■ 鏡の中の遠野志貴 / フェイク

         ―――朝起きたら、そこは巨人の庭園だった。









「いったい何が起きてるんだ……」

 圧し掛かるかのような途方もない疲労感を覚えて、少年―――遠野志貴はため息をついた。
 今はまだ、日が昇りきる前の時間。カーテンの隙間から覗く空は暗く、部屋は薄ぼんやりとした闇に包まれている。

 時計を確認してみれば――5時30分。真夏ならともかくこの季節、まだまだ太陽は顔を出さない。
 蒼黒に染まった部屋は静かで、時計の針が時間を刻むコチコチという音以外は何も聞こえない。あとは、そう。彼自身の呼吸音くらいか。

 ふとした寝苦しさを覚えて、普段なら絶対に眠っている時間に目を覚ましてしまったが、それ以外は何ら変わることのない朝のはずだった。 あと2時間も経てば翡翠が起しに来てくれるだろうし、その後で琥珀さんの作ってくれた朝ご飯を食べて、秋葉とおしゃべりしながら学校へ行 くのだ。いつものように。


 ――その、はずだったのに。

 だってのに、なんだと言うのか、コレは。



 世界は、なにもかもが巨大だった。
 ただでさえ馬鹿デカかったベッドは志貴が四人並んで眠れそうなサイズだし、部屋に唯一ある窓なんて背伸びをしても手が届かない。
 記憶の中では鳩尾のあたりまでしかなかった収納棚が今は志貴と同じ身長で、ドアノブは顔面激突コースに位置している。

 そして、志貴の目の前には一見5、6歳くらいの、それこそ黄色いカバーのついたランドセルが似合いそうな少年の姿があった。

 ―――なんというべきか。その少年は、ひどく愛らしい姿をしていた。
 男の子にしてはぱっちりと大きな目といい、薄い唇といい、その筋の方が見たら女の子の格好をさせて見たくなるようなあどけなさだ。
 ぶかぶかの、肩からずりおちかかっているような寝巻き姿は、捨てられた子犬のようで。

 しかし、その少年にどうにも見覚えがあるのを感じずにはいられない志貴だった。
 どこかで―――そう、おそらくは触れ合うほど近くで、この顔を日常的に見ていた。志貴はそう確信していた。この少年は、決して自分と 無関係では有得ない。というか、ハッキリと自分に似ている。


 ―――はっ?!


 もしかして俺の生き別れの兄弟とか? いやいやいや、そんな馬鹿なこと。俺って姉妹しかいなかったはずだし。あ、でも親父がどっか他所 で種撒いて実っちゃってたりしてたら可能性も無きにしも有らずか? なんてヤツなんだ、親父。七夜の誇りはどこいった。避妊はキチンとす るのが男の責任だろう。母さんに言いつけてやる。あ、でも天国には電話通じないよな。いや、そもそもあの親が天国にいけるか? いたいけ な子供だった俺に体罰すれすれの訓練なんかさせやがった連中だぞ。重りをつけて河に沈められた時は本気で死ぬかと思った。俺が長く生きら れないのは絶対あれのせいだよな。くそ、どうしてくれよう。

 なんか凄い事実が暴露されつつあったが、志貴はそれどころではなかった。
 外からは平静に見えるのだが、内面は混乱の炎に突き上げられ、今や成層圏に到達しそうな勢いである。想像力は妄想の域へと達し、 突き破り、飛んで飛んで飛んで〜♪
 


 ……結構マジでヤバ気だった。



 深呼吸をして、人という字を掌に書いて飲み、なんとか一息つく。
 その間も少年は、じっと志貴の事を見ていた。少なくとも、志貴が見ている前では一度も瞬きをせずに、じぃ〜っと。視線で体に穴があくか もしれないと思えるくらい、凝視している。

 もちろん、そのことについてどうこう言うつもりは無かった。年端のいかない子供が、鍵が掛かっているはずの志貴の部屋にいることだっ て、大した問題ではない。なにせ志貴の部屋には毎朝毎朝、人外の方々が不法侵入を果たしているのだ。いまさらこの程度で目くじら立てるに は、志貴は少々人生経験が豊富過ぎた。

 ただ。
 一つ、一つだけはどうしても看過できない事実が存在した。


 それは、この、目の前の少年が、

                       鏡の中の住人だって言うことだ――――


















                   かがみ  なか     とおの     しき
                   鏡の中の遠野志貴

                                書いた人:フェイク




















「志貴ー、志貴ー。ちょっと、本当に大丈夫なの?」
「―――はっ?」
「あ、帰ってきた」

 聞きなれすぎた声を耳元で感じ、志貴は現実世界への帰還を果たした。
 あまりのショックで一時的に精神が飛んでしまっていたらしい。
 まだちょっとふらふらする頭を抑え、深呼吸をする。閉じかけた瞼から、心配そうなアルクェイドの顔が見えた。

 そういえば鏡の前で逝ってる間に、窓を開けて誰かが入ってきてあれこれ話し掛けてきたような記憶がある。

 といっても夜が明ける前の時間、人様の家に土足で進入してくるような知り合いなど、志貴には目の前の金髪美女―――アルクェイド ・ブリュンスタッドくらいしかいなかったが。
 まあ、それはともかく。

