒ、ヒヒヒ平伏ス土下座ル末路ワヌ!切開無惨ニモ失敗シ無能名声栄光罪状コレ弐オイテ騎士ノ勲章ヲ我ニ我ニ我ニ与エ脳ハ腐敗シ魂魄初回ヨリ既ニ亡ク第二生産、第二生産、第二生産大量出荷! 魂魄ノ華 爛ト枯レ、杯ノ蜜ハ腐乱ト絢爛ヲ謳イ例外ナク全テニ配給、嗚呼、是即無価値ニ候…………………!!!!!!!!!!」

 ざくん、ざくん。
 ソレは愉快げによく謳いながら、自らの肉体を削いでいく。


「────────」

 ……吐き気がする。
 自分と同じ顔であるが故に、ソレの末路は、ただ不快だった。

「……志貴、これは貴方とは関係ありません。
 アレはいまだ一人も殺していない。タタリとしてそれは耐えきれないのでしょう。だから、一番手軽に殺せる自分を殺している」


「────」

 ……なるほど。
 殺人鬼としてカタチになったアイツは、けれど一人も殺せないままに消えようとしている。

 それは矛盾だ。
 だからこそ、アイツは最も身近にいて、最も容易く殺せる“自分”を殺そうと躍起になっている。

「タ、タタタ、タノシイ、タタタ他死、他死、他死、他死、他死、他死――――――――!」


 ……消えていく不快な音。
 それを見届けながら、ほう、と息を漏らした。

 確かに自分の顔で崩壊していくソレを見届けるのは苦痛だった。
 だが、最悪のケースに比べれば耐えられないという程でもない。

 なにしろ一歩間違えればアレは秋葉になっていたのだ。

 偶々俺の方が目立っていただけの話。
 ほんのちょっとの偶然、何かの弾みが違えば、タタリとやらが成っていたのは秋葉だったんだから────




「────え?」

 その、途端。




「─────ソウ、不安ニ、思ッタナ」




「な、なんで────!?」


「当然よ、兄さん。
 私が吸血鬼かもしれない、なんていう不安の発信源は貴方だもの。
 兄さんがハッキリと連想してくれれば、それは普遍性を持った噂として成り立つでしょう?」


「お、俺が連想したからだと───!?
 馬鹿げてる、俺一人が思ったぐらいで強く広まる噂なんかあるもんか……!」


「それは本物がいない噂でしょう?
 最後に教えてさしあげるわ兄さん。本物がいる噂はね、情報が流れた時点でもう確定された真実なの。
 遠野秋葉という血を吸う鬼は実在するのだから、後はそれを実経験として覚えている人間が怖れを抱くだけで確定する。
 そうね、今までカーテンで見えなかったものが見えるようになっただけよ」


「────────」

「────けど流石にこれ以上の転身は不可能。今回はこのカタチで祭りを始めるしかないようね」

「能力的には不足だけど、容姿は気に入っている事ですし……やっぱり、飲み尽くすのなら女の体じゃないと盛り上がらないでしょう?」

 ソレは秋葉の顔で、さも可笑しそうにクスクスと笑った。
 なんて下卑た、不快な音。


「貴様────」


「あら、私がこういう言葉を吐くのはお気に召さないようね。
 けど安心して兄さん。どうせすぐに、兄さんは何も聞こえなくなってしまうんだから!」



「───志貴!」


「判ってる……!
 秋葉の姿だろうがアレは吸血鬼だ。
 今度こそきっかり雑音に返してやる……!」

[#挿絵(img/WIN_SHIKI&SION.bmp)入る]



「ふ───限定を解除した私を追い込むなんて流石ね」


「────────」

「でもそれが限界でしょう?
 いくら私がタタリだと判っていても、遠野志貴は遠野秋葉を殺せない。
 兄さんに出来るのはせいぜいここまでよ。
 私を止める事ぐらいしかできないのなら、そこで────」


「それは志貴の都合でしょう。私には、貴方が何者であれ都合はない」

「は、無駄ナ事を。いかに薄れテいるとは言え、タタリとなったワタしにそんなモノが通じるとでも思ッテいるのか」


「確かに、通常の兵器では貴方を消去できない。このバレルレプリカでも、かろうじて部分を削る程度」

「ですが、それはすでに解決済です。いかにタタリが情報体といえ、強く古い意味を持つ概念の前には打ち消される。
 ───例えば、三年前に貴方が葬った彼女の外典。あれ単体では貴方には干渉できなかったけれど、それを異なる概念武装で補強すれば、あるいは」

「────待テ。貴様、マサカ」

「盾の騎士の正式外典、その欠片を回収し、弾丸に加工しました。
 もとより対吸血鬼用である滅びの純粋概念である槍鍵と、模造品であれ天寿の概念武装であるこの銃身。この相乗効果ならば、カタチのない今のタタリでも滅ぼせる」