「アルクェイド。よく俺が俺だって分かったな……?」
「そんなの当たり前でしょう? ちょっとくらい見た目が変わったからって、分からないはずないじゃない」

 なにせ今の志貴ときたら6歳児(推定)である。そりゃあ多少は16歳の遠野志貴の面影もあるかもしれないが、マトモな常識を持って いる人間ならこの少年が志貴とは絶対に思わないだろう。
 だが、考えてみれば志貴の目の前にいるお姫様は、常識もなければそもそも人間でもなかった 。むしろ呆れた顔で志貴のことを見下ろし、眉をひそめている。

「ちょっとじゃないような気もするけどな……」
 そう言う声まで変声期前の可愛らしいものだったりして、結構がっくりきたり。

「それにしても突然子供になっちゃうなんて、志貴、へんなことするんだね。どうしたの?」 
「……なりたくてなったわけじゃない」
「ええっ? ……そうなの?」
「当たり前だっ、なりたくて子供になれるかっ!!」
「うーん。そっか、それもそうだよね」
「……オマエね」

 いつもならツッコミの一つも入れるところだが、今日はため息しか出なかった。
 瞼の上から目をもんでいると、突然コンコン、というドアをノックする音が響く。

「志貴さま、朝です。ご起床の時間です」

 声は翡翠のものだった。―――もうそんな時間なのか、と内心で呟き、志貴は頭を抱える。

「どうしろっていうんだよ……」
「ありのまま説明すればいいじゃない」
「いや、ありのままって、コレをどう納得してもらうんだ?」
「……志貴さま? どなたかいらっしゃっているのですか」

 志貴とアルクェイドの話し声に勘付いたのか、翡翠の声に訝しげなものが混じる。
 志貴は思わず背筋を震わせた。ヤバイ、このままだと―――

「失礼します」
 無常にもがちゃ、と音を立ててドアが開いた。

「……おはようございます、志貴さま」

 ドアを開けると同時に一礼した翡翠は、アルクェイドの顔を見て無表情の中にも『またですか……』と言いたげな色を浮かべる。 彼女は毎朝のようにアルクェイドが志貴の部屋に侵入することについて、当然快くは思っていない。よりによって自分の愛するご主人 様の安眠を妨害するなど、メイドの鑑のような翡翠には許容できるコトではなかった。

「それに―――アルクェイドさま、も。おはようございます」
「あはは。翡翠、おっはー」

 翡翠の中を一瞬、怒りだの苦々しさだのが走ったが、彼女はそれを内心に押しとどめて自らの主の姿を求めた。

「……志貴さま?」

 志貴はてっきり起きているものと思っていたのだが。
 しかし、その姿はどこにもなかった。ベッドの上にさえ、である。いつもの時間になるまでは筋金入りのネボスケっぷりを見せる彼が 、いないのだ。翡翠にとっては異常事態だった。
 しかし、では先ほど聞こえた声はなんだったのか―――? 

 ぐるん、と部屋を見まわす。特に変わったところはない。毎朝翡翠に静謐な寝姿を見せてくれる志貴が、まさか寝相の悪さでベッドの下 に落ちているということもないだろう。
 翡翠は頭を振って、アルクェイドに顔を向けて。
 そして、妙なモノを見た。

 翡翠の視線から逃れるように、アルクェイドの腰―――ハラが立つくらい高い位置にある―――に掴まって隠れている少年。
 年齢に見合わない苦笑を浮かべた少年は、翡翠が良く知る透き通った蒼の瞳をしていた。

「え………そんな………っ?!」

 ひどく驚いた呟きを残して脱兎のごとく駆け去って行った翡翠を、志貴は複雑な表情で見送った。正直、なにか言うタイミングを逸してし まい、どうすればいいか分からなかったのだ。
 ……まあ、当たり前ではある。

「あれ? どうしたのかな」

 が、良く分かっていないのか、アルクェイドはほえっと首をかしげていた。
 志貴は胃が痛くなるのを感じつつ、どっかとベッドに腰掛けた。
 だってさ、と呟いてアルクェイドを見上げる。
 
「本当なら俺が寝てるはずの寝室に、見知らぬ女と子供がいれば誰だって驚くだろ?」
「見知らぬ女ってわたしのコト? 翡翠にはとっくに自己紹介してるわよ」

 失礼ね、とアルクェイドはむくれる。もっとも自己紹介とはいっても、アルクェイドが志貴の部屋に初めて侵入した朝、一方的に名乗った だけである。もし志貴がとりなさなかったら、翡翠は間違いなく警備会社に通報しただろう劇的な出会いだった。恋が芽生えそうだ。

 とはいっても、確かにアルクェイドについてはいつものことだから、やはり問題は志貴だった。
 ―――なんで俺、朝っぱらからこんな気が重くなるようなことになってるんだろう。

 思わず人生について考えそうになった志貴だが、突然、足元が揺れるのを感じて思考を中断した。
 同時に、階下から無音の殺気が大気を蹴立て、駆け上がって来る。
 それはどこまでも荒々しく、灼熱したものを感じさせるのに氷よりも冷たい―――

「……うう」

 ヤバイ……ここにいてはダメだ……
 脳の奥底にある何かが、生きることを望む本能が行動を迫る。
 今すぐ窓から飛び出して逃げるか、今すぐドアから抜け出て逃げるか、今すぐ壁を破って逃げるか!
 ……ニゲロニゲロニゲロドアヲアケローッ!!


「兄さん!!!」


 ごぼぉん、と絶対にドアが開く音とは思えない爆音とともにドアがブッ飛んだ。大木から切り出された重厚な一枚板は二枚折になって 回転しつつ宙を飛び、窓を突き破って大空へと飛び立つ。

「あ、妹」

 秋葉だった。
 志貴は気絶しそうな顔になった。

「誰が妹ですかっ、いい加減わたしをそのように呼ぶのはやめなさいと言っているでしょう!」
「いいじゃない。妹は妹なんだし」

 きりきりと歯噛みしそうな顔で、志貴の妹―――遠野秋葉はアルクェイドをねめつけた。紅く染まった髪が生あるもののようにざわめき、 眼が尋常ではない光を放つ。
 重度のブラコンである秋葉は、前からこの女が気に食わなかった。彼女の愛してやまない兄の部屋に毎晩侵入し、その寝顔を堪能して…… 時にその布団にもぐりこみ、志貴の体温に包まれて眠るなど!! なんて羨まし、じゃなかった、ふしだらな人なのだろう。絶対に許せること ではない。

 秋葉は坊主憎けりゃ袈裟までの精神に則り、アルクェイド・ブリュンスタッドという女の全てを嫌いになることに決めていた。特に豊かな 体つきは絶対悪である。
 特に胸。コレはもう、わたしに喧嘩を売っているに違いない。あと胸とか胸とか。それと胸。

 多分に怒りとは違うじぇらしぃっぽい感情を抱きつつ、秋葉はふんっと髪を掻き揚げた。すでに髪の色は戻っている。

「この人類非公認特殊生物は……っ。まったく、翡翠が言うから来てみれば、また性懲りもなく兄さんの部屋に不法侵入ですか。いい加減に してもらいたいものですね」

 秋葉はアルクェイドを藪睨みすると、志貴のベッドの上に目を向ける。
 ただでさえ逆立っていた柳眉が、危険な急角度につり上がった。

「……兄さんはドコです?」

 ぐるりと部屋を見回した秋葉は、親子よろしくアルクェイドにしがみ付いている志貴に目を留める。
 その訝しげな表情に、志貴は心臓を鷲掴みにされたような気がして竦み上がった。ヤバイ。漏れるかも。

「その子は……一体。兄さん? そんな。でも、まるであの時のままの―――……」

 先ほどの怒りから一転して、秋葉の声は、むしろ恐れ戦くように語尾が掠れていた。目は驚愕に見開き、体はわずかに震えている。
 志貴は悲痛な面持ちでうつむいた。もちろん、いつまでも隠していてもしょうのないことではあったけど、このような無様な姿を秋葉に 晒したくは無かったのだ。内心で自嘲するように呟く。
 ああ、そうさ、秋葉。これが兄の変わり果てた姿なん「まさかその子、兄さんと貴女の隠し子じゃあないでしょうねっ?!」



 全然違った。



「兄さんったらこんな人外魔境的生物と……そんな、イヤラシイことをしたあげく、あまつさえ子供まで作るなんて。不潔ですっ!!」

 シャ
 殺ァァァーッ!!


「……ってんなわけあるかい! 大体アルクェイドと出会ってから半年も経ってないのにこんなデカイ子供ができるわけないだろっ、妊娠期間 無いじゃないか!」

 悪鬼羅刹もかくやという表情で叫んだ秋葉に思わずツッコミを入れる志貴。
 そのアルクェイドは良く分かってないのか、頭の上にクエスチョンマークを浮かべていた。
 ちらとそちらを斜め見て秋葉は、甘いですね、と言いたげな訳知り顔で頷く。

「わかりませんよ、なにせこの女はかなり特殊な生物だし。牛や馬みたいに生まれたときからある程度は成長した子供ができても不思議じ ゃないわ」
「不思議だらけだよぉっ!」
「むぅっ……生意気な口の利き方ね。誰に似たのかしら?」
「妹に生意気とか言われたくないっ!!」
「妹って、もう、こんな子供まで真似しちゃってるじゃない。本当にその呼び方、なんとかしてくれないと――」
「違うって! 俺はオマエの兄! 遠野志貴、旧姓七夜志貴、徒歩で三十分の学校に通う男子高校生!!」
「……ボク。君がどこの誰だか知らないし、その顔からして兄さんの関係者だって言うのは分かるけど、あんまり変なこと言うのは感心し ませんよ?」

 かっはぁっ!!
 気炎を吐いて志貴が沈黙する。
 一体どうやったら分かって貰えるのか。いや、むしろ自分が志貴であることを認めさせるより、アルクェイドとの間に子供などいないこと を証明する方が重要だった。なにせ命にかかわる。

 志貴はアルクェイドの腰までしかない体で精一杯ぼでぃらんげーじするのだが、秋葉はやれやれと言いたげな顔で見おろしちゃってくれて いた。絶対信じてないこと間違い無しな眼差しだった。