「それコそ無駄ナ事ダ! ワタしを消したトコロで、タタリが消えル訳デハなイ! ただ一度キリのワタしを消ス為ニ、貴重ナ外典ヲ使用するのかエルトナム……!」

「───はい。これは何の意味もない復讐。
 貴方に殺された彼女と、貴方に堕としめられた私の、ただ精神に安定をもたらす為の行為です。
 貴方なら笑うでしょう。
 錬金術師たる者、自己の精神を安定させられなくてどうする、と。
 けれど私には出来なかった。……アトラシアの名を貰いはしたけれど、私は初めからどこか間違えていたのです。
 だから───ここで、こんな事までして、まだ正解が判らない」

「止メロ───ワタしを消してどうする? おまえがワタしを追ってきたのは吸血鬼化を止める為だろう? それが為し得てもいないのにワタしを消せば、また逃走の繰り返しデハないのか?」

「治療法は自分で見つける。
 幸い、私は半端な存在です。
 この国には私と似た病状の人間がいて、彼女は自己を上手く操縦している。
 彼女から自己の操縦法を学べば、私もあと数年は持ちこたえられるでしょう」

「────デハ」

「私は、貴方との折り合いでの解決は選ばない。
 ここで消えなさい、タタリ。次に発生する時は、ただ純粋に討伐者として貴方に挑む」

「────良カロウ。ソノ言葉、憶エテオクゾ」

   ◇◇◇

 ────さて。
 その後、どうなったかと言うと。



「シオン! 兄さんを見なかった!?」

 ロビーに駆け込んでくるなり、秋葉はシオンにくってかかる。
 シオンは起きたばかりなのか、調子が悪そうに瞳を細めた。


「いいえ、今日はまだ見ていません。この時間では食堂ではないのですか? 夕食まであと数分でしょう」


「食堂にいないから捜しているんですっ!
 ……もう、あの人はこういう事にだけは勘が鋭いというか、はぐらかすのが上手いというか──」


「志貴が、また何か?」


「何かも何も、琥珀を買収してまたアルバイトを始めたのよあの人! 翡翠だとすぐにバレてしまうからって、琥珀を言いくるめるあたり悪質だわ」

「なるほど。狡猾になっていますね、志貴も」

「でしょ? しかも働き先は花屋よ花屋!
 なんだって遠野家の長男が、街角で花を売らなければならないんですか!」


「……なるほど。それは体よく琥珀のお使いをさせられているだけ、という事ですね」


「そういう事です。
 ですから琥珀共々、夕食前に注意しようと準備していたのに兄さんったら───」

「危険を察知して行方を眩ました、と。……そういう事なら、もう屋敷にはいないのではないでしょうか。一日か二日、秋葉の怒りが収まるまで友人宅に宿泊する考えでは」

「そうか、玄関!」

「捕まえるのなら急いで。門の外に出てしまえば、志貴の方が有利です」

「そうね、助言ありがとう」

 ……秋葉はもの凄い勢いで歩き出す。

「秋葉、廊下は走らないように」

 ぼそり、と呟くシオン。
 ……さて。


「志貴。その場所には退路はありません。隠れ場には適していないのではないでしょうか」

 気づいていたのか、シオンが話しかけてくる。


「その通り。シオンが助けてくれなかったら、あっさり捕まってた」

 階段の裏側からロビーへ出る。
 シオンは何が不満なのか、呆れたとも困ったともとれない顔をする。


「……毎回助け船を出す訳ではありません。
 昨日は秋葉に助力しましたから、今日は志貴に助力しました。屋敷に住んでいるのですから、バランスはとらなければ」


「そう? この屋敷は秋葉のなんだから、俺の味方をしてもいい事はないけど」

「私は居候している訳ではありません。この屋敷に宿泊する代価は支払っています。
 ですから志貴にも秋葉にも、翡翠にも琥珀にも平均値でいなければ」

「……ヘンに堅苦しいのは相変わらずか。ま、今回はそれで助かったからいいけど」

「私はあくまで客ですから。
 ───私は夕食後部屋に戻りますが、なんとかもう一度、真祖に来ていただけるよう交渉して貰えませんか」


「アルクェイドに? ……うーん、あいつ前回で懲りたって言ってたからなぁ……ま、駄目もとで言ってみるか」

「お願いします。ああ、それと志貴」


「ん、なに」

「秋葉が戻ってくるまであと五分弱しかありません。夕食を済ませるかこのまま雲隠れするか、どちらにせよ急いだ方がいいのでは」


「───! サンキュ、シオン。とりあえず夕食をかっこんで持久戦といくよ」

 シオンに手をふって食堂へ急ぐ。


「隠れるのなら東館の遊戯室でどうぞ。
 風の通りがいいので、立て籠もっても暑くはないですから」



 ロビーを抜けて食堂へ。
 シオンが屋敷に宿泊しだしてからはや一ヶ月、最近はこんな日常が続いている。

 シオンがいつまで屋敷にいるかは判らないが、サバサバした彼女が居る屋敷も悪くはなかった。

 そうして、夏は終わって、じき季節は秋になる。
 あの白い夏に何が起きて、何が起きるべきだったのかはもう判らない。

 ただ感じ取れるのは、シオンの戦いはまだ終わっていないという事。

 俺が彼女に手助けしてやれる事はなくなってしまったけれど、
 ここにいる間ぐらいは、穏やかな時間を共有していくべきだろう────

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     (エンド。ノーマルエンド?)