「あはははは。違うわよ、妹。コレ、本当に志貴よ?」
「――貴女まで何を馬鹿な」

 突然口をはさんだアルクェイドは、まるで子供のように楽しげだった。
 なんと言うか、志貴に助け舟を出したというよりは秋葉に対して含むトコロがありそうな目だった。
 秋葉はと言えば、馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに鼻で笑う。
 アルクェイドはふーん? と秋葉の顔を覗き込む。

「確かにこんな子供の姿にはなってるけど……。でも、ちょっと見た目が変わったからって分からなくなるなんて、しょせん妹の志貴への想 いなんてそんなモノだったってことか」
「聞き捨てならないことを。貴女こそ兄さんをどこにやったんです?」
「だからここにいるって! おーいっ!」
「さっきから志貴本人が主張してるじゃない。まったく、妹ったら分からず屋なんだから」
「いい加減にしてください。本当に兄さんなら、私にはすぐに分かります。今こうしている間だって、私は兄さんの命を―――、命を――― ?」

 言って、なにか見えないものを追うような目をした秋葉はふらふらと視線を彷徨わせ、しかし段々とその焦点を下へとずらしてゆき、 そして最後に志貴の顔に重なった。
 呆然とした秋葉の顔と、安堵と、ちょっとした不安の混じった志貴の顔が向き合う。

「――――うそ」
「……うん、まあ。そういうコト、らしい」

 志貴としては苦笑するしかなかった。

「……兄さん? そんな、本当に……?」
「ですから、先ほどそうだと申し上げたはずですが」
「あ、翡翠」

 かつかつと小気味良い足音を立てて、翡翠が秋葉の後ろから部屋に入って来た。
 凛とした態度を崩さないまま、それでいて優雅に一礼をする。

「先ほどは失礼致しました、志貴さま。突然のことで驚いてしまって……申し訳ありません」
「おはようございます、志貴さん。アルクェイドさん」

 顔を上げ、すっと引くように道を空けた翡翠の後ろから、琥珀も顔を出した。
 いつもの笑顔で、こちらは翡翠とは対照的な明るい感じのする会釈をする。

「うん、おっはよー、琥珀。今日もなんだか腹黒いこと企んでそうな顔ねー」
「アルクェイドさんも、何も考えてなくて幸せそうな顔ですよ。うらやましいです」
「……え?」

 志貴は妙な会話を聞いた気がして、アルクェイドと琥珀を見上げた。二人は微笑みながら談笑している。
 ―――納得いかないものを感じたが、迂闊に触れると17分割くらいはされそうな気配だったので、黙っていることにした。

 そんなアルクェイドと琥珀、そして志貴を尻目に、秋葉と翡翠は真剣な表情で話していた。

「ねえ翡翠、さっき言ったって本当なの?」
「はい。『志貴さまの部屋に、アルクェイドさまと、子供になった志貴さまが』と言おうとしたのですが、秋葉さまはアルクェイド さまの名前を聞いたとたん走り出してしまわれたので……」
「そ、そう。でも、翡翠はすぐに兄さんが兄さんだって分かった?」
「はい、それは。わたしが志貴さまを見間違えることなどありえません」

 翡翠はやたら自信に満ち溢れた声で断言した。恋する乙女に不可能などありません、と顔に書いてある。志貴もこれだけハッキリ 言われると、さすがにちょっと照れた。
 秋葉は何故か落ち込んでいた。

「―――あ、あはは……。ありえない、ね……はぁ」
「でもこれって多分、感応者としての能力だと思いますよ? 私もこうしてて、なんとなーく志貴さんだってことが分かっちゃうん ですよねー。まあ、志貴さんだから分かる、っていうのはそうでしょうけど」

 琥珀がひょいっと笑って言った。
「どういう意味?」秋葉は首を傾げた。

 琥珀はニコニコなのかニヤニヤなのか微妙な笑顔を浮かべる。
 妙に人の警戒心を煽る笑みだ、と志貴は思った。なんか気づいたら罠に嵌められてそう 。
 ―――ちょっと背筋が寒かった。

 琥珀は指を一本立て、ちっちっちと振って見せる。

「それはもう、翡翠ちゃんったら寝ても覚めても『一に志貴さま二に志貴さま、三、四に志貴さま五に志貴さま』ってくらいに志貴さん のことを考えてますからねー。他の人は反応しないトコロまで反応しちゃうんですよ、きっと。健気ですよね、きゃっ♪」
「ね、姉さん……!」
「……そう。それなら、琥珀も兄さんのことを四六時中考えているということかしら?」
「えぇっ?」
「だってそうでしょう? 琥珀だって兄さんのこと分かるんだから」
「そ、そんな……そんなことないですよー。29番目くらいには秋葉さまのことも考えてます。紙一重で挟まってる感じで」
「……その中途半端な数字と状況はなに? ……まあいいわ。私も似たり寄ったりだし」
「えーっ、私なんか100%志貴のことしか考えてないわよ? 29番目だって志貴」
「貴女は黙っててください」
「むっ。いいもん、志貴とお話するから。……あれ、志貴? どうしたの?」
「べ、別になんでも……」
「あはは、志貴さん照れてらっしゃるんですか? 可愛いですねー」
「わわ、琥珀さんやめてくださいっ」

 自覚してるのかしてないのか、彼女達の会話は聞くに耐えないものだった。第三者がいたら砂を吐くこと間違いなしである。
 志貴はあまりの恥ずかしさに部屋の隅っこに縮まっていたのだが、あっさり琥珀に捕獲されてしまった。

「あら、本当に子供になっちゃってるんですね。すごく軽いですよ、志貴さん」

 普段は自分よりも小柄なはずの琥珀に抱き上げられるというのは、えらく気恥ずかしい。
 かといって暴れるわけにもいかず、志貴はなんとか身をよじって逃げようとするのだが、琥珀に後ろから完全にキめられてしまっている から、まったく無駄な抵抗である。
 動くたびに背中を圧迫する、妙に柔らかな感触がヤバげだった。

「……志貴、なんだかちっちゃくて可愛いねー」
「本当。こういう兄さんもたまにはいいかな。あっ、琥珀。次は私に抱かせてね」
「姉さん、私も……」
「俺は猫じゃなーい!」
 
 志貴の絶叫はやっぱり子供の声で、逆に彼女達を刺激するだけに終わった。
 

 
 





 結局、志貴は愛玩動物よろしく散々体をいぢられた挙句、『お着替え』までさせられてしまった。しかも今着ているのは、 どこぞのお坊ちゃまのようなシルクの長袖シャツに半ズボン。
 これはいくらなんでも恥ずかしすぎだった。

 思わず在りし遠き日に思いを馳せ、虚ろな目で現実逃避しかけるが、全然解決になってないのでやめた。それより今はこの状況か ら抜け出すコトを考えねば、腐女子どもにいい様に嬲られてしまう。
 ―――今日ほど自分が哀れに思えた日は無かった。

「うう、お婿にいけない一歩手前まで行ってしまった……」
「あ、それなら安心していいわよ。わたしが貰ってあげるから」
「大却下です。誰が貴女の妹になどなりますか。――そういえば、兄さん」
「ん、なに?」
「先ほどの――わたしが兄さんの部屋にきたときのことです。アルクェイドさんの子供であることは否定しましてましたけど、肉体関係 を持っていることについてはノータッチでしたね」
「…………」
「………えへへー」
「……まあ、いいです。若さゆえの過ちというのは誰もが経験することですし。すでに過去のことです、わたしは気にしませんから、 兄さんも立派に更正してくださいね」

 にっこり笑う秋葉が怖かった。

「お茶が入りましたよ、皆さん」

 戦場にいるような空気を吹き飛ばして、琥珀が部屋に入ってきた。
 湯気の立つポットをテーブルに置いて、カップに注いでくれる。
 逝き帰ったような心地に、嘆息が漏れる。

 あー。 

「ありがと、琥珀さん」
「いえいえ、どういたしまして」

 琥珀の差し出してくれたティーカップを受け取り、一口すすった。
 結局いつもの居間に落ち着いたわけだが、ソファに腰をおろして紅茶をすするのは志貴、秋葉、アルクェイドの三人だけで 翡翠は相変わらず後ろに控えていた。琥珀ももっぱら給仕に専念している。
 普段座っているソファは大きすぎで、足が宙ぶらりんになってしまってどこか落ち着かない。

「―――それにしても兄さん。一体どうしてそんな姿になったんですか?」

 一息ついてようやく気が落ち着いたのか、秋葉が冷静な顔で聞いてきた。
 その疑問はまったく当然だが、志貴の方が知りたいぐらいだった。正直、見当もつかない。
 志貴は考えをまとめつつ、首を横に振った。

「昨日寝る前までは体に何の異常も無かったんだぞ? 起きてみたらこんな姿になってたんだ。アルクェイドが来る前には起きてたから、 結構朝早くだったと思うけど」
「ええ、確か6時前だったわよ。窓から入ったら、どう見ても子供にしか見えない志貴が鏡の前で硬直してるんだもの。びっくりしちゃった」

 あっけらかーんとしたアルクェイドの物言いにぴくぴくと秋葉の頬が痙攣する。
 背後に感じる翡翠の視線もどうしようもなく冷たかったが、アルクェイドはそんな雰囲気をまったく意に介していないようだ。というか、 気づいてもいないのか。

「なにかこうなってしまったことに対する心当たりは? とりあえず、昨日のことをはじめから思い出してみてはどうでしょう。なにか原因 が見つかるかもしれません」
「別に、昨日だっていつもと変わらなかったぞ。朝、翡翠の声で目を覚ますとアルクェイドが隣で寝てて、秋葉がそれで凄く怒って」
「……ええと」

 コホン、と顔を赤くして秋葉は咳払いした。
 分かってて言ったのだが、その仕草があんまりにも可愛らしかったので、志貴は少し笑ってしまった。

「……その辺はいいです」

 上目遣いになった秋葉に思わず肩をすくめかけて、睨まれてやめる。

「そうか? ―――その後は琥珀さんの作ってくれた朝ご飯食べて、秋葉といっしょに学校に行った。授業も普通に受けたし、3限目から 出てきた有彦はやっぱり馬鹿だった」
「たしかにおかしなところは無いですね」

 秋葉にとっても有彦は馬鹿なのがデフォルトだったらしい。
 有彦が哀れだ。
 ちょっと涙が出て鼻の奥がつんとした。

 紅茶のレモンが酸っぱかったから。



「で、昼はシエル先輩も交えて俺、秋葉、有彦のいつものメンバーで食べて、午後の授業。放課後も秋葉といっしょに帰宅。屋敷に 帰ってからは秋葉も知ってるだろ?」
「ええまあ。夕食を取ったあと、紅茶を飲んで……確か、あれが7時から9時過ぎにかけてのことでしたよね?」
「はい。あのあと志貴さまは入浴なさって、それが10時頃。自室にお戻りになられて、床につかれたのが11時です」

 秋葉の問いにすらすらと答えた翡翠は、確認を取るように志貴に目を向けた。
 翡翠が言ったことに間違いはないので志貴も頷く。
 秋葉は少し眉を寄せた。

「11時ですか。少し早くありません?」
「昨日はなんだか疲れちゃってさ、早めに寝ようと思ったんだよ。でもなんだか寝苦しくて、琥珀さんに薬をもらって飲んで―――」

「――――――」

「――――――」

「――――――」

「あはは」




「―――姉さん。犯人を、貴女です」

 


 翡翠がビシっと指を立て、琥珀を指差していた。でもなんでそんなに指先が回ってるのか。琥珀も目がナルトみたいになってるし。
 ちょっと怖くて、志貴は無意識に腰が引けていた。

 ―――――はッ?!

「いや、ちょ、ちょっと待てって! いきなり琥珀さんが犯人ってことはないだろう? そんな、なんの証拠も無いわけだし……」
「……ふふふ、やっぱり翡翠ちゃんにはバレちゃいましたね」
「って認めてるし?!」

 っつーか誰か話しを聞いて!!

「考えてみれば簡単なことです。いつどこで、誰が、どうやってとか、密室のトリックとか時間のマジックとか、そんなことを悩む必要 なんてないんです。そもそもこんなことが出来るのは、姉さんしかいないんですから……」
「さすがは洗脳探偵翡翠……完璧な推理です」
「……推理なの、今の?」
「……だとしたら全国の探偵は皆、廃業でしょうね」

 ふっと諦めの笑みを浮かべる琥珀さんとは対照的に、アルクェイドと秋葉は疑わしげな顔で眉根を寄せていた。
 ゴキブリだって窒息死しそうな白い空気に志貴は意味もなく叫びたくなったが、とりあえずそれは横に置いておく。

「なあ翡翠。琥珀さんには動機が無いじゃないか。意味も無く人を子供にするなんて、そんなことあるのか?」
「志貴さま、それは……」

 翡翠は沈痛な面持ちで俯いた。
 琥珀は完全に下を向いていて、表情は分からない。

 ―――泣いて、いるのだろうか。

 室内に緊張した、それでいてどこか湿っぽい空気が漂う。

「――――――」

 その琥珀の横顔を見て、翡翠はなにかを決心した顔になって、頷いた。

「それは―――姉さんが、ショタコ「違いますっ!!!!」

 がばちょと顔を上げた琥珀は、真っ赤になって翡翠に詰め寄った。

「いきなりなんてこと言うんですか翡翠ちゃんは?! わたしにそんな趣味はありませんっ!!」
「え、そ、そうなの?」
「当たり前じゃないですかっ。もう……」

 どうしてそういう勘違いを、とかなんとかぶつぶつ呟く琥珀に、今度は翡翠のほうが疑惑の眼差しを向けた。
 志貴、秋葉、アルクェイドの三人は『琥珀=ショタ』に納得しかけていたので、なんとなくダマされた気分だった。

「でも、それじゃあなぜ志貴さまを子供に?」
「別にはじめから子供にするつもりじゃなかったんですよ。要するに、お薬を作るのに失敗しちゃってたんです」

 こういうこともあるんですねー、と、ぺろっと舌を出す琥珀。
 可愛い仕草だったが、全く笑い事ではなかった。
 翡翠は青ざめ、秋葉に至っては今後一切、琥珀の作った薬は飲まないようにしよう、と考えている顔になる。

 志貴はこれからは料理にも注意したほうが良いかな、と、結構達観していた。

「―――それじゃあ、睡眠導入剤作ろうとして子供になる薬なんか作ったの?」
「それも違います。私が作って志貴さんに飲ませようとしたのは、女の子になる薬だったんです」

「「「「……はあ?」」」」

 琥珀を除く全員の声がハモる。
 琥珀はお構いなし続けた。うっとりした瞳が乙女っぽいが、ギリギリで絶対乙女じゃない。
 むしろ女郎蜘蛛か、それとも蟻地獄か。志貴にはそう見えた。

「だって志貴さんったらひどいじゃないですか。わたしがこんなに『もぉしょん』かけてるのに、全然気づいてくれないんですよ?  これじゃあ『志貴さんを誘惑して責任取らせちゃいましょう大作戦Ver2.1』もまったくの無駄。……そこで、ちょっと発想の転換を してみたんです」

 ナニゲにとんでもないことを口走りつつ、琥珀は唇を尖らせる。

「……なんかいやな予感がするわ」

 秋葉はその琥珀さんを恐ろしいモノでも見るような顔で見て、ぼそっと呟く。
 ―――志貴もまったく同感だったりした。

「つまり、『責任を取らせる』のではなく『責任を取る』ことにすればいいんです。実はここに、男の子になっちゃう薬もありまして」

 琥珀が新しく取り出したガラス瓶はやたら馬鹿デカく、もちろん張ってあるラベルは手書きだった。青黒のマジックで、交差する骨と 凶悪な髑髏マークが描かれている。ラベルの端っこには『健康一番・琥珀印!』。

 ―――アレを、飲んだのか。
 もしかして生きてるだけで幸運だったんだろうか。
 ふと、志貴は自分の手元を見た。紅茶の入ったティーカップ。もちろん、琥珀がいれてくれたものだ。
 先入観からか、見れば見るほど妖しい。

 突然便所に走って喉に指を突っ込みたい気分になったが、となりで秋葉が似たような顔だったのでやめた。お兄ちゃんは後で良いから、 先に吐いてきてもいいんだぞ。

 アイ・コンタクト。

 兄さん、多分いまさら吐いても意味無いと思うの。でも、ありがとう。
 秋葉は弱々しい笑みを浮かべて、首を振った。        


 なんか涙が出た。

 
「つまり、それを琥珀が飲んで――」
 いい加減ヤバい方向に話が進んでいることに気づいたのか、アルクェイドも強張った顔になっていた。
「はい。わたしが男の子になって、女の子になった志貴さんを押し倒しちゃうっていうのが当初の計画だったんです。 でも、これじゃあ失敗ですねー」

 両者の合意の上なら和姦。違うなら強姦。

 志貴の脳裏に色々と思い浮かぶものがあった。それは遠い日に遊んだ少女の声であり、いつも自分の後ろをついて回った妹の気弱な 微笑みであったりした。
 先生の大きなトランク。大丈夫、といってくれたあの人の顔。
 そして、名前を知らなかった少女がくれた、自分に生きる意味を与えてくれたリボンとか。

「……ははははは」
「あはは……はは。……えーっと……し、志貴さん?」

 いつもと変わらない笑顔だが、一筋の汗を垂らせて後ずさる琥珀の肩を、ぐわしっと掴んでにっこり微笑む。



「……今夜はオシオキね」

「はうぅ〜」



 琥珀は、何故か嬉しそうだった。



「志貴のすけべ」
「兄さんの変態」
「Hです志貴さま」
「な、なんでだっ?!」



 秋葉たちは、何故か冷たかった。













「それにしても琥珀ったら……。兄さん、安心してくださいね。兄さんの純潔はわたしが守りますから」
「いや、それはなんだか違う気がするんだけどな、秋葉。っていうか純潔ってなんだ」

 一応このメンツじゃ唯一の男、のハズ。戦闘力はともかくとして。
 まあ、危うく強姦されそうにはなったけど。
 
「細かいことは気にしないでください。それより琥珀、兄さんを元に戻す薬は作れるの?」

 涼しい顔の秋葉だったが、目が『戻せないなんて言ったら血ぃ抜いて即身成仏よ?』と言っていた。志貴の背筋さえ薄ら寒くなる。
 琥珀は平然と微笑んだ。

「ええ、それは。このお薬を飲めば元に戻れるはずです。ただ、昨日志貴さんの飲んだお薬といっしょで、効果が出るまでにちょっと 時間かかっちゃうんです」
「へー、どれくらい?」

 こういうことには興味があるのか、アルクェイドは琥珀がさっき出したクスリをしげしげと眺める。
 琥珀は時計を見て、こくりと頷いた。

「今飲めば、多分夜までには」
「―――ふーん。あ、はい、志貴」

 アルクェイドからぽいっと渡され、志貴は錠剤を受け取った。
 錠剤の大きさは親指の爪くらいで、あまり飲み易いカタチでもない。………所謂アダムスキー型?
 そのものの色は赤黒い紫で、所々にくっついたオレンジ色の粒々が斑点のように見えてとんでもなく無気味だった。

「……なんだか飲んだら逝っちゃいそうな色だね」
「確かに色は悪いですし、味も良くはないですけど、良薬は口に苦しです。命に差し障ったりはしませんよ。―――多分」
「……多分?」

 はなはだ不安になるお言葉だった。
 ただでさえ毒々しい色の、というか毒だろコレはというような錠剤が、余計アヤしく見えてくる。
 禍禍しいオーラさえ見えるような気がした。

「でも、なんだか勿体無いわねー。せっかく志貴、こんなに可愛いのに」
「こらこらっ! いきなり子供になったこっちの身にもなれよ。笑い事じゃないぞ」
「それはそうだけど。ねぇ、義妹もそう思わない?」
「なにか癪に障る発音でしたね、今の『いもうと』は……。ですがまあ、確かにちょっと可愛すぎです、今の兄さんは」
「ふともものラインなんて犯罪級の眩しさですよー」
「半ズボンは萌えです」
「も、萌え?」

 なんだか危ない方向に会話が向いている気して、志貴はメンツの顔を見渡した。なぜか皆、妙に輝く瞳で自分を見つめている。 一体ここはどこだ。魔界か。
 先ほどの『琥珀=ショタ』疑惑が頭の中でむくむくと鎌首をもたげる。
 ……身の危険を感じた。

「と、とにかく、コレを飲めば戻るんだろ? なら問題無しだ。俺は飲むよ」
「……ええっと、志貴さんがそう言うのでしたらお止めしませんよ?」
「……なんか言い方が気になるんですけど」

 というか、飲んだらヤバいのか。やっぱ。

「どうぞ、志貴さま」

 翡翠が水の入ったコップを渡してくれる。
 もちろん翡翠は親切心でしてくれたのだろうが、志貴は退路を断たれたと感じた。
 まあどっちにしろ、このまま子供でいるわけにもいかない。
 結局は、飲むしかなかった。
 ……凄くイヤだった。

 意を決して、紫にオレンジの斑点というおよそ薬の概念からかけ離れた色の錠剤を口に放り込む。
 舌の上でじわっと広がる、異様な味。かすかに鼻腔を刺す、鉄錆びじみた刺激臭。
 甘くもなく、酸っぱいわけでもなく、かといって苦くも辛くも無い。だが、絶対に無味でもない。
 正体不明で形容のしようもない……。しかしコレは……なんだかだんだん舌が痺れて……っ?!

「ちなみに味付けの参考に、翡翠ちゃんの料理を使わせてもらいました」
「み、水ーっ!!!」
「琥珀!! 兄さんを殺す気ですか!?」
「ちょっと志貴、大丈夫なの? 顔色がなんか凄いわよ!?」
「―――」
「あ――――――――」





       天井が   ぐるぐる 回ってる

        みんなの声が    遠い

        頭が     割れ そう
         
               喉が 焼け る

         嘔吐感  眩暈

            意識      が 遠く――――
























 胸が締め付けられるような感触。
 ざらついた布地が、肌を擦って不愉快だ。
 夢の中、居心地の悪さを感じて―――
 目が、覚めた。

「あー……」

 ひゅっと喉から息を吐き出し、志貴は身を起こした。
 部屋の窓から、淡く白い光が差し込んでいる。
 ベッドの上。見なれた光景。

「―――俺の部屋、だよな」

 ちょっとした頭痛で、眼鏡を外していることに気づく。
 部屋を見まわし、机の上に置いてあるのを見つけた。
 布団を押しのけて絨毯の上に立つ。
 視界はいつもの高さだった。周りのものが大きく見えることもない。
 そう―――子供になんかなってない。

「ゆ―――め?」

 今まで、突拍子もない夢を見ていた気がする。
 琥珀の薬を飲んで子供になってしまうという、無茶苦茶な夢だ。
 ……夢、だったのか。

「は―――はは。……そう、だよな。あれが現実のはず、ない」

 志貴は思いきり笑い出したくなった。自分の突拍子もない想像力には一つ文句をつけたい気分だった。
 なんて馬鹿馬鹿しい夢を見たんだろう。第一、いくら夢の中とは言え、あの扱いは琥珀に失礼すぎだ。
 ―――でも、とにかく酷い夢だった。正直、思い出したくもない。
 まあ、所詮は夢だ。そして、こうやって起きている朝が現実。
 安堵感につかれ、志貴は思いきり伸びをした。寝巻きが動きに合わせて引っ張られ、胸が締め付けられる。

 ………。 
 胸。
 胸だ。
 胸の布地を押し上げる、柔らかそうな二つの膨らみ。
 さっきから妙に窮屈に感じていたのはこれのせいだろう。寝巻きのボタンが左右に引っ張られて、今にも弾けそうだ。 アルクェイドやシエルには及ばないとしても、かなり大きい。ずり落ちたかけた寝巻きの襟からは、形の良い胸の谷間が丸見えだった。

 そして志貴は、この胸を真上から覗き込んでいる。
 何でそんなところに胸があるのさろう。
 いやまて、胸があるのは正しい。だって自分の胸なのだ。
 じゃあ、なんでその胸が膨らんでいるんだろう。
 呆然としたまま、志貴は部屋にある唯一の鏡の前に立った。

 夢の中ではそこに、子供が立っていた。5、6歳の、愛らしい子供が。もちろんそれは志貴の姿で、そして琥珀の薬を飲んでそのような 姿になったのだ……という夢を見たのだ。所謂ドリーム。ちょっとテンパった夢だったことは否めない。

 でも、今は現実だ。夢じゃない。
 なのに。
 今、そこには女の子が立っていた。

 たぶん志貴と同じ年頃の、こんな状況じゃなかったら見入ってしまっただろう魅力的な女の子。大きすぎる寝巻きが肩からずり落ち、 真っ白な肌が外気に晒されて、かなり刺激的な格好だ。
 志貴が首を振ると、少女も首を振る。肩まである黒髪がさらさらと揺れる。

 試しに志貴は右手を上げてみた。全く同じタイミングで彼女も手を上げる。
 ……ああ。
 現実逃避している場合じゃない。
 でも、でも、これは……














「いくらなんでもありがちネタだろ―――――ッ?!!!」




































 夢オチ。しかもエンドレスっぽい。


 そして最悪に終わる。 


/END



